旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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味覚・グルクンが行く

2017-10-20 00:10:00 | ノンジャンル
 「味覚の秋を代表する秋刀魚の水揚げ量が今年は少ないそうだね」
 「海水温の都合らしいが、少ないと聞くと、無いものねだりで余計食したくなる。1尾でご飯2杯はいける」
 「この時季、沖縄で秋刀魚以上に食されているのはグルクン。宜野湾市真栄原にある行き付けの割烹・大将のガラスの水槽には5、6尾のグルクンが泳いでいる」
 「えっ?グルクンは遊泳魚だから水槽では飼えないのではないかい」
 「そこが店のこだわりでね、読谷村都屋漁港に揚がる活きのいいモノを開店直前に仕入れて、言葉通り‟活き造り”にして出している。冷凍庫入りしたグルクンはもっぱら唐揚げ、刺身になる」
 「けれども、グルクンはデリケートな魚で、手で直接触れると、人間の火傷にあたる熱を感じるほどだそうじゃないか。直送とは言え扱いに気を遣うな」
 「そこがプロの仕業。水温もさることながら専用の手袋を使う。グルクンは水中では鮮やかな青魚だが、釣り上げたとたんに表面が赤くなる」
 「確かに。鮮魚店に並べられたグルクンはすべて赤いからな。うちのカミさんもグルクンは赤い魚と決めてかかっている。外気に触れるとそうなるのかな」
 「その説もある。また、一方には擬態説もある。人間に対しては無害だが、赤魚には防御のための毒性を放つモノが少なくない。グルクンも外敵に遭遇すると自己防衛のための擬態するという説もある。実際‟大将”のグルクンも水槽内では青いが、水槽のガラスを叩いたり、突っついたりすると一瞬、赤くなることがあるそうな」
 「グルクンは沖縄の県魚だよね」
 何杯目かのビールをお代わりした二人の(グルクン談義)は、さらにジョッキの追加を促進する勢いになってきた。

 {沖縄の魚・グルクン選定}
 終戦7年目の昭和27年(1952)。日本国から見放されたままの人びとは、先の見えない不安を強いられていた。(住民に少しでも明るい話題を)と「沖縄の魚」を選定することになった。「県魚」ではなく「沖縄の魚」としたのは当時はまだアメリカの統治下にあって「県」を名乗れなかったからである。
 選考にあたったのは軍政府下にある農林水産部沖縄水産協会、琉球漁業協同組合連合会、農林漁業中央金庫など。(これらの団体にも‟県”の冠が付いてない)。
 選考委員会には各地区漁協推薦の魚があった。
 ○カチュー(和名・鰹)○赤マチ(和名・ハマダイ)○グルクン(和名・タカサゴ)○ガチュン(和名・メアジ)○マクブ(和名・ベラ)などなど。
 その結果、グルクンが選出された。
 理由。イ=年間水揚げ量が多い大衆魚である。ロ=品質良好。ハ=親しみがある。

 「沖縄・魚の本」を頼りに蘊蓄をたれると、グルクンとはフエフキダイ科タカサゴダイ属をさす沖縄方言名の総称。したがって種類も多々。
 ○餌をちびりちびり食べるカブクァーグルクン。○水面近くを浮いたように遊泳するウクーグルクン。○やや深場を遊泳し、1本釣りで漁獲されるシチューグルクン。○やや大きめのコージャーグルクン。○体が平たいヒラーグルクン。○尾びれのふちが赤いアカジューグルクンなどなど、特徴を捉えた方言名はなかなか面白い。本土におけるイワシ、アジ、サバ類などと同様、多獲性大衆魚で8種類が生息している。県魚に正式指定の栄誉を得たのは昭和45年(1970)、日本復帰を2年後にひかえた12月のことだった。
 奄美諸島以南から遠くはインド洋に分布。沿岸からリーフの傾斜面、水深5メートルほどに群れをなして滞泳もしくは遊泳する。
 専門的には沖縄の伝統漁法・追い込み漁が主流。素人の沖釣りは大抵、グルクン釣りに始まる。盛漁期は5月。また、グルクンは宮古、八重山における鰹漁1本釣りの活き餌として重宝され、沖縄の漁業を支えている。

 ところで。
 初心者にも釣れるのがグルクン・・・・と言われる。
 グルクンは何百、何千尾が群れをなして遊泳する。腕のいい船頭が操る貸し釣り船に当たると、船頭は魚群の進行方向を見極め、先廻りして待機。魚群接近を「とおっ!なまやさっ!=よしっ!今だ!」と釣り糸投入を告げてくれる。仕掛けはさ引き。オキアミを餌にして垂れた手ぐすりの棹先までの間には釣り針が4、5個ついている。それを無数の魚群の中に投入するのだから、グルクンが針に掛からないわけがない。入れ食いだ。と、自慢したいところだが、ボクの場合、そうはいかなかった。うるま市屋慶名漁港を勇んで出港したことだが、漁場の平安座島の東の沖合いに着く以前に船酔い・・・・。棹を投げるどころかオキアミの生臭さにやられ、往復(寝たきり)。以来、グルクンは「釣るものではない。食するものだ」に専念している。

 件の男たちの(グルクン談義)はまだ続いている。
 「グルクンは同じ大きさのモノ同士が群れをなす。鮮魚店に並んだそれを見てみろよ。大きさが計ったように同じだ。それにさぁ・・・・」。
 そこで彼はビールの残りを喉を鳴らして飲み干し「お代わり!」の声を発した。今宵はグルクンばなしで居座るつもりらしい。
 秋口のグルクンは脂がのっていて美味。


つつがなしや友垣~

2017-10-10 00:10:00 | ノンジャンル
 日中、まだクーラーは稼働しているものの、時折吹く風は秋のそれにかわりつつある。心なしか高くなった空を見上げ、遠くに青く線を描く小山に向かって一服していると紫煙のあとを追うように、鼻歌が出てきた。

 ‟兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢はいまも巡りて 忘れがたき故郷~

 そのまま郷愁に浸ればよさそうものを(誰の作詞か?誰の作曲か?何時ごろの学校唱歌?)と余計なことに思考が及ぶ。早速調べる。
 作詞高野辰之(長野県中野市出身)、作曲岡野貞一(鳥取県鳥取市出身)。大正3年(1914)尋常小学校六年用「故郷」。これにも裏ばなしがあって、発表当時は作詞作曲不詳とされていた。が、戦後40年代(1965年との記録も)詩、曲とも作者が公認され、平成4年(1992)教科書に両者の名前が明記されるようになっている。
 戦前の歌謡、とくに学校唱歌には(作者不明)の例が少なくない。文部省が選出、命令的に作詞作曲を依頼した歌謡はともかく、思想的な確認がなされていない人物の作品は(不明)とされた時代、教育界にも思想統制が成されていたのである。

 ‟如何におわす父母 つつがなしや友垣 雨に風につけても 思いいずる故郷

 ここでもまた、小賢しい癖が頭をもたげる。
 *ともがき=友としての交わりを結ぶこと。友だち。朋友。
 「この言葉も日常生活から消えてしまったなぁ~」。
 *つつがない=(辞書には)病気がない。無事の意。
 日本語が日本語として生きていたころの言葉で、古語のおくゆかしさを感じる言葉のひとつと私は思う・・・・。成り立ちについて「つつが虫」に由来するそうな。
 「つつが虫」は害虫ツツガムシ科のダニはじめ(蚊や小虫に刺されるほどのわざわいもなく、息災にしていますか)という心遣いの便りなどによく記されている。その転語だろうが沖縄でも、久しぶりに逢う子持ちの後輩たちに対して、
 「子ぬ達ぁん、ガシャンにん刺さらん、かなとーみ=子どもたちも、蚊にも刺されず、元気にしているかい」と、声をかける。
 ところがである。ところが、去る9月28日付・沖縄タイムス紙社会面トップに{つつが虫病で男性死亡 昨年12月 県内初 宮古島の病院。農作業中に感染か}の見出しを見ることができる。

 「県地域保健課は27日、宮古保健所管内の病院で昨年12月に亡くなった60代男性の死因が、ダニ媒介の感染症・つつが虫病だったと発表した。同病院の死亡例は県内で初めて。ツツガムシは山林や河川敷、畑などの地中に生息するが幼虫(体長約0.2ミリ)時のみ地表に出てきて、ネズミなどの動物に寄生するという。感染すると38度以上の発熱やリンパ節の腫れ、発疹などの症状が現れ、重症化すると死亡する恐れがある。潜伏期間は5~14日で人から人には感染しない。抗生物質の投与による治療が有効。
 同課によると、男性は昨年12月10日に発熱し、体調が悪化。同27日に自力で歩くことが困難になり、医療機関を受診したが、同日中に心肺停止状態に陥り死亡した。検査の結果、患者の血液やかさぶたからは、つつが虫病の遺伝子が検出された、9月に病理解剖の結果がまとまり、同病による敗血症ショック死と判断された。農作業中に感染と推定されるという。
 同病は2008年に県内で初めて患者が確認された。その後、宮古保険所管内(宮古島市、多良間村)だけで、ほぼ毎年患者が報告され、2016年は過去最多の10例だった。今年は9月25日時点で2例。
 全国では北海道を除く各地で感染が報告され、近年の患者数は年間300~500人。患者の約0.5%が亡くなっているという。
 予防策は、①山野に入る際は肌の露出を少なくし、防虫スプレーを使用。②衣服を草むらに放置しない。③帰宅後はすぐに入浴するなど。
 同課では、宮古地域の住民や医療関係者、観光客向けに注意を呼び掛けるリーフレットを配布するなどし、被害拡大ならぬよう努めている。

 慣用句や歌詞にもなって、やさしさの代名詞として使ってきた(つつがなし・つつがなく)の語源ともされる(ツツガムシ)が、実はこんな恐ろしい生き物だったとは知らなんだ!ああ、知らなんだ。
 もっとも、人間をふくむすべての生き物には、それぞれのテリトリーがあるもので、おたがいそれを侵さずにいれば(つつがなく)過ごせるということなのかも知れない。

 ‟志をはたして いつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷~


 私の鼻歌は繰り返し「故郷」を奏でている。秋風のせいか齢のせいか・・・・。

 ‟如何におわす父母 つつがなしや 友垣 雨に風につけても 思いいずる故郷~


お盆のあとさき

2017-10-01 00:10:00 | ノンジャンル
 「シチグァチ(7月・お盆)ん済まち、ゆるっとぅ、なたんやぁ
 大人は、今日この頃の挨拶をこの言葉から始める。
 (旧盆も済ませホッとしたね)程度の挨拶である。
 沖縄の2大年中行事は、言うまでもなく、シチグァチソーグァチ(正月)である。先祖供養をしたあとは、当たり前のことながら(善行)を成した気分なり実に(ゆるっとぅ)する。因みに今年の(シチグァチ)は、9月3日がウンケー(祖霊御迎え)、4日、ナカぬフィー(祖霊もてなしの中日)、5日がウークイ(あの世へお帰り頂く御送り)の日だった。
 様式は地域によって異なるが、共通している作法に「ウチカビ=打ち紙」がある。地獄の沙汰も金しだいというわけでもないが、あの世でのみ通用する金銭のこと。ウークイの夜、大抵10時頃から午前0時までが普通で、深更に行うこともある。遅くに行うのは、一刻でも長くもてなしをする、名残を惜しむ心情が働いているからだ。電気が普及していなかった時代は日没後、月が中天にかかる前にウークイはしたそうな。
 仏壇のお供え物を1片づつ小型の盥風(たらい風)の器に入れ、家の門口に持って行き、改めて線香を焚き「またヤーン、うとぅいむちさってぃくぃみそーり=また来年、おもてなしさせて下さい」と、手を合わせ御送りをするのである。
 その時に焚くのが「ウチカビ」の儀式。
 打ち紙そのものには「アンジカビ=あぶり紙」と称している。
 死後の世界の通貨と信じられ、藁や古畳などを用いて梳きなおして作った約20×30ほどの黄色い紙に銭型を刻印したのがウチカビ・アンジカビ。「おかげさまで、よく働き、金銭にも大きな不自由はしておりません。どうぞお遣い下さい」という選別の意味合いも込められていると聞いた。まるで現世にいるものに対する心遣いで念がいっている。あの世とこの世は以外に隣り合わせなのかも知れない。
 ウチカビの起源は中国。台湾、香港でも仏事の儀式としてあるが、意外にお隣の奄美大島にはないそうな。琉球には14世紀後半にもたらせた風習で、シチグァチのみでなく墓地などの仏事には欠かせない儀式のため、それを総称して「カビアンジ=紙炙り」としている。
 ところで。
 台湾に通じている人の話によれば、祖霊も近代化し、現金持ち歩きは不便だろうし、また、徒歩によるあの世への帰省のスピードアップを図ってもらおうと、クレジットカードや高級車をデザインした打ち紙?が出回り、そのカードを炙っているという。

 明治政府成立に伴い琉球国は一時、全国並みに(藩)となり、明治12年4月4日「藩を廃して剣となる」いわゆる廃藩置県により(沖縄県)の成立をみた。日本国の1県である以上、通貨も(円)になる。明治中期とされるが、沖縄の通貨を円に換算した記録がある。参考にして時代を考察してみよう。上段は旧貨、下段は円。50単位で推移ししている。

 ◇ぐんじゅうー(五十)=1厘。◇ひゃーく(百)=2厘。◇ひゃーくぐんじゅうー(百五十)=3厘。◇にひゃーく(二百)=4厘。◇たくむい ぐんじゅー(二百五十)=5厘。◇さんぱく(三百)=6厘。◇さんぱく ぐんじゅー(三百五十)=7厘。◇しぱーく(四百)=8厘。◇しぱーく ぐんじゅうー(四百五十)=9厘。◇いちゅくむい=1銭。◇一貫(貫はクァンと発音)=2銭。◇1貫五百=3銭。◇二貫=4銭。◇二貫五百=5銭。◇三貫=6銭。◇三貫五百=7銭。◇四貫=8銭。◇四貫五十=9銭。◇五貫=10銭。◇とぅなー(十縄)=20銭。◇十五貫=30銭。◇二十五貫=40銭。◇五十貫=1円。◇五百貫=10円。◇千貫=20円。

 沖縄芝居や殊に流行り歌には旧通貨の呼称が多くみられる。
 近くは「十九の春」「汗水節」「時代の流れ」等々に聞くことができる。
 昨今、円相場は110円台前後を行ったり来たりしているようだが、新旧の通貨価値を比較してみるのも、また一興ではなかろうか。明治の頃、困窮に詰められて20円で遊郭に売られた女性の記録も風俗史に見られる。

 ウチカビの話はここまで発展してしまったが・・・・。金銭の話は、時に生臭くなる。が、使い様によって人情話にもなる。
 6月初めに住居を移した我が家に長年付き合っている歌者松田弘一が訪ねてくるという。
 「まだ片付かないから、「シチグァチが済んでからおいでよ」
 そう言うボクに、携帯電話の向こうの反応はこうだ。
 「貴方の都合はそうでも、ボクはいつ何時、金の都合に迫られるか。火急の場合、貴方に借りるより他に当てがない。1日でも早く住居を知っておきたい!」。
 もちろん冗談口。相手の統合より自分の都合と言うことによって(構わなくていい)を表明したのである。
 彼は翌日やってきた。借金申し込みどころか、移転祝いと称して数本の庭木と途中で買ったというピザを持参していた、気持ちのいいシチグァチを過ごしたのは言うまでもない。