旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

17年の長きに渡り、ネット上で連載された
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年末大売り出し・そして、年越し

2012-12-20 00:00:00 | ノンジャンル
 ※商戦。
商戦とは「商売上の戦争」と、日本語大辞典にもある。
「この時期に、1年分の半分は稼がないと、年が越せないし、年明けの見通しも立てられない」
商売人は、そう覚悟して馬の目を抜く勢いで夜を日に次いで必死である。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、チラシには「過大」とも思える文字が踊っている。
いま、ポスターがどれほどの宣伝効果があるか知らないが、昭和初期には街中に張り出されるポスターが、現在のテレビの役割を果たしていた。しかし、この手法も競争を余儀なくされると「過大」どころか「違反」を犯してしまう。

昭和4年〈1929〉。
沖縄の泡盛は、全国的にも認知され、年間生産高3万5千石〈1石=キロリットル〉の内、1万8千石を東京、大阪に出していた。この勢いに乗って泡盛組合は「販路拡張のためには、もっと宣伝が必要」として、一手を打った。
「有名女優の写真を登用したポスター」。これである。
当時、人気を独り占めしていた女優田中絹代に目をつけた。と言っても本人の許可を得たものではない。雑誌に載っていた田中絹代の写真を切り抜き、彼女がいかにも泡盛を持ったようなポーズのポスターを作ったのである。
「無断使用で問題になったら、どうする」
慎重派の意見もあったが、
「それはそれで話題になって、いい宣伝になる」
とする意見を採用した。
 それに味をしめたかして、これまた当時としては大胆な女性の水着姿の写真を失敬し、芭蕉と泡盛を持たせた合成写真のポスターを作成して張り出した。
 幸いにしてどこからもクレームはつかなかった。鷹揚げにして寛大だったのだろう。
 酒類の値段。
 *昭和3年=清酒2リットル5円。
 *昭和6年=ビール大瓶〈633ミリリットル〉25銭。
 *昭和11年=ビール大瓶45銭。
 *昭和12年=泡盛1合〈180ミリリットル〉3銭。

 ※DVDのCM。
 RBCiラジオの20秒CMにこんなのが流れた。
 八重山の歌者大工哲弘のアカペラ「月ぬ美いしゃ」をBGに女性の声。
 「DVD!大工哲弘。“かなさ生り島コンサート”のDVDが出ました。大工哲弘の絶唱はもちろん、ゲストきいやま商店、上原直彦の歌も見もの聞きもの!
 各書店、CDショップ!キャンパスレコードで絶賛発売中!
 有限会社キャンパスレコードの社長備瀬善勝は、55年来の古馴染み。
 「CDもさることながら、DVDも売れ行きがよくない。いま、人気のあるきいやま商店やお前さんの名前を入れたら、商品は動くかもしれない」
 そう要請されて、筆者の名前がアナウンスされている。
 実際に、CD、DVDは、動きが鈍いらしい。インターネットやiパット等に押された結果のようだ。
 筆者は、大工哲弘との付き合いも40年以上。舞台の進行を手伝いながら、大工の母親にインタビューついでに歌った程度だが、古馴染の商売の手助けになればとの思いがあっての(名前出し)になったのである。
 「売れてほしい」
 そうすれば、古馴染みも多少はいい顔で年越しが出来るであろう。ここでひと肌脱がなければ、友情を維持することが叶わなくなる。安っぽい友情と言われようとも。
 
 かくて、辰年は行く。来る巳年も「おきなわ日々記」を綴っていくつもり。読者諸氏に深く感謝。

 ◇DVD・大工哲弘“生り島コンサート”購入は、キャンパスレコード。
 電話:098-932-3801


☆12月下旬の行事。
 *第17回 クリスマスファンタジー‘12
  期間:12月21日~27日
  場所:沖縄こどもの国  沖縄市
 *130万県民「平和の光」いとまんピースフルイルミネーション
  期間:12月16日~2013年1月3日
  場所:糸満観光農園  糸満市
 *第7回 全国小中学生ゴルフ伊江島大会
  期間:12月25日
  場所:伊江島カントリークラブ 伊江島
 *第35回 摩文仁・火と鐘のまつり
  期間:12月31日‐1月1日
  場所:沖縄平和祈念堂  糸満市


「おきなわ日々記」12月10日用

2012-12-10 00:10:00 | ノンジャンル
※選挙・投票・札入り
 「選挙ほど面白いショーはない」。
 ちょいと不謹慎だが、いつのころから選挙はショーなみに受け取られている。
 立候補者がいて、それぞれの[公約][マニフェスト]やらを口角泡を飛ばして力説する選挙演説からして、説得力がなく滑稽にさえ見聞できるのだから、ショー的と受け取られても仕方がなかろう。ショーとなれば、誰がトップで永田町へゴールインするか。競馬並の楽しみがあるのも確かである。
 投票。
 投票用紙は1枚の[札]であるところから、沖縄では投票を[札入り=ふだいり]と言ってきた。もっとも、最近では死語になりつつあるが・・・・。
 札入りがあるたびに、違反票があったりして、ことの真実を明かしてみれば、これまた、大人の発想とも思えない幼稚なショーが見えてくる。選挙には、大枚の金が動く。そこには、言葉通り「砂糖にたかる蟻」のように利権屋が蠢く。逮捕されなければよいが(よくないか・・・)、逮捕された人物が、それなりの人物であった場合、びっくりすると同時に、それ見たことかと失笑するよりほかはない。

 昭和7年=1932=。
 名護町〈現・市〉に「幽霊投票事件」が起きた。
 この年、行われた名護町議会議員選挙の際、有権者数2400をはるかに超える投票数があった。どうした手を使ったのかは不明だが当然、異議が申し立てられ、やり直し選挙・札入りが行われた。結果、投票数は300余減っていた。画策した関係者が裁判にかけられ、処罰されたのは言うを待たない。
 このことは「名護町誌」に記載されている。

 沖縄初の県会議員選挙は、明治42年〈1909〉5月に行われた。
 議席数30.ただし、投票の資格を持つ者は720人の県下区町村の議会議員で、一般には投票権はなかった。当時、区制の那覇区〈現・市〉は定員3名。八重山郡は1名。この両区の例を見ると、那覇区の有権者は35名。八重山郡は16名。したがって、立候補者1名が10票前後取れば、確実に当選する仕組みになっていた。実際に、この年の第1回選挙では、那覇区の最高得票は9票。6票の候補者も当選している。
 では、どんな方々が立候補したか。
 当選したのは議員の内、16名が学校の校長上がりの教育者16名。銀行員7名。村長6名。ほか実業家、新聞記者、医師などだった。中央の政党との関係はまったくなく、その分、県民の意思による選挙だったと言えるが、それでも首里と那覇の勢力争いがあって、白熱した選挙戦だったという。
 
 「誰に投票するの」
 「誰に投票したの」
 選挙・札入りのたびに、交わされる我が家の会話。
 そう聞かれても、はっきりと名指しはしない。
 票をまとめる家族もあると聞くが、我が家では「自主投票」とモットーとしてきている。しかし、本音のところでは(女房奴、誰に投票したか)知りたい。そこで、言葉巧みに誘導尋問を掛けて聞き出そうとするのだが、敵の口は意外に固い。

 ◇読谷山焼陶器市
  期間:12/14~16日
  場所:読谷やちむんの里  読谷村座喜味2653-1

カヌチャリゾート スターダストファンタジア
  期間:2012/11/1~2013/2/14
  場所:カヌチャリゾート  名護市安部156-2

 ◇第7回 伊江島ハイビスカス祭り
期間:12/15~24日
場所:伊江島ハイビスカス園  伊江村 伊江島カントリークラブ隣

第14回 130万県民平和の光いとまんピースフルイルミネーション
期間:12/16~1/3
場所:糸満観光農園  糸満市摩文仁1018



『おきなわ日々記』12月1日用

2012-12-01 00:10:00 | ノンジャンル
 ※訃報。
 またひとつ、沖縄芝居の大きな星が流れた。
 名女優大宜見静子さんが逝った。大正7年〈1918〉生まれ。94歳。
 夫君大宜見小太郎〈本名・朝義〉と共に劇団「大伸座」を率いて、戦後の沖縄芝居史に大きな足跡を残した役者である。高齢にして、数ケ月前まで舞台をこなしていたが、10月に入って風邪をこじらせ、那覇市内の大浜第一病院に入院した。亡くなる数時間まで見舞客と会話をしていたが、11月5日午後11時45分、天寿を全うしたのである。
 静子さんは、北谷村〈現・町〉桑江の禰覇家に生まれた。桑江は「クェーぬ前」「桑江ぬ中」「桑江ぬ後=くし」とあるが、彼女は「桑江ぬ中」の出身。
 昭和10年〈1935〉。当時、ハワイに移民をし、生活の安定を見ていた北谷出身が故郷の村芝居を招聘して公演した際、彼女もその芸能団の一人だった。その公演の指導のため同行したのが、すでに人気役者だった大宜見小太郎。ハワイ滞在中に恋が芽生え、帰国するや直ぐに結婚している。

写真:知念文吉
 戦前、夫婦して劇団「真楽座」で活躍。同座の大阪公演にも参加し、昭和20年〈1945〉帰省。戦後直ぐにアメリカ民政府が奨励した松・竹・梅の三劇団の内、竹劇団に配属され、全島を巡業。自由興業が許可された際、僚友宇根伸三郎と共に劇団「大伸座」を旗揚げした。昭和24年〈1949〉のことである。大宜見小太郎の「大」と、宇根伸三郎の「伸」を取って名付けられたのが「大伸座」の由来。
 人情劇や喜劇を得意とした大伸座において、静子さんは欠かせない存在で、夫君とも舞台上でも夫婦役を演じ「丘の一本松」「ともしび」等は、公演のたびに拍手喝采浴びた。平成5年〈1994〉夫君大宜見小太郎が75歳の逝去後も、座長を引き継ぎ、世間で言う「小太郎芝居」を演じ続けていったのだが・・・・。
 県指定無形文化財〔琉球歌劇〕保持者であり、平成13年〈2001〉には、那覇市政功労者表彰を受けている。
 葬儀は、那覇市安謝の葬儀場で執り行われ、一般焼香の際は大伸座の人気演目の「丘の一本松」「米を作る家」をモチーフに作られた同名の歌が流れて、関係者はもちろん、一般の芝居ファンが別れを惜しんでいた。

 いささか個人的になるが、筆者は静子さんを「ウジミぬお母さん」と呼んでいた。
 と言うのも昭和40年ごろ、当時大学生だった御夫婦の子息朝昌さんが、本土行きの船内から姿を消して行方不明になった。その子息が筆者と同じ歳だったこともあって御夫婦は「キミはうちの息子の生まれ替わりだ」と、可愛がってもらった。それをいいことに筆者は、那覇市泊の大宜見家を無遠慮に訪問して、昼食をねだったり、長時間に渡って、沖縄芝居のことの教授にあずかった。
 さらには「丘の一本松」の作詞〈作曲普久原恒男・歌ファーシスターズ〉や脚本「続・丘の一本松」を2本も書くなど、よほど縁があったのだろう。
 大宜見静子八十八歳のトーカチ祝い〈米寿祝い〉の年にも、彼女の希望で筆者の拙作「トーカチ物語・生り果報命果報」の主役を生地ちゃたんニライセンター「カナイホール」で演じて下さった。
 いまごろ・・・・。
 夫君や先に逝った大伸座の座員とも逢って、小太郎芝居をやっているに違いない。
 沖縄芝居の男優陣が出征して、絶対数が不足していた終戦直後、芝居を絶やすまいと男役を演じ、剣劇や舞踊を熱演していた大宜見静子さんの姿が、後年の老婆役に優先して脳裏をよぎるのはなぜだろう。
 「いろいろお世話になりました。にふぇーでーびたん。ウジミぬお母さん」。
 師走の風が冷たい。

 ◇12月1日(土)
 ※第6回しまあかり
  開催場所:国指定重要文化財「銘苅家住宅」≪伊是名村≫
 ◇12月2日(日)
 ※第28回NAHAマラソン
  場所:奥武山陸上競技場スタート≪那覇市≫
 ◇12月8日(土)
 ※第25回名護・やんばるツーデーマーチ
  場所:21世紀の森体育館≪名護市≫
 ◇12月9日(日)
 ※第24回ぎのわん車いすマラソン大会
  場所:宜野湾海浜公園歓海門前≪宜野湾市≫
 ◇12月9日(日)
 ※第11回久米島町産業まつり
  場所:久米島具志川農村環境改善センター≪久米島町≫