♪東明がりば墨習れが行ちゅん 頭結てぃ給ぼり我親加那志
〈あがり あかがりば シミなれが いちゅん カシラゆうてぃ たぼり わうやがなし〉
歌意=東の空が明るくなってきました。学問所へ勉強に行く時間です。真結=まーゆゐ、片かしら(男子の髪型)を結い整えてください母上様。
士族の子弟は8,9歳にもなると官営の学問所へ通学した。出校する子弟の身だしなみを整えてやるのは、母親の毎朝のつとめだった。
低学年の学習は(読み・書き)が主。これを「しみふく・墨複」と言い、区分すると(墨)は習字、(複)は素読のこと。墨は当然「いろは」。従って墨複を修めたことを「墨人・しみんちゅ」と称し一目置かれた。
今回の「いろは歌留多」は「ね」から。
[ね]。
読み札=にーびち満産(まんさん)大祝儀(まぎすーじ)。
取り札=出産 おおきなお祝い。
沖縄語の「ね」は基本的に「に」に変化する。「にーびち」の語源には諸説あって「根引き」「女引き・めびき」などがある。根引きは、稲の苗を他の田畑に移すという意味がある。女性が他家に嫁ぐことを(尊い命の根引き、株分け)になぞらえたと考えられる。宮古島の多良間島では、今でも「にーびち」を「メガピキ」と言う。メガは女性の通称。ピキは引き・引く。満産は出産。結婚そして出産は、人生祝儀の最初で最大に行われている。
「な」。
読み札=なんちち かばさ まーさむん。
取り札=おこげ 香ばしい おいしいね。
羽釜で御飯を炊いていたころの(おこげ)は、子どもにとってはいいおやつだった。少年のころ、2,3時になると小腹がすき「ぬーがな ねーに=なにかないか」とおねだりするとおふくろは、羽釜の底にこびりついたナンチチ、水に浸した(おこげ)をミシゲー(飯貝・しゃもじ)で掻き集め、ニジリーメー(おにぎり)にしてよこした。ユーバン(夕飯)までのいい繋ぎになった。おふくろの名誉のために特記しておくが、わがおふくろは御飯を炊くたびに、ナンチチさせていたわけではない。それはたまたまで大抵は芋が繋ぎだった。最近はナンチチにもとんとお目に掛かれないが(ナンチチ)という言葉を耳にするだけで、おふくろが偲ばれる。
[ん]。
読み手=ンマ シミ ンナジ ンーナグァ。
取り手=馬 梅 うなぎ 小さな貝。
沖縄語には「ん」で始まる語が多少ある。稲はンニ。姉はンーミー、ンーメー、もしくはンメーはお婆さんなどなど。従って「しりとり」は、延々と終わりをしらない。九州一円にもこの例は多いと聞いている。ンーナは海浜の岩場に生息する小さな巻貝。種類も多く、適当な大きさなものは
50,60個と採ってきて茹がき、中身を針で突いて出して食したり、アンダンスー(油味噌)の具にしたりした。この種の巻貝は川辺や田んぼにもいるが、これは泥臭くて食するには適さない。
♪大和口すしん 楽やあいびらん 御汝我んしちょてぃ 暮らしぶさぬ。
〈やまとぅぐち すしん らくや あいびらん うんじゅ ワンしちょてぃ くらしぶさぬ〉
明治12年(1879)4月4日、沖縄県成立。皇民化教育が徹底されて、日常生活で使われていた「沖縄口」は、全国的に通用しないとして封じ込められてきた。庶民は一から共通語を学習しなければならない。それは強引かつ強制的な方法で成されるに至って庶民は苦労を余儀なくされる。
こうした時代背景の中で、使い慣れた沖縄口で詠んだのが、前記の琉歌である。狂歌風だが当時の人びとの戸惑いが読み取られ切なさすら覚える。
歌意=無理やり、慣れない大和口(共通語)を使うのも楽ではありません。いままで通り「御汝=貴方。ワシ=私」と、親しみのある自分たち、沖縄口で会話をして暮らしたいものだ。
共通語を「大和口」。中国語を「唐口・とうぐち」。西欧語を「ウランダ口」と言ってきて、それはいまでも生きている。
「つれづれ・いろは歌留多」シリーズは、単なることば遊びに過ぎないが、その中から一つでも「沖縄口」に接して、地方語の妙味を感じ取っていただければ望外。沖縄語は日本語の中の立派な地方語である。
※9月中旬の催事。
*大東宮祭2013(北大東島)
開催日:9月22日(日)~23日(月)
場所:村内全体
*さらはまミャークヅツ(宮古島市伊良部島)
開催日:9月25日(水)~28日(土)
場所:ブーンミャ
〈あがり あかがりば シミなれが いちゅん カシラゆうてぃ たぼり わうやがなし〉
歌意=東の空が明るくなってきました。学問所へ勉強に行く時間です。真結=まーゆゐ、片かしら(男子の髪型)を結い整えてください母上様。
士族の子弟は8,9歳にもなると官営の学問所へ通学した。出校する子弟の身だしなみを整えてやるのは、母親の毎朝のつとめだった。
低学年の学習は(読み・書き)が主。これを「しみふく・墨複」と言い、区分すると(墨)は習字、(複)は素読のこと。墨は当然「いろは」。従って墨複を修めたことを「墨人・しみんちゅ」と称し一目置かれた。
今回の「いろは歌留多」は「ね」から。
[ね]。
読み札=にーびち満産(まんさん)大祝儀(まぎすーじ)。
取り札=出産 おおきなお祝い。
沖縄語の「ね」は基本的に「に」に変化する。「にーびち」の語源には諸説あって「根引き」「女引き・めびき」などがある。根引きは、稲の苗を他の田畑に移すという意味がある。女性が他家に嫁ぐことを(尊い命の根引き、株分け)になぞらえたと考えられる。宮古島の多良間島では、今でも「にーびち」を「メガピキ」と言う。メガは女性の通称。ピキは引き・引く。満産は出産。結婚そして出産は、人生祝儀の最初で最大に行われている。
「な」。
読み札=なんちち かばさ まーさむん。
取り札=おこげ 香ばしい おいしいね。
羽釜で御飯を炊いていたころの(おこげ)は、子どもにとってはいいおやつだった。少年のころ、2,3時になると小腹がすき「ぬーがな ねーに=なにかないか」とおねだりするとおふくろは、羽釜の底にこびりついたナンチチ、水に浸した(おこげ)をミシゲー(飯貝・しゃもじ)で掻き集め、ニジリーメー(おにぎり)にしてよこした。ユーバン(夕飯)までのいい繋ぎになった。おふくろの名誉のために特記しておくが、わがおふくろは御飯を炊くたびに、ナンチチさせていたわけではない。それはたまたまで大抵は芋が繋ぎだった。最近はナンチチにもとんとお目に掛かれないが(ナンチチ)という言葉を耳にするだけで、おふくろが偲ばれる。
[ん]。
読み手=ンマ シミ ンナジ ンーナグァ。
取り手=馬 梅 うなぎ 小さな貝。
沖縄語には「ん」で始まる語が多少ある。稲はンニ。姉はンーミー、ンーメー、もしくはンメーはお婆さんなどなど。従って「しりとり」は、延々と終わりをしらない。九州一円にもこの例は多いと聞いている。ンーナは海浜の岩場に生息する小さな巻貝。種類も多く、適当な大きさなものは
50,60個と採ってきて茹がき、中身を針で突いて出して食したり、アンダンスー(油味噌)の具にしたりした。この種の巻貝は川辺や田んぼにもいるが、これは泥臭くて食するには適さない。
♪大和口すしん 楽やあいびらん 御汝我んしちょてぃ 暮らしぶさぬ。
〈やまとぅぐち すしん らくや あいびらん うんじゅ ワンしちょてぃ くらしぶさぬ〉
明治12年(1879)4月4日、沖縄県成立。皇民化教育が徹底されて、日常生活で使われていた「沖縄口」は、全国的に通用しないとして封じ込められてきた。庶民は一から共通語を学習しなければならない。それは強引かつ強制的な方法で成されるに至って庶民は苦労を余儀なくされる。
こうした時代背景の中で、使い慣れた沖縄口で詠んだのが、前記の琉歌である。狂歌風だが当時の人びとの戸惑いが読み取られ切なさすら覚える。
歌意=無理やり、慣れない大和口(共通語)を使うのも楽ではありません。いままで通り「御汝=貴方。ワシ=私」と、親しみのある自分たち、沖縄口で会話をして暮らしたいものだ。
共通語を「大和口」。中国語を「唐口・とうぐち」。西欧語を「ウランダ口」と言ってきて、それはいまでも生きている。
「つれづれ・いろは歌留多」シリーズは、単なることば遊びに過ぎないが、その中から一つでも「沖縄口」に接して、地方語の妙味を感じ取っていただければ望外。沖縄語は日本語の中の立派な地方語である。
※9月中旬の催事。
*大東宮祭2013(北大東島)
開催日:9月22日(日)~23日(月)
場所:村内全体
*さらはまミャークヅツ(宮古島市伊良部島)
開催日:9月25日(水)~28日(土)
場所:ブーンミャ