旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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子年がやってきた

2020-01-01 00:10:00 | ノンジャンル
 十二支が始めに戻った。
 日本風には、*子(ね)*丑(うし)*寅(とら)*卯(う)*辰(たつ)*巳(み)*午(うま)*未(ひつじ)*申(さる)*酉(とり)*戌(いぬ)*亥(い)と漢字を当ててい、中国読みをすれば、
*子(し)*丑(ちゅう)*寅(いん)*卯(ぼう)*辰(しん)*巳(し)*午(ご)*未(び)*申(しん)*酉(ゆう)*戌(じゅう)*亥(がい)としているそうな。
 それをまだ、読み書きが一般的でなかった時代、庶民が覚えやすいようにと、*鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、未、猿、鶏、犬、猪にしたという。
 蛇足ながら、沖縄読みをすると、
 *にぃ・うし・とぅら・うー・たち・みー・んま・ふぃちじ・さる・とぅい・いん・ゐーと発音する。

 十二支は世界で使われているかというと、そうではなく仏教国、主にアジア圏の慣習のようだ。その国とは日本を始め中国、台湾、韓国、チベット、タイ、ベトナム、ロシア(一部)、モンゴル、ベラシールなどなどといわれるが、今日でも使用されているかどうか、興味深いところ・・・。
 成り立ちについては、古代インドで仏を祀る十二宮に仕える十二獣のことと伝えられる。
 西洋では、天文学の発達にともない「星座」を生れ年に当てたりしているのはおもしろい。

 ではなぜ、数いる獣の中で「子・ねずみ」が先頭なのか?
 これについては昔ばなしがある。

 昔々。人間も仲よく暮らしていたころの大昔。
 この世を支配する天帝から呼び出しがかかった。
 「今日より10日後の日の出までに天宮に集まるように」。
 それを知った牛は(自分は足が遅いから、早めに出かけなければならない)と、期限の5日前から歩みだし、天宮に向かった。鼠は鼠で(私は長距離に弱いから)と、これまた早めに出掛けた。心掛けのよい牛と鼠。道中で出逢った折り、牛が言った。
 「鼠さん、鼠さん。あなたの足では遠い天宮までは辛かろう。わたしの背中にお乗りなさい。どうせ行く先は同じなのだから」
 「そうですか。ご親切に。そうさせてもらいます」
 鼠は牛の角につかまり、ゆられながら天宮に向かった。他の獣たちも、それぞれの都合、脚力に合わせて遅刻しないよう出掛けることだろう。
 さて。
 天帝が定めた時刻になった。
 牛は「わたしが一番乗りだ」とゴールインしようとした時、ひょいと牛の背中から飛び降りた鼠、実に鼻の差で「一番乗り」を認められた。牛は2番目。さらに(一夜にして千里を走る)といわれる虎が3番目、4番目に到着したのは、これまた足に覚えのある兎。こうしてゴール順に12番目までが十二宮の守護を拝命することになったとサ。

 はたまた。
 鼠が十二支に入っているのに、どうして「猫」が入っていないのか?これにも深い事情がある。
 猫と鼠。大昔は家に居ついたモノ同士、実に仲よく暮らしていた。
 天帝からの呼び出し日時をつい聞きそびれた猫は鼠に訊いた。
 「鼠よ鼠。集合日はいつの何時だったか教えておくれっ」
 それに対して茶目っ気をだした鼠、一日遅れの刻限を教えた。別に他意はなかったのだが・・・。
 猫はそれを聞いて安心し、(まだまだ日にちもある。ゆっくりできるわいっ)と、たかをくくり、温かい竃の傍でぬくもり、十二分に居眠りを養った。そして、鼠に教えてもらった日時に天宮に出掛けた。ところが、期限は昨日のこと。遅刻なぞというものではない。他の動物たちには笑われるし、天帝からは大目玉をくらうし、散々な目にあった。
 「鼠奴っ!オレに一日遅れの制限を教えやがってっ!許せんっ!」と、怒り狂った猫は以来、鼠を終世の(敵)としたとサ。

 昔ばなしはこれくらいにして・・・・。
 小生は十二支を幾度回しただろうか。12に幾つ掛け算すればよいか?還暦を済まして結構、年数を経た。思ってみても正直、恐ろしい時間が経っている。もう、自分の年齢を数えるのはよそう・・・・。
 『正月や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし』
 なぞと(わび・さび)にひたるか、それとも、
 『老いぬれば頭は禿げて眼はくぼみ 腰は曲がりて足はひょろひょろ』
 と言いつつも、世にはばかってみようかなぞと思いつつ、自分なりの子年を開幕した。


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