旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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誰にも言わないでねっ

2018-07-20 00:10:00 | ノンジャンル
 秘密めいた話を小耳にはさむと、誰かに話したくなるのは人情だ。まして「誰にも言わないでねっ」と前置きされて聞くはなしは(絶対言わないっ。口が裂けてもっ)と約束しながら、物言わぬは腹膨るる思いなりで、いずれ誰かに話してしまう。人間、もともと意志薄弱なのかも知れない。
 万葉集の1首にも、‟忍ぶれど色に 出にけり我が恋は ものや思うと人の問うまで”とあって、本人でさえ(誰にもさとられまい!誰にも言うまい)と胸にしまうなだが、えってそれが顔色に出て他人の知るところとなる例が少なくない。
 西洋にも「一人に話したことは即日、百人が知る」という諺があって、まさに、1度口から出したものは2度と飲み込めない道理である。
 日常でもよくある会話だが、誰かが「キミも知っているA雄ね。妻子もありながら・・・いやいやいや、この話は聞かなかったことにしてくれ」。そう打ち明けられると、蛇の生殺しで、どうしても真相を聞きたくなる。
 「知らなければそれでよかったものを、キミが口火を切ったことだ。ちゃんと結末まで言えよ。言えないことは初めから口にするなっ」と口論になり、不仲になって(信用失墜)したという例を私は知っている。愛嬌程度で済まされればいいのだが・・・・。

 琉球狂歌にいわく。
 ◇聞かさんぱすしや ゆくん聞ちぶさぬ 見しらんぱすしや 開らち見ぶさ
 《ちかさんぱ すしや ゆくん ちちぶさぬ みしらんぱ すしや ふぃらち みぶさ

 歌意=聞かせたくないとする話は、余計聞きたくなる。見せまいとするモノは、強制的にでも開いて中身をみたい。
 *聞かさんぱー=語ることを拒むさま。*見しらんぱー=見せたがらないさま。

 久保田吉盛(くぼた きちせん)作詞作曲の「誰にん言なようやー・誰にも言うなよ」は、饒辺勝子が歌ってヒットした俗謡だ。バックメンバーがまたいい。
 三線=久保田吉盛。前川守賢。ギター=知名定男。マンドリン=知名定照。ベース=玉城守。ピアノ=玉栄昌昭。Eギター=照屋林賢。
 
 ♪親にん誰ぁにん言ららんしが 汝ぁんかいどぅ 頼まりる
  やしがよー 誰にん言なよーやー 語んなよー

 歌意=親にも誰にも言えないことを、親友の貴女一人に語るのだ。頼りにするのだ。けれどもこのことは誰にも言わないで!語ってはならないよ。

 ♪我が思い アリ(彼氏)に打ち明きてぃとぅらしぇー 
  やしがよー 誰にん言なよーやー 語んなよー

 歌意=私が彼に好意をもっていることを、あなたから彼に告げてはくれまいか。自分では告白できないのよ。けれども、他人には知れないようにね。

 ♪またとぅ無らん 我が頼み 恩義や何時までぃ 忘らんくとぅ
  やしがよー 誰にん言なよーやー 語んなよー

 歌意=またとない!2度となかろう私の頼みごと。その恩義は一生わすれないから。けれども誰にも言わないでね。語らないでね。

 ♪恥かさ恥かさ そーちーねー 思いや何時までん 届かんむん
  やしがよー 誰にん言なよーやー 語んなよー

 歌意=羞恥心にまけて何にも言わないと、想いは彼に届かない。だからお願いするのよ。けれども誰にも言わないでね。語らないでね。

 ♪ありくり 誰にん寄しららん 女ぬ年頃なてぃくりば
  やしがよー 誰にん言なよーやー 語んなよー

 歌意=(恋をしたから)といって誰にも彼にも話すわけにはいかないのが、年頃になった女心。分かるでしょう?けれども、恋の橋渡しをしたなんて、誰にも言わないでね、他言しないでね。

 高校2年生だった。
 与那嶺忠雄という友人が他校の女生徒に一目惚れした。ケータイもスマホもないどころか、固定電話も一般家庭には普及していない時代。「告白」は相手に面と向かってするか、ラブレターに頼る他はない。与那嶺はボクに泣きついてきた。
 「ラブレターの代筆を頼む。しかし、そのことはハップがさないでくれ」。
 つまり、誰にもバラさないで・他言無用、内緒で頼む!ときた。
 ボクは興味深く約束し、月に3度ほどのラブレターを代筆し、それが功を奏して、二人の恋は成就した。与那嶺には学校前の「なかよし食堂」の沖縄そばを奢ってもらった。
 ボクは口が固いので知られている。
 以前はボクにも秘密の恋ばなしも多々あったが、噂があっても誰の口にものぼらないということは、逆に味気ないもの・・・。いまかららでも「誰にも言わないでッ!」の噂を立てたいと願望するのだが、なにしろ相手探しが困難だ。この先、生きているうちに1度は人知れず言ってみたいセリフがある。
 「ボクの最後の恋人になってはくれまいか」。


待ち受け画面は何?

2018-07-10 00:10:00 | ノンジャンル
 「ケータイやスマホの待ち受け画面には、誰がいる?」
 「年代にもよるだろうが、旅先で撮った名所旧跡や家族、年配者は孫、飼っているペット。若い子たちは時代のアイドルとさまざま。一般的には風景写真が多いのではないか?」
 「キミの待ち受け画面は?」
 「妻とのツーショット!」
 そう答えてポケットから出したスマホの画面は、確かにボクも見知っている彼の妻女。実物より数段良好に写っている。ボクは、とたんに、沈黙するとともに、心の中でつぶやいていた。
 (なるほど。そうしておけば何時、妻女に覗かれても無難ってわけか。ボクはキミがいま、つき合っている彼女を知っているぜ)。
 かく言うボクのそれはどうか。
 親しくしていた画家・陶芸家與那覇朝大(よなは ちょうたい・故人)が「ゆかる日まさる日さんしんの日」のために描いてくれた、縦の三線の棹部分に、真紅の島アカバナー(ハイビスカスの1種)をデザインしたそれだ。背景は紺碧の沖縄の空。ケータイの機種は替えても、それだけは変わらない。
 (またまた!いい人ぶってっ)の声がそこいらから聞こえるが、そう、ボクは(いい人)なのである。

 ケータイ、スマホの登場以前も好きな人の写真を持ち歩くそれはあった。ボクが雑誌から切り取り、手帳に忍ばせていたのは歌手・日野てる子のカラー写真だった。
 日野てる子は昭和40年に、ハワイアン風の歌謡曲「夏の日の思い出」を歌って世に出た。芸能界に生きる、殊に女性にありがちなけばけばしさがなく、逆に言えば、清々しさに惹かれて、ついには(切り取り)行為に及び、手帳に挟み、常に行動をともにしていたのである。いまなら、手帳から抜け出し(待ち受け画面)で笑顔を交わしていただろうが、いつの間にかテレビからもラジオからも彼女は消え去り、いや、ボクの手帳からも行方知れずになって久しい。どこでどうしているのやら・・・・。

 (思いびと)の姿絵を持つのは、古くからあったらしく、琉歌の中にもそれが読みとれる。もちろん、上流社会でのことだろうが。

 ♪絵に描ちゃい置きば 面影やあしが 物言い楽しみぬ無らん寂びさ
 《ゐに かちゃゐ うきば うむかじや あしが むぬい たのしみぬ ねらん さびさ

 歌意=思いびとを絵姿にしておけば、いつも面影をともにすることができる。けれども絵は所詮絵。会話を楽しむことができない寂しさ、辛さが増す。
 理解できるのではないか。
 ひとを思慕するとは、そうしたものだろう。

 けれども今日では(絵姿)なぞという言葉すら、時代小説の中でしかお目にかかれない。スマホなぞにはおろか、動画なるものがあって、姿も声も見聞きできるときいている。ボクは未だにガラケイ。動画は及びもつかない。
 「スマホにしたら!」
 しきりに周辺から薦められるのだが「電話とメールで十分!と、手を出さずにいる。本音は持ちたいのだが、操作が複雑、かつ面倒を理由にして敬遠。つまるところ、己の不器用さを隠れ蓑にしているのである。

 スマホと云えば。
 「スマホ社会になって皆、手元は見るが、足元を見ていない」。
 うまいところをついている。確かにどこでもかしこでも、スマホを持つ手元ばかりを見て、肝心な足元がおろそかになっているようだ。そのせいか家族や仲間同士、いや、恋人同士のコミュニケーションすら希薄になっているとか。それが習慣になると(スマホ砂漠)に生きなければならなくなるのではないか。スマホのコンビニエンスの仲間に入れないボクは、実に的外れの理由を、あたかも社会を憂慮する評論家になって、己を正当化するのである。
 「IT時代。世界の隅々の事柄をオンタイムで知ることができる。世界の人びとと仲良くすることができる。反面、自分の足元の事柄の見聞を後回しにすることはないか」。
 これまたITをこなせない恨みによる批判か。
 とかく、屁理屈をこね回すことに終始しているボクがいる。
 近くを見て遠くに思いを馳せるか、遠近同時に知識を収集して、独自の世界観とするか。まずはこれらの(取り扱い・操作方法IT入門)から始めようと、思う分には思ってはいるボクである。

 目の前のガラケイが振動している。中学生の孫からのメールだ。「夕刻、我が家に来る」という。夏休み前、小遣いが要るのだろう。ボクのへそくりはいくらあるかな。すぐさま財布具合を確かめてみよう。


楽聖・野村安趙のこと

2018-07-01 00:10:00 | ノンジャンル
 私の知っている親交ある歌者。古典音楽・島うたを問わず、煙草を日常的に吸っているひとはひとりもいない。もっとも、以前は喫煙者だったが皆、禁煙に踏み切っている。
 「喉によくない」。
 このことに気付いての「決断」だと、異口同音に言う。ヘビースモーカーを自認する私に強がりを言わせれば「なぜ愛煙していたモノをやめるのか。喉によくない程度で見捨ててしまうのか。その辺がよく納得できない」のである。
 根性がちょいと曲がっている私は、彼らに「ひ弱な喉だなぁ」なぞと悪態をつきながら、これ見よがしに消したばかりの煙草を直ぐに新しいそれを指にして火を点ける・・・・。そのせいか歌者の友人知人が少なくなった・・・ような気がする。相手が歌者であることを心得るべきだと思うのだが・・・・。

 琉球音楽野村流の始祖・野村親雲上安趙(のむら ぺーちん あんちょう)は、宮廷の音楽座に着くや喫煙どころか食事にも制限を加えたという。
 宮廷音楽の理論ばかりでなく(声楽家)としても有名を馳せた彼は煙草は言うに及ばず生姜や山葵など、とかく喉を刺激するモノは一切、口にしなかったという。その徹底ぶりを示す小話がある。

 ある時、今帰仁王子朝敷(ちょうしき)邸に祝い事があって野村安趙も招待を受けた。王府の高官が居並ぶ座敷の一人ひとりの前には、一の膳、二の膳に始まり五の膳、七の膳と馳走が出てくる。歴々の高官たちは、その馳走を褒めながら、舌鼓を打っているのだが、野村安趙ひとり、吸い物を飲んだだけでなく、他の馳走には箸をつけない。それに気付いた宜野湾王子。琉歌でもって野村安趙に膳を奨めた。いわく。

 ◇少ふぃやてぃん野村 肝どぅやん思むてぃ 口先にでんし みしょち給り
いふぃやてぃん ぬむら ちむどぅやん とぅむてぃ くちさちにでんし みしょち たぼり

 歌意=野村よ。ちゃんとした包丁人が真心を込め、腕をふるった料理の数々だ。好き嫌いもあろうが、ひと箸でも口にしてはもらえないか。
 王子からすれば野村はもちろん臣下・家臣。身分の上下があるにも関わらず「みしょちたぼり・召し上がって下さい」と敬語で奨めている。そう直接言われて野村安趙「では頂きます」と箸を取ったかどうか、この小話にはその後の結末は語られていない。
 野村安趙はそれほど口にするモノに留意したという逸話だが、ものの本には詠み人宜野湾王子朝敷とあるから(そうである)と決めた方が面白みがある。

 野村安趙について少し記す。
 ◇野村安趙=1805年(文化2)6月2日~1871年(明治4)7月2日。野村家9世安美(あんび)の長男として首里赤平(あかひら)に生まれた。音楽を宮廷音楽家知念積高(ちねん せっこう)に学び、後の安冨祖流の始祖・安富祖正元(あふそ せいげん)と共に知念門下の俊才とうたわれた。尚灝王(しょうこう)、尚育王(しょういく)、尚泰王(しょうたい)の3代に仕え、音楽を担当した。
 尚泰王代=1866年(慶応2)。琉球国最後の公式行事「御冠船=うくぁんしん」の折り、歌師匠になり、踊りの地謡の指導をした。さらに尚泰王の命を受け、三線譜「工工四」の編纂に着手。高弟松村真信(まつむら しんしん=野村流松村風の祖)らの協力を得て、従来の掻き流し式を基盤罫にはめる方式を改め拍子・仮名の位置・速度を明確にし、上中下巻150曲を収録。1869年(明治2)に完成した。現行の「野村流工工四」の基本本である。

 話はもとに戻す。
 「歌三線に携わる者は、節制こそが第一である」。
 そう私に訓示してくださったのは、今年4月24日97歳の天寿を全うなさった野村流戦後の名人・人間国宝(琉球音楽)島袋正雄(しまふくろ まさお)師。
 ある会合で同席させていただいた際、吸っている私の煙草を取り、ひと口吸うと、含んだ煙をティッシュペーパーに吹きつけ「直彦クン。キミの肺の中には、このようにヤニで真っ黒だ。歌はないまでも、キミも喉を使う放送人だ。肺活量も落ちるし、いずれ悪声になりかねない。すぐにやめなさい」。
 「そうします」。
 きっぱりと返事したものだが・・・・。いまだに吸い続けているのは、人間修行に不足があるのだろう。
 煙草呑みは人類の敵とされ、差別されている昨今。本気で禁煙しようと思うには思う。が、同部屋にデスクをともにする放送パーソナリティ柳卓(やなぎ たく)に言わすれば「50年余、好んで吸ってきたモノを健康のためと急にやめると、今度はストレスが溜まって命を縮めますよ。快適に吸って長生きしてください」という。人間国宝島袋正雄説をとるか!柳卓に傾くか。
 思案しながら一服している自分がいる。