「1957年(昭和32年)に落成した沖縄タイムス旧社屋の基礎を支えた“琉球松”の杭を材三線を作ってみました。どうぞお気軽に奏でて下さい」。
2014年1月11日、琉球松の芯部を棹にした1丁の三線が沖縄タイムス社に赴いて見せてもらった。同社にとっては社歴を語る貴重な物件だけに社長室・社長豊平良孝氏の奥の木製の三線立てに堂々とそれは鎮座していた。
通常、三線の棹部分は密度が高く、しかも硬度のある黒檀やユシギなどが使われる。新城伸治氏と共に実際の製作に携わった同所相談役慶佐次興達氏は、「戦後このかた、沖縄の文化を支えた旧タイムスホールの地下に眠っていた琉球松500本をむざむざ廃棄するのはしのびない。担当者に相談して数本をゆずり受けた。もちろん、特殊な加工を施し、時間をかけて完成をみた。しっかりした味わいのある棹が生まれたと自負している。まだ数丁しか生まれてないが、タイムスホールゆかりの方々にもぜひ弾いてほしい。音色を確かめていただきたい」。
三線を作る・打つのではなく(生む)と言い切る職人の誇らしさが心に響く。
1丁1丁に魂を込めて生み出す三線は、それぞれが(世界で1丁)の琉球楽器だけに(生む・生まれる)という言葉が職人の(入魂)を伝えているように思えて感動的だ。
また、この琉球松はペーパーナイフや机、腰掛けなどに生まれ変わり、55年の歳月を経て、さらに“未来を拓く”という願いを込めて新社屋落成の記念品になり、多くの人たちに配られた。
この三線を社長室にじっと鎮座させて置くにはもったいない!。
2014年3月4日の第22回「ゆかる日まさる日さんしんの日」に借り受けて披露した。三線は引いて初めて三線。同ラジオ番組生放送中、歌者よなは徹には「まく弾ち・さんしん」を、八重山歌者大工哲弘には「やぐじゃーま」を弾歌ってもらった。
大工=三線は弾く人が選ぶのでなく、三線が弾き手を選ぶと言われているが、選ばれた私は幸せ者。念入りに弾いて歌ったら、不思議な力を導いてくれて、完璧に歌えた。棹は「ちょっと灰入がかった光沢が上品」。
よなは=森林にあった樹木ではなく、地中に眠っていた琉球松が音を出すと思うと緊張せざるを得なかった。新しい命のいい音色だった。
「ゆかる日まさる日さんしんの日」企画、実施している筆者は、これを勝手に「タイムス三線」と名付け今後、都度紹介してみようと思っている。
三線ばなし。
「里帰り三線」と名付けられた三線の棹を見ることが出来る。
沖縄県立博物館・美術館(那覇市おもろ町)において2014年2月18日~5月11日までの日程で開催中の「三線のチカラ~形と美と音の妙展」展示されている1丁の三線がそれだ。
*ハワイからの里帰り。
帰米2世の琉球古典音楽奏者で、米国の人間国宝に認定された故仲宗根ハリー盛松氏(1912~2011)が愛用した三線である。
仲宗根氏は1953年、ハワイで琉球古典音楽「盛風会」を立ち上げハワイのみならず米国、欧州、カナダなど各地で琉球三線音楽の普及に努めた方。年代ものの三線の収集家としても知られ、沖縄県指定有形文化財の富盛開鐘(とぅむい けーじょう=県立芸術大学蔵)も仲宗根氏の秘蔵品の1丁だった。
「里帰り三線」と名付けられた三線の棹は、与那城型(ゆなぐしく)。棹の下部、野坂(ぬざか)からチーガ=胴=のさらに下部の(尾WU・じゅー・糸掛けの部分が赤みがかっているところから自ら「尾アコー・WUアコー」と愛唱し、数10丁ある所有三線の中でも特に重宝して、大舞台にのみ弾いていたという。
この里帰り三線をハワイから持参し、県立博物館・美術館に手渡した仲宗根氏夫人で琉球舞踊家の渡具知光子女史は語る。
「機嫌のいい夜は、尾アコーを出して丁寧に弾き、そのまま抱いて就寝するくらいだった。生前、いずれは故郷沖縄県に寄贈するようにと、言いつかっていた。主人も尾アコーも里帰りができて心安らいでいるでしょう」。
県立博物館・美術館の学術員・園原謙主幹は「明治、大正期に製作されたものではないか」と、推測している。
*タイムス三線。里帰り三線。
三線は、人間同様生まれるべくしてこの世にある。殊に鑑定を受けて(年代物・名器)と認定された三線は、所有者とともに数奇な生き方をしてきたものが多い。名人が弾いた三線は。戦火を潜り抜けてきた三線。家宝として所蔵される三線。一家の慶事を記念した三線・・・。逆に興味本位で入手したものの、弾かずじまいで押し入れの番をしている三線も少なくない。そんな三線は(音を出したい!歌に乗せたい!)と夜な夜な泣いているのではなかろうか。三線は弾かずに置物にしているとチーガの張りが裂けたり、糸を巻いたカラクイが甘くなったりする。毎日とは言わないまでも三線は所有者とともに(呼吸)をしたがっている。三線の気持ちを察してあげたい。
♪ただ三筋糸や誰が掛きてぃ置ちゃが 思事ぬあまた我身に知らち
〈ただ みすじいとぅや たが かきてぃうちゃが うむくとぅぬ あまた わみに しらち〉
歌意=たった三筋の糸。誰が掛けて今に伝えたか。昨日今日明日の思いのたけを(弾く私)に知らせてくれる。
さあ、今宵は久しぶりに三線とともに(呼吸)をしてみることにする。
2014年1月11日、琉球松の芯部を棹にした1丁の三線が沖縄タイムス社に赴いて見せてもらった。同社にとっては社歴を語る貴重な物件だけに社長室・社長豊平良孝氏の奥の木製の三線立てに堂々とそれは鎮座していた。
通常、三線の棹部分は密度が高く、しかも硬度のある黒檀やユシギなどが使われる。新城伸治氏と共に実際の製作に携わった同所相談役慶佐次興達氏は、「戦後このかた、沖縄の文化を支えた旧タイムスホールの地下に眠っていた琉球松500本をむざむざ廃棄するのはしのびない。担当者に相談して数本をゆずり受けた。もちろん、特殊な加工を施し、時間をかけて完成をみた。しっかりした味わいのある棹が生まれたと自負している。まだ数丁しか生まれてないが、タイムスホールゆかりの方々にもぜひ弾いてほしい。音色を確かめていただきたい」。
三線を作る・打つのではなく(生む)と言い切る職人の誇らしさが心に響く。
1丁1丁に魂を込めて生み出す三線は、それぞれが(世界で1丁)の琉球楽器だけに(生む・生まれる)という言葉が職人の(入魂)を伝えているように思えて感動的だ。
また、この琉球松はペーパーナイフや机、腰掛けなどに生まれ変わり、55年の歳月を経て、さらに“未来を拓く”という願いを込めて新社屋落成の記念品になり、多くの人たちに配られた。
この三線を社長室にじっと鎮座させて置くにはもったいない!。
2014年3月4日の第22回「ゆかる日まさる日さんしんの日」に借り受けて披露した。三線は引いて初めて三線。同ラジオ番組生放送中、歌者よなは徹には「まく弾ち・さんしん」を、八重山歌者大工哲弘には「やぐじゃーま」を弾歌ってもらった。
大工=三線は弾く人が選ぶのでなく、三線が弾き手を選ぶと言われているが、選ばれた私は幸せ者。念入りに弾いて歌ったら、不思議な力を導いてくれて、完璧に歌えた。棹は「ちょっと灰入がかった光沢が上品」。
よなは=森林にあった樹木ではなく、地中に眠っていた琉球松が音を出すと思うと緊張せざるを得なかった。新しい命のいい音色だった。
「ゆかる日まさる日さんしんの日」企画、実施している筆者は、これを勝手に「タイムス三線」と名付け今後、都度紹介してみようと思っている。
三線ばなし。
「里帰り三線」と名付けられた三線の棹を見ることが出来る。
沖縄県立博物館・美術館(那覇市おもろ町)において2014年2月18日~5月11日までの日程で開催中の「三線のチカラ~形と美と音の妙展」展示されている1丁の三線がそれだ。
*ハワイからの里帰り。
帰米2世の琉球古典音楽奏者で、米国の人間国宝に認定された故仲宗根ハリー盛松氏(1912~2011)が愛用した三線である。
仲宗根氏は1953年、ハワイで琉球古典音楽「盛風会」を立ち上げハワイのみならず米国、欧州、カナダなど各地で琉球三線音楽の普及に努めた方。年代ものの三線の収集家としても知られ、沖縄県指定有形文化財の富盛開鐘(とぅむい けーじょう=県立芸術大学蔵)も仲宗根氏の秘蔵品の1丁だった。
「里帰り三線」と名付けられた三線の棹は、与那城型(ゆなぐしく)。棹の下部、野坂(ぬざか)からチーガ=胴=のさらに下部の(尾WU・じゅー・糸掛けの部分が赤みがかっているところから自ら「尾アコー・WUアコー」と愛唱し、数10丁ある所有三線の中でも特に重宝して、大舞台にのみ弾いていたという。
この里帰り三線をハワイから持参し、県立博物館・美術館に手渡した仲宗根氏夫人で琉球舞踊家の渡具知光子女史は語る。
「機嫌のいい夜は、尾アコーを出して丁寧に弾き、そのまま抱いて就寝するくらいだった。生前、いずれは故郷沖縄県に寄贈するようにと、言いつかっていた。主人も尾アコーも里帰りができて心安らいでいるでしょう」。
県立博物館・美術館の学術員・園原謙主幹は「明治、大正期に製作されたものではないか」と、推測している。
*タイムス三線。里帰り三線。
三線は、人間同様生まれるべくしてこの世にある。殊に鑑定を受けて(年代物・名器)と認定された三線は、所有者とともに数奇な生き方をしてきたものが多い。名人が弾いた三線は。戦火を潜り抜けてきた三線。家宝として所蔵される三線。一家の慶事を記念した三線・・・。逆に興味本位で入手したものの、弾かずじまいで押し入れの番をしている三線も少なくない。そんな三線は(音を出したい!歌に乗せたい!)と夜な夜な泣いているのではなかろうか。三線は弾かずに置物にしているとチーガの張りが裂けたり、糸を巻いたカラクイが甘くなったりする。毎日とは言わないまでも三線は所有者とともに(呼吸)をしたがっている。三線の気持ちを察してあげたい。
♪ただ三筋糸や誰が掛きてぃ置ちゃが 思事ぬあまた我身に知らち
〈ただ みすじいとぅや たが かきてぃうちゃが うむくとぅぬ あまた わみに しらち〉
歌意=たった三筋の糸。誰が掛けて今に伝えたか。昨日今日明日の思いのたけを(弾く私)に知らせてくれる。
さあ、今宵は久しぶりに三線とともに(呼吸)をしてみることにする。