旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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歌は庶民の力“新汀間物語”公演

2012-04-20 00:00:00 | ノンジャンル
 名護市汀間〈ていま〉は、半農半漁の静かな集落である。
 かつて琉球王府時代は国頭間切に属し、やはりいまと同じ色をした風が吹き、人びとは平穏な暮らしをしていた。そこへ請人の官位にある王府役人が、役目を持ってやってきたことから、集落に蜂の巣を突ついたような“恋騒動”が持ち上がった。
 ちなみに『請人=うけにん。うきにん』とは、王府の御用品を調達する役人。地方に出張することが多かった。
 『恋騒動』の顛末はこうだ。

 ある年、御用品調達のため汀間村にやってきたのは若い請人神谷厚全〈こうぜん〉。当時の慣習通り、村の頭役宅に寝食し役目に励んでいたが、滞在中の身の回りの世話に就いたのは村一番の美しい娘カナー。彼女は目がパッチリとした美形だったことから、近隣の若者たちからも『丸目〈まるみー〉カナー』と呼ばれ、人気の的だった。
 ひとつ屋根の下に若侍と村一番の女童が10日、20日と時を共にすればどうなるか。どちらからともなく“憎からず”思うようになった。日が暮れるとふたりは、汀間村と安部〈あぶ〉村の境にある兼下〈かねした・カヌチャ。河下とも書く〉の浜辺に下りて、人目を忍ぶ恋を語らうのだった。
 しかし、丸目カナーには親同士が決めた許婚者〈いいなずけ〉カマデー青年がいた。心休まらないのはカマデー。けれども、身分が物をいう時代のこと。百姓青年が首里役人の神谷に抗議することは叶わない。悶々とするカマデーを見かねた村人は一計を案じた。
 「いくら上役人と言えども、人の許婚者にちょっかいを出すとは、あまりと言えばあまりではないか。よしッ!役人に身分という権力があるならば、われわれ百姓には、歌三線という武器がある。請人神谷と丸目カナーとの理不尽な恋の所業を歌にして流行らせ、世論?に訴えようではないかッ」
 歌三線をよくする者によって歌詞は詠まれ、節がつけられて、その抵抗?の歌はたちまち老若男女が歌うようになった。困惑したのは役人神谷である。
 「首里を遠く離れているとは言え、出張先での恋騒動が首里の上役の知れるところとなれば免職だけでは済むまい。丸目カナーとは確かに恋の語らいはしたが、それ以上ではなかったことを村人に理解してもらおう」
 神谷厚全は、すぐにカマデー、丸目カナーはもちろんのこと同行の役人、村頭や汀間村の人びとを集めて弁明、謝罪した。本人ふたりと村人に得心してもらった神谷厚全は、その場で青年カマデーと丸目カナーの縁を自らの手で結ばせて、恋騒動に治まりをつけたのだった。庶民の歌は、権力者の剣を折ったのだ。
 このいきさつは「汀間節=てぃーまぶし」「汀間とぅ小」の節名で、現在でも好んで歌われている。さらに「汀間節」は、上間正雄の筆により沖縄芝居になって好評を得た。
       
         汀間当の碑

 上間正雄〈明治23年~昭和46年〉は那覇市出身。沖縄県立中学校在学中から詩や詠歌に没頭。同人雑誌「雑草園」を発行。一時、上京するが帰京後は夏鳥、梅泉、政敏等々の筆名で新聞や雑誌に文芸、美術、芸能などの評論や創作を発表。特に東京の『三田文学』に連載された戯曲「ペルリの海」は、沖縄の近代戯曲として評価が高い。さらに琉球新報歌壇の選者、琉球新報記者、沖縄時事新報記者、そして戦後、沖縄タイムス編集長を歴任したジャーナリストであり劇作家、その世界に名を残している。
 さて。
 上間正雄の処女作とされる「汀間物語」が舞台に掛かる。
 北村三郎・芝居塾「ばん」の第11期公演の切り狂言に「新汀間物語」と題して上演される。公演は、来る4月29日(日)午後6時30分。場所は、沖縄市民小劇場“あしびなー”。案内のチラシには“素人・玄人!百花繚乱!熱意を結集した豪華?花の競演!”“芸は素人!やる気は玄人!バンバンやるぜ!ばんシンカ!”“美男美女の「ばん」面々! 11年目の芸能花舞台”の謳い文句が躍っている。プログラムは、客員のベテラン役者連の舞踊、芝居に加えて、パリコレクションならぬ、かつての琉球庶民の着衣を中心にした『ばんコレクション』『若い島うた』『ひとり闘牛』などが組まれている。
 芝居塾「ばん」は公務員、会社員、主婦、自由業、教師、学生等々の20名ほどが、毎週木曜日に沖縄市文化芸能館の一室に参集。沖縄語を勉強する集団。なぜ素人連が芝居を仕込むのか。芝居の脚本には、沖縄語が活き活きと生きている。その脚本の文字に、演じることで“音声”を加える。これ以上の言葉の勉強、実践はあるまい。
 この「ばん」の活動を支援、協力しているのが沖縄芝居のベテラン仲嶺真永はじめ、演劇集団「いしなぐの会」の當銘由亮、高宮城実人、知名剛史。舞踊家座喜味米子、具志幸大らの客員で毎回、塾生のつたない演技を補っている。
 11年目の「ばん公演」。よろしければ覗いて見ませんか。

   ※お知らせ!

  
 *ばん塾11期公演
  日時:2012年4月29日(日) 午後6時30分開演
  場所:沖縄市民小劇場 あしびなー
  入場券:2000円
  問い合わせ先:(有)キャンパスレコード
         TEL:098-932-3801
         あしびなー:098-934-8487

   
  

県民愛唱歌“てぃんさぐぬ花”

2012-04-10 00:06:00 | ノンジャンル
 “ていんさぐぬ花や 爪先に染みてぃ 親ぬ寄言や 肝に染みり
 読み*爪先=ちみじゃち。ちみさち。*染み=すみ。親=うや。*寄言=ゆしぐとぅ。意見。教え。
 歌意=赤い鳳仙花の花びらでは、爪先を染めておしゃれをしよう。同じ“染め”であっても、親の教えや意見は深く心に染めおいて、人生の指針・教訓としよう。
 “親の意見と茄子の花は 千にひとつの仇はなし

  
    ホウセンカ
 2012年5月15日。
 沖縄県は日本復帰を果たして40年目の節目を迎える。県はその記念事業の一環として「県民愛唱歌」を選定。“てぃんさぐぬ花”が選ばれたことを3月18日に開催された「沖縄国際アジア音楽祭で発表した。
昔から各家庭や学校などで、ごく普通に歌われてきたこの歌は、冒頭の歌詞を歌い出しとしているが、詠み人は知らず。その後、市井の人によって詠まれた歌詞も多々。近年になって同節はレコード化されるに至り、歌詞カードを付けなければならず1番2番、そして3番4番と歌順が固定されている。本来ならば、口ずさむ本人も自らの詠歌を楽しんでいたようで『われわれは、こんな歌詞も歌っていたよ』と、レコードやCDには記されていない琉歌を歌って聞かせてくれる年配者も少なくない。
 「親ぬ寄言」は、生活観や地域性によっても成り立ちが異なるのは当然だろうから、歌詞が多々あっても不思議はない。従って、今日的世情に添って人の世を詠み、同節に乗せて歌ってもよいと考える。むしろ、その方を個人的にはお勧めしたい。この歌が県民愛唱歌に選ばれた大きな要因は、八八八六の30音の琉歌体を崩さず、沖縄語に徹していることにもあると言えよう。
 作曲家も定かではない。しかし、8小節にまとめた作曲法は、少なくとも音楽に通じている人によるもの。なにしろ、短く覚えやすい。およそ流行り歌というものは作詞者、作曲者がはっきりしていないところに「妙味がある」と言い切るのは、屁理屈にすぎるだろうか。
 1月から2ヵ月かけて県が実施したアンケートの回答は2218件。「てぃんさぐぬ花」は、総件数の内の18.7%〈414件〉を占めて1位。音楽関係者や県職員で構成された選定委員会は「アンケート結果のほか、県民や海外移住者に長く歌い継がれていることや、沖縄の言葉で歌われていること」などを評価している。
 ランキング・トップ10はつぎの通り。
 (1)てぃんさぐぬ花 (2)島人ぬ宝 (3)芭蕉布 (4)涙そうそう (5)島唄 (6)安里ユンタ (7)花 (8)童神 (9)おじー自慢のオリオンビール (10)ハイサイおじさん
 ちなみに「てぃんさぐぬ花」以上に三線のある所では、毎日のように歌われている祝儀唄「かぢゃでぃ風節」は「谷茶前節」など8曲と同位の42位。「君が代」が43位にランキングされているのには、いささか戸惑いを覚える。
 
てぃんさぐという植物はツリフネソウ科の一年生草目。宮古島の方言では「ティンジャク」。八重山方言「キンジャク」。奄美方言「トッサク」とそれぞれ異なるが、古い和名は「爪紅=つまべに・つまくれない」と称することを、辞書に見ることができる。江戸小節にも『大川堤に爪紅の花が咲き、女童たちが花びらを摘み、爪先を染めて遊ぶ季節になった。江戸はもう春である』という表現を久しく前に読んだことがある。いまは鳳仙花で通っている。

 ホウセンカは高さ30~60センチ。茎は柔らかく楕円形で下部が膨らんでいる。細かい鋸〈のこぎり〉の歯のような長楕円形の葉をつけ、夏から秋にかけて、葉のわきに直径2センチほどの花をつける。花の色は赤のほかに桃色や白がある。果実の一種の朔果〈さっか〉は卵状楕円形。つまり、種子を包む子房が2室あり、熟すると果皮がはじけて種子を四方に飛ばす。これはアサガオやユリにも見られるそうな。インドやマレーシアを原産地としている。鑑賞、教材用として親しまれているが、栽培種にはアフリカホーセンカ、ジャワホーセンカなどがある。 
      
        ホウセンカ  
 去年の4月初め、那覇市首里の末吉公園で見つけた赤い花は「これがアフリカホーセンカ」と、同行した植物に詳しい友人に教えられた。丁度、いまが時期のティンサグの花である。陽光を浴びながら野辺を散策してみるといい。ティンサグの花があなたを待っているにちがいない。

  ※お知らせ!

  
 *ばん塾11期公演
  日時:2012年4月29日(日) 午後6時30分開演
  場所:沖縄市民小劇場 あしびなー
  入場券:2000円
  問い合わせ先:(有)キャンパスレコード
         TEL:098-932-3801
         あしびなー:098-934-8487




沖縄=県令・知事・主席。そして知事 その21

2012-04-01 01:34:00 | ノンジャンル
 琉球が一国を成し、舜天〈しゅんてん〉が王位に就いたのは1187年。日本では源頼朝が鎌倉幕府を開いたころである。
 以来、琉球は按司時代、三山時代、中山時代を経て、第二尚氏尚泰〈しょう たい〉を最後の国王とし、日本国に組み入れられて明治時代を迎えた。そして[沖縄県]の成立をみる。明治12年〈1879〉4月4日のことである。明治政府が任命した県令・知事によって県政はなされ、それは昭和20年〈1945〉まで続く。就任した県令・知事名をあらためて列記してみよう。沖縄の近代政治が見えてくる。[]内は在任期間。

 ◆県令
 ※初代鍋島直彬[2年] ※2代上杉茂憲[2年] ※3代岩村通俊[8ヵ月] ※4代西村捨三[2年8ヵ月] ※5代大迫貞清[3ヵ月]

 ◆官選知事
 ※初代大迫貞清[9ヵ月] ※2代福原実[1年5ヵ月] ※3代丸岡完爾[4年] ※4代奈良原繁[16年] ※5代〈大正に入る〉日比重明[5年] ※6代高橋琢也[1年] ※7代大味久五郎[2年] ※8代小田切磐太郎[6日・赴任せず] ※9代鈴木邦義[3年] ※10代川越壮介[2年] ※11代和田潤[2年5ヵ月] ※12代岩元禧[1年8ヵ月] ※13代亀井光政[2年] ※14代今宿次雄[8ヵ月] ※15代〈昭和に入る〉飯尾藤次郎[1年6ヵ月] ※16代細川長平[7ヵ月] ※17代守屋磨瑳夫[1年] ※18代井野次郎[5年] ※19代蔵重久[3年] ※20代淵上房太郎[2年6ヵ月] ※21代早川元[2年6ヵ月] ※22代泉守紀[2年6ヵ月] ※23代島田叡[5ヵ月]

 ◆米軍統治下
 ※沖縄民政府任命知事・志喜屋孝信[4年7ヵ月]
 ※沖縄群島知事・平良辰雄[4ヵ月]
 ※臨時琉球中央政府行政主席・比嘉秀平[1年]

 ◆琉球政府行政主席。
 ※初代比嘉秀平[4年6ヵ月] ※2代当間重剛[3年] ※3代大田政作[5年] ※4代松岡政保[4年] ※5代屋良朝苗[公選・3年5ヵ月]

 ◆本土復帰後・公選知事
 ※初代屋良朝苗[4年] ※2代平良幸市[2年5ヵ月] ※3代西銘順治[12年] ※4代大田昌秀〈平成に入る〉[8年] ※5代稲嶺惠一[8年]。
そして、第6代は平成18年〈2006〉12月10日の選挙で当選。さらに平成22年〈2010〉11月28日の選挙で再選された現職仲井間弘多。
 こうして見ると、明治12年〈1879〉の沖縄県誕生から太平洋戦争終結に至るまでの県令・知事は、すべて他府県出身者=28名。県人が主席・知事に就いたのは戦後のこと。

 ◆現職知事
 ※仲井眞弘多〈なかいま ひろかず〉昭和14年〈1939〉大阪市に生まれているが、本籍は那覇市久米町。
 昭和36年〈1961〉東京大学工学部機械工学科卒業。当時の通商産業省に技官として入省。沖縄開発庁沖縄総合事務局通商産業部長、通産省機械情報産業局通商部長、工業技術院総務部技術審議官などを歴任。官僚時代にイタリア留学。ニューヨーク勤務3年の経験がある。
 昭和62年〈1987〉、民営化を目前にした沖縄電力の理事。平成2年〈1990〉に、当時の大田昌秀知事のもと副知事に就任しているが、退任後は沖縄電力に復帰して社長、会長職に就いた。
 平成18年〈2006〉自民党、公明党の推薦で知事選挙に出馬。野党の推薦・支持する糸数慶子を押さえて初当選。仲井間知事は県内保守派にあるが、沖縄が抱える基地、歴史をはじめ諸問題については、地元の立場を強く主張し、政府の施策に対しても『譲れないものは譲れない』という姿勢を堅持している。

 公立高校の歴史教科書から「旧日本軍の住民への集団自決強制の記述削除」などの教育問題、日米合意を盾に強行しようとしている基地問題、米軍による凶悪犯罪の頻発。これでもかこれでもかと『飴と鞭』で攻め立ててくる日米政府・・・・日本国の1県である沖縄だけが、アジアの平和・日本国民の安全、安寧を守るための軍事的最前線に置かれて苦渋しながら、2012年5月15日『復帰40年』を迎える。

 俗語に「なてぃぬ あんましむのぉ 按司〈あじ〉地頭」がある。
 王府時代の高役職[按司・地頭]に就くために研鑽したことだが、志叶ってその地位に就いてみれば、これほど苦悩が多く、割に合わない地位はないと訳することができる。
しかし、いつの時代も誰かが按司、地頭にならなければ時代は動かない。
 『沖縄=県令・知事・主席。そして知事』シリーズは今号で終わる。

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