旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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いまに大きくなったら!

2014-07-22 14:01:00 | ノンジャンル
 爺=ボクは、大きくなったら何になるの?
 孫=う~ん・・・・。飛行機の運転手!
 爺=そうか。ウンウン!飛行機のパイロットか。
 孫=ウン。そうしたら、ジージーを乗せてどこへでも連れて行ってあげる!
 爺=そうか。どこへでもか。
 どこの家庭にもある爺と孫の会話である。爺、孫にとって至福のときと云えよう。心の中がなごやかに熱くなって、孫をギュッと抱きしめたところで、嬉々とした孫の声。
 孫=爺は、大きくなったらナニになるの?
 爺=う~ん・・・・。
 しばし考えたあと、爺は真顔で答えた。
 爺=・・・・仏さま・・・。
 すると孫は「イヤダッ!ほとけさまなんてイヤダッ!」と泣いた。
 この孫は、半年前に大好きな婆を亡くしたばかりだった。仏さまになることがどう云うことか、この孫には分かっていたのだろう。高齢者社会の1コマを見ることができる話。いずれは(仏さま)になる自分をつい正直に云ってしまった爺には、孫の(イヤダッ!イヤダッ)が、嬉しくも切なかったのではなかろうか。
 幼少のころ「大きくなったらナニになるの?」は、誰にでもある問いかけだろう。読者諸賢は何と答えていただろうか。それは世代によって異なるだろう。筆者はどうか。親や祖父祖母の期待に添うようなことを云って歓ばれたような気がするが、それは何だったのか遥か遠い時間の向こうのことで、記憶から薄れてしまっている。

 いまの子どもたちの(将来、なりたいもの)は何だろう。
 第一生命保険が行ったアンケート調査結果がここにある。引用させて戴く。
 ※[大人になったらなりたいものベスト10]
 7月4日発表によると「お医者さん」が1989年の調査開始以来、初めて女子3位(前回4位)に浮上した。第一生命は、東日本大震災を経て「命を救う職業への関心が一段と高まっている」と分析している。女性の医師を主人公にしたテレビドラマが人気だったことも背景にはあるとみられ、ベストテン上位の常連「看護師さん」を初めて上回った。
 「お医者さん」は、男子でも前回の9位から6位に順位を上げた。「消防士・救急隊員」が初めて男子3位(前回10位)に上昇したことも、人助けへの関心の高さをうかがわせた。
 第一生命は全国の幼児や小学生らを対象に、昨年7~8月にアンケートを実施。1100人の回答を集計、分析した。
 一覧にしてみよう。
 《男子》
 1位=サッカー選手。2位=野球選手・同位食べ物屋さん。3位=消防士・救急隊員。同位学者・博士。6位=お医者さん。7位=電車・バス・車の運転手。8位=大工さん・同位テレビアニメ系キャラクター・警察官・刑事。
 《女子》
 1位=食べ物屋さん。2位=保育園・幼稚園の先生。3位=お医者さん。4位=学校の先生(習い事の先生)。5位=飼育係・ペット屋さん・調教師。同位看護師さん。6位=ピアノ、エレクトーンの先生。ピアニスト。8位=美容師さん。同位歌手・タレント・芸人。10位=デザイナー。同位お花屋さん。
 筆者の幼年時代にあった職業はほとんどない。「末は博士か大臣か」と云う言葉は、聞いたことはあったが憧れたことはなかった。
 昭和22、3年頃の少年の家の近くに警察署があったせいか「警察官」になりたかったことを思い出した。叔父に戦前から警察関係者がいたことも少年の夢の対象になり「警察官希望」をほのめかしたのだろう。親父は(よしよし)と目を細めた。しかし、おふくろは否定的だった。
 当時の警察官は、アメリカ軍政府の管理下にあって、米軍MPの補佐だった。民間人からは(アメリカの手先)と見られ、敬遠されていた時代。その上、米兵による婦女暴行事件を調査中、犯人にピストルで射殺された沖縄人警察官もいて、これがおふくろの否定、反対の最大の理由だったと、長じてから耳にした。
 「戦火をかい潜って、ようやく得た命を警察官なぞになって失うことはない」おふくろは、そう主張していたらしい。

 いまひとつ思い出したこと。
 制服への憧れがあった。アメリカ陸海軍兵士のそれぞれの軍服・制服のカッコよかったこと!少年の目には、それは「勝者・強者のシンボル」だった。勝者に憧れない少年はいない。学校でも校長先生以下、先生方は軍払い下げの衣服や日本を除く世界各地から送られてくる救援物資の衣類を手直しして着していた時代。いつか警察官も制服を着けた。目を見張ったのは、近くの軍管理病院の医師が、昨日までの私服が今日は白衣に変身していたこと。羨望をもって見たことではあった。

 私事。
 筆者にも孫がいる。自分が制服に勝者、強者を感じたからと云って、もし孫が(自衛隊の制服を着用したい)と希望したら(よしっ)とするだろうか。NO!これ以外に答えはない。自衛隊は軍隊ではないことは承知している。しかし、ここへきて自衛隊は軍隊になる可能性を膨張させている。考えすぎ?爺としては、孫たちをキナ臭い制服では包みたくないのである。
 


盛夏のお・も・て・な・し

2014-07-10 00:18:00 | ノンジャンル
 眉間にシワ。額に汗!
 転げるように家に入ると、何はさておき冷蔵庫へ!冷えた麦茶をコップにつぐのももどかしく、2杯3杯とノドに流し込む。
 「生きがえる!」とは、この一瞬にためにある言葉だと実感する。

 昔、首里士族の青年が中城伊集村を通りかかった。時は盛夏。ノドの渇きに耐えかねて、1軒の百姓屋に飛び込んだ。
 「茶を所望!」
 応対に出たのは、真っ白いイジュの花にも似た美しい娘。娘はシム(台所)におりると、竈に掛けてあった湯鍋から白湯を大きめの茶碗に汲み、青年に差し出した。ノドを鳴らして一気に飲む青年を見ようともせず娘は、シムにとって返し、竈に火を入れ湯を沸かし始めた。青年がひと汗入れている間に湯は沸き、茶を入れて差し出した。少々、温めである。大きな息をしながら、ゆっくりとノドを潤す青年。娘はというと三たびシムにさがり、3杯目に入れてきたのは熱いお茶・・・・。その間には、青年の汗もすっかり引き、生きがえった心地を取り戻していた。百姓屋を取り囲む雑木を渡って吹く風の涼しさを感じる余裕があった。しかも娘は、古びたクバ扇で青年を煽いでいるではないか。
 「なんと気の利いた娘のことか。汗だくの拙者にまずは、冷めた白湯を出し、一気に飲むのをみて2杯目は温めの茶。拙者が落ち着いたところで3杯目は熱い茶。なかなかの気配りだ。それにクバ扇の風。これ以上のムティナシ(もてなし)を受けたことはない」。
 感じ入った青年は後日、使いを出してその娘を首里に呼び出し、妻にした。

 戦国時代の雄・織田信長が、石田三成を家臣に加えたきっかけも、野駆けの途中、石田家に立ち寄り、茶のもてなしを受けたときの石田三成の対応に(人物・人品)を感受したからであったと、何かの書物で読んだ気がする。

 盛夏のおもてなしは飲み物と風。

 ♪クバぬ葉どぅやしが むてぃなしぬ清らさ 暑さ涼まさる頼いなとぅし
 〈クバぬふぁどぅ やしが むてぃなしぬ ちゅらさ あちさ しだまする たゆい なとぉし

 歌意=ビロウ(棕櫚)の葉で作った何の変哲もない扇だが、暑い日に涼風を生んでもてなしてくれる。重宝!重宝。ありがたや!ありがたや!ありがたや。
 ひところまでは、どこの家庭を訪問しても、まず出てくるのは茶菓。そして夏日にはクバ扇を添えてあった。
 クバとは、亜熱帯樹ビロウのこと。棕櫚の同類。ヤシ科の常緑高木。高さは10メートルにも達し、葉は1メートルほどの扇状。5~6月に黄色い花をつけ、九州から沖縄に分布している。殊に葉は団扇や笠などを作り、庭木、街路樹にも多用している。
 1713年に出た「琉球由来記」に(琉球では神代からクバオージを使っていたらしい)とあり、団扇の原型とされている。士族の間では外来の絹や和紙張りのそれはごく一部の上流家庭でのこと。大抵はクバ扇であった。

 もう20年にもなるだろうか。
 取材で伊是名島に渡り、知人のY家を訪ねたが留守。無人ながら家は開け放っている。声をかけた後、縁側に腰をかけたことだが、そこには茶器が置かれていて、黒砂糖の入った器の蓋が斜めに開いている。
 あとで知ったことだが、蓋が開いている場合は(ちょっとお隣まで行っています。すぐに帰宅しますから、黒砂糖をなめながらお茶を飲んで待ってて下さい)という、この島の慣習なのだそうな。やさしくも温かい(お・も・て・な・し)ではないか。

 侘び住まいの老人が詠んだ琉歌がある。
 ♪暁ぬ薄茶 飲み難りさあてぃどぅ 茶請きさん 思むてぃ 味噌や取たる
 〈あかちちぬ うすぢゃ ぬみぐりさ あてぃどぅ ちゃわき さんとぅむてぃ ンスとぅたる

 歌意=夜明けとともに起き出してミークファヤー(目ざまし・おめざ)にしようと薄茶を入れたことだが、まりにも侘しい。これと言って茶請けもない。仕方なく台所にある味噌甕を開けて、生味噌を少々取り出した。
 ひとり暮らしだったのだろうか。それとも古女房を起こすのを遠慮して、気遣いの行為だったのか。おだやかな1日の始まりがそこにはある。
 茶と言えば古諺に、
 「茶とぅ煙草しぇー 倉ぁ建たん=チャーとぅタバクしぇー クラぁたたん」がある。
 茶と煙草は癒し、たしなみ。貧しい暮らしの(倹約)とは言っても、茶代、煙草代を節約しても倉は建たない。茶を飲み、煙草を点ける心のゆとりを持とう。この古諺をどう解釈するか。それは読者諸賢におまかせするが、茶、盛夏ならばクバ扇・風、そしてタバクブン(煙草盆・灰皿)は、最小限のお・も・て・な・しと思われるがいかが。
 夜になっても昨日今日の暑さは治まらない。ひとり2階に上がってクーラーを効かせ、何をする気もなく、煙草を吸いながらテレビを見るとはなしに見ている・・・・。階下から家人の甲高い声がする。
 「アイスクリームがありますよっ」。



唐船が運んだもの

2014-07-01 00:10:00 | ノンジャンル
 「良馬は、後ろの草を喰わず」。
 中国の諺である。
 勢いのあるいい馬は、常に前進を心掛け、後ろに気をやることはしない。前進を怠り、左右や後ろの草に目がいき(道草)を喰う馬は駄馬であるとしてる。
 なるほど。あまり役に立たないヨーガリ馬(痩せ馬)ほど、その傾向があるようだ。この諺を引用したとは言い切れないが、同じ意味合いを持つ諺が沖縄の古諺にある。馬ではなく人間の日常生活の有り様をこう言った。
 「後、構まんな。前、シェーきり(あとぅ、かむんな。めぇ シェーきり)」。
 シェーきり・シェーきーんは、物ごとを手際よく(処理・完遂)するの意。
 つまり人間、後ろ・過去にこだわってばかりではいけない。前を見よ。目の前にあるやるべきことをひとつづつ処理し完遂せよと教訓している。「過ぎたるは及ばざるが如し」にも通じるか。物ごとの失敗は誰にも多少あること。何時までもくよくよせず、これからをどう生きるかを考える方がよいとした。
 中国人は大らかな性格だそうで、諦めるべきはきっぱりと諦め、(今日と明日)を優先する国民性だそうな。日本人はどうか。アメリカの顔色を伺い、中国との会話は奥歯でなし、韓国とのそれは歯切れがよくなく、北朝鮮にいたっては(怯え)の態・・・・。日本はギャンブルの競馬は盛んだが、俯瞰で見ると良馬なのか駄馬なのか。中国の諺「良馬は、後ろの草を喰わず」沖縄の諺「後、構まんな。前、シェーきり」から、国の現状がそのように思えてきた。それこそ私の小者的短絡的屁理屈だろう。この思考を先輩方が知ると、
 「お前こそ、あま見ーくま見ー(あっちを見、こっちを見)せず、現実的に前を見よ。“後、構むんな。前、シェーきり!”と、お前に言いたい!」。
 ずばりウンデー(叱咤)されるだろう。

 琉球王府時代。政治、経済、文化を中国から運んできたのは唐船である。殊に日常的言葉まで運んできて、今に定着させている。
 ◇唐船=とうせん。トーシン
 沖縄大百科事典に①中国船・中国からやってくる船。②シナ式ジャンク型のいわゆる中国風(式)の船体構造を持つ船。③中国との貿易のために遣わされた公船。そのほか儀礼用に就航した御冠船(うくぁんしん)をさすこともあり、その用例は多様。しかし通常(唐船)というのは、ほとんど進貢船・接貢船を主に、往復時の呼称で渡唐船・帰唐船を省略して(唐船)と呼ぶことが多いとある。
 唐船の往来の歴史は古く限定は仕難いが、近世になると(2年1貢制)がほぼ定着したという。那覇出港は、北風がまだ残る春先にその風に乗って中国に向かい、帰還は南風が吹きはじめる初夏。これが帆船の常。航海日数は、都度異なったと考えるのが普通、7日から10日で中国福建省に到着した。大した船足と言わなければならない。航海は通常2隻。乗組員は進貢船の場合、大唐船(ウートーシン)とも呼称される頭号船の主船に約100人。小唐船(クートーシン)という伴船に50人前後を常とした。
 南の海は穏やかとは限らない。天候の変化はもちろん、海賊も出没。したがって唐船には矢倉が設けられ、さらに大砲、鉄砲、槍など武器を装備していたことは言うを待たない。船体の長さは約11丈9尺=35,7メートル。船幅2丈7尺3寸=9メートル。船体は色彩豊かな装飾がなされ、通常3本のマストには琉球国の国旗(左御紋=フィジャイぐむん)が掲げられ、他に航海安全を守護する白い海鳥や海神とされる龍を描いた小旗を風になびかせた堂々たるもので、そのさまから(綾船=あやふに)の別称もある。

 こうした唐船が運んだ言葉をいまひとつ。
 「和尚一人、水を汲んで飲む。和尚二人、水を担いできて飲む。和尚三人、水は飲めない」。
 和尚・僧侶は誰でもすぐになれるものではない。厳しい修行をなさなければならない。したがって和尚・僧侶は識者、学者の代名詞になっている。その和尚も一人ならば己で水を汲んで飲む。二人ならば清流や井戸に行き、桶に水を満たして担いできて共に水を飲む。ところが、三人になると識者、学者だけに水1杯飲むにしても、
 「水とは何か」
 「なにゆえに人間は水を飲まなければならないのか」
 「喉はなぜ渇くのか」
 なぞなぞと吟味が多くなり結局、水を飲むことができないと、いわば皮肉っている。
 日本=船頭多くして船、山に登る。
 沖縄=吟味多さぁ村倒り(じんみ うふさー むら どうり)。
 沖縄のそれは、村の常会などを聞いても、まとめ役が居ず皆が皆、自己主張の談論風発に終始しては、決議すべきことのひとつもまとまらず、そのために村が立ち行かなくなるとしている。
 日本=三人寄れば文殊の知恵。
 沖縄=三人からぁ世間(ミッチャイからぁ しきん)。二人までは個々なれど、三人以上は、もう世間・社会を成す。協調性を持とう。 
 ともあるが・・・・いまの日本。アメリカ、中国、韓国など談合して「文殊の知恵」を発揮しているか。それとも「水を飲んでいるのか。飲めないでいるのか」。今日の私は一人でありながら混乱気味で、水も飲まなければ、知恵も出かねている。浅学の至り。容赦!容赦。