琉球宮廷音楽。
記録本であり、教則本でもある「工工四」には上巻三七節、中巻二九節、下巻五七節、拾遺八一節。計二0四節が記載されている。そして、上巻の第一節目には「かじゃでぃ風節」が全曲を代表するかのように堂々としてある。戦前までの表記法では「かぎやで風」と書かれて、発音は「かじゃでぃふう」としているが、最近になって旧仮名遣いに親しみのない若い世代のために、発音通りの表記を併用しようという動きがある。これは大いに歓迎するべきではなかろうか。このことは、歌詞にも言えることだろう。
それにしても「かじゃでぃ風」なる楽曲は、魔力のあるひと節だ。歌三線を習得する場合、まず「かじゃでぃ風節」から入る。三線の基本音が織り込まれていると、専門家に聞いた。他の節に比べて、このひと節は多くの人に普及。さまざまな祝宴には、決まって冒頭に演奏されることからしても、普及度が計り知れよう。
それが公式の祝儀ではなく、誰が言い出すでもなく、最初は「かじゃでぃ風」に始まる。しかも、それまで膝を崩して坐っていた者も歌う人も、これまた誰に言われなくても正座して演奏し、聴き入るのだから沖縄人にとって「かじゃでぃ風」は聖歌なのかもしれない。
これら宮廷音楽には、五節づつ括った五節類がある。大昔節五節、昔節五節、二揚節五節がそれだが、御前風五節の中に「かじゃでぃ風節」は組み入れられている。首里城内の東苑〈別称御茶屋御殿〉だったろうか、時の御主加那志(国王)の「御前」で演奏されたことから「御前風」の名が付いたと言われている。このひと節目が「かじゃでぃ風」で「恩納節」「中城はんためー節」「長伊平屋節」「特牛節」と続くのは周知のところ。また、御前風五節を漢字二文字で表すならば、かじゃでぃ風=歓喜、恩納節=優美、中城はんためー節=華麗、長伊平屋節=悠長、特牛節=荘厳と、研究者島袋盛敏氏は位置づけている。
3月4日、「ゆかる日まさる日さんしんの日」は、今年18回目を無事終えた。ラジオの正午の時報に合わせて、午後9時までの放送の内、都合9回演奏したのは「かじゃでぃ風節」。この曲節を毎時演奏することについて、当初から八重山の方々は「赤馬節」「鷲ん鳥節」にしてはと言い、宮古からは「とうがにあやぐ」をの意見、本島でも若い人たちも演奏できるように、流行りの「安里ゆんた」「てぃんさぐの花」の採用を促す電話、文章もあった。
しかし、主催側が「かじゃでぃ風」を固定したのには理由がある。その①老若男女問わず浸透している。②技術は別として演奏できる人口が多い。③沖縄人の聖歌的節曲。④日常的祝儀歌。⑤三線音楽の基本的楽曲などを吟味しての選択であった。
「かじゃでぃ風」異聞。
野村流古典音楽松村統絃会・故宮城嗣周翁。ある日、浦添市内での所用をすませ、バス停留所へ向かって住宅地内を歩いていると、一軒の家から三線の音が聞こえる。「かじゃでぃ風」だ。しかし、その演奏は三線のチンダミ〈調弦〉は甘く、節入りも心もとない。(習い始めの人だな)。嗣周翁は、頬笑みながらその家の前を通り過ぎたのだが、そこは古典音楽の師匠。どうにもチンダミの甘さが耳の底に残って離れない。嗣周翁は迷わず、いま来た道を取って返して件の家の玄関に立ち、ブザーを押した。三線の音が止むと同時に出てきたのは、稽古をしていたらしい初老の男性。訪問者がこの道の大家とあって男性は大いに驚愕の態。嗣周翁は来意を告げた。
「わしは、古典音楽を少々たしなんでいる宮城嗣周という者だが、あなたの三線のチンダミは多少甘い。ちょいと調弦させてはくれまいか」
家の主に否があろうはずがない。玄関先でチンダミをしようとする大家を応接間に案内したのは言うまでもない。それをきっかけに家主は嗣周翁と向き合って2時間ほどの特別授業を受けたのだった。
「余計なことをしたのかもしれないが、歌者の業なのだろうねぇ」
嗣周翁はそう語っていたが、私は世にもいい話として心の奥におさめている。
大げさな例えになるが沖縄では、カラスが鳴かない日はあっても歌三線、殊に「かじゃでぃ風節」の聞こえない日はないだろう。年中行事は言うに及ばず、諸々の芸能文化、生活文化の根源を成す三線。ヨーロッパの古諺にいわく「歌声のある所に暮らせ。悪人は歌は歌わない」。沖縄の今日という日も、いたる所で歌三線の音が流れている。喜怒哀楽を乗せて流れている。願わくば、歓喜を表して「かじゃでぃ風」を歌い、そして聴ける日々でありたい。
琉球新報「巷ばなし 筆先三昧」2010.4.1掲載転写。
上原直彦著書:2010年4月29日発行
本の注文及びお問い合せ先
☆(有)キャンパス TEL:098ー932ー3801
☆(有)ボーダーインク TEL:098ー835ー2777
記録本であり、教則本でもある「工工四」には上巻三七節、中巻二九節、下巻五七節、拾遺八一節。計二0四節が記載されている。そして、上巻の第一節目には「かじゃでぃ風節」が全曲を代表するかのように堂々としてある。戦前までの表記法では「かぎやで風」と書かれて、発音は「かじゃでぃふう」としているが、最近になって旧仮名遣いに親しみのない若い世代のために、発音通りの表記を併用しようという動きがある。これは大いに歓迎するべきではなかろうか。このことは、歌詞にも言えることだろう。
それにしても「かじゃでぃ風」なる楽曲は、魔力のあるひと節だ。歌三線を習得する場合、まず「かじゃでぃ風節」から入る。三線の基本音が織り込まれていると、専門家に聞いた。他の節に比べて、このひと節は多くの人に普及。さまざまな祝宴には、決まって冒頭に演奏されることからしても、普及度が計り知れよう。
それが公式の祝儀ではなく、誰が言い出すでもなく、最初は「かじゃでぃ風」に始まる。しかも、それまで膝を崩して坐っていた者も歌う人も、これまた誰に言われなくても正座して演奏し、聴き入るのだから沖縄人にとって「かじゃでぃ風」は聖歌なのかもしれない。
これら宮廷音楽には、五節づつ括った五節類がある。大昔節五節、昔節五節、二揚節五節がそれだが、御前風五節の中に「かじゃでぃ風節」は組み入れられている。首里城内の東苑〈別称御茶屋御殿〉だったろうか、時の御主加那志(国王)の「御前」で演奏されたことから「御前風」の名が付いたと言われている。このひと節目が「かじゃでぃ風」で「恩納節」「中城はんためー節」「長伊平屋節」「特牛節」と続くのは周知のところ。また、御前風五節を漢字二文字で表すならば、かじゃでぃ風=歓喜、恩納節=優美、中城はんためー節=華麗、長伊平屋節=悠長、特牛節=荘厳と、研究者島袋盛敏氏は位置づけている。
3月4日、「ゆかる日まさる日さんしんの日」は、今年18回目を無事終えた。ラジオの正午の時報に合わせて、午後9時までの放送の内、都合9回演奏したのは「かじゃでぃ風節」。この曲節を毎時演奏することについて、当初から八重山の方々は「赤馬節」「鷲ん鳥節」にしてはと言い、宮古からは「とうがにあやぐ」をの意見、本島でも若い人たちも演奏できるように、流行りの「安里ゆんた」「てぃんさぐの花」の採用を促す電話、文章もあった。
しかし、主催側が「かじゃでぃ風」を固定したのには理由がある。その①老若男女問わず浸透している。②技術は別として演奏できる人口が多い。③沖縄人の聖歌的節曲。④日常的祝儀歌。⑤三線音楽の基本的楽曲などを吟味しての選択であった。
「かじゃでぃ風」異聞。
野村流古典音楽松村統絃会・故宮城嗣周翁。ある日、浦添市内での所用をすませ、バス停留所へ向かって住宅地内を歩いていると、一軒の家から三線の音が聞こえる。「かじゃでぃ風」だ。しかし、その演奏は三線のチンダミ〈調弦〉は甘く、節入りも心もとない。(習い始めの人だな)。嗣周翁は、頬笑みながらその家の前を通り過ぎたのだが、そこは古典音楽の師匠。どうにもチンダミの甘さが耳の底に残って離れない。嗣周翁は迷わず、いま来た道を取って返して件の家の玄関に立ち、ブザーを押した。三線の音が止むと同時に出てきたのは、稽古をしていたらしい初老の男性。訪問者がこの道の大家とあって男性は大いに驚愕の態。嗣周翁は来意を告げた。
「わしは、古典音楽を少々たしなんでいる宮城嗣周という者だが、あなたの三線のチンダミは多少甘い。ちょいと調弦させてはくれまいか」
家の主に否があろうはずがない。玄関先でチンダミをしようとする大家を応接間に案内したのは言うまでもない。それをきっかけに家主は嗣周翁と向き合って2時間ほどの特別授業を受けたのだった。
「余計なことをしたのかもしれないが、歌者の業なのだろうねぇ」
嗣周翁はそう語っていたが、私は世にもいい話として心の奥におさめている。
大げさな例えになるが沖縄では、カラスが鳴かない日はあっても歌三線、殊に「かじゃでぃ風節」の聞こえない日はないだろう。年中行事は言うに及ばず、諸々の芸能文化、生活文化の根源を成す三線。ヨーロッパの古諺にいわく「歌声のある所に暮らせ。悪人は歌は歌わない」。沖縄の今日という日も、いたる所で歌三線の音が流れている。喜怒哀楽を乗せて流れている。願わくば、歓喜を表して「かじゃでぃ風」を歌い、そして聴ける日々でありたい。
琉球新報「巷ばなし 筆先三昧」2010.4.1掲載転写。
上原直彦著書:2010年4月29日発行
本の注文及びお問い合せ先
☆(有)キャンパス TEL:098ー932ー3801
☆(有)ボーダーインク TEL:098ー835ー2777