旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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名人上手余話=横綱・歌者

2007-05-31 08:37:57 | ノンジャンル
★連載 NO.290

 大相撲夏場所は5月27日、大関白鵬が全勝で制し、2場所連続3度目の優勝。これで来名古屋場所には、晴れて最高位第69代横綱の位置に就く。
 「15才の少年は、日本で活躍するモンゴルの先輩力士に憧れて来日。大阪で相撲部屋入りを希望していた。しかし、どこの部屋からも声は掛からなかった。あきらめて、その年の12月25日、モンゴルに帰るべく航空チケットも手にしていたが、運命の女神はいつどこで微笑みを見せるか分からない。帰国予定の前日、奇しくもクリスマスイブ。宮城野部屋から(面倒を見よう)の一報が入って角界入り。ちょっとした時間差が、ひとり横綱時代に終止符を打つ第69代横綱白鵬を生んだ」
 横綱白鵬誕生をNHKアナウンサーは、おおむねそのように報じていた。

 NHK。
 この3文字からの連想だが、沖縄の民謡界にもNHK絡みの(ちょとしたこと)で世に出た歌者がいる。その人の名は、宮古民謡の横綱国吉源次。
 昭和5年<1930>6月10日、城辺町新城<現・宮古島市>生まれ。17、8才から村祭りの舞踊などの地揺をつとめ、得意のノドを披露していた。
 昭和40年頃、国吉源次は那覇に出、当時人気を誇っていた琉球放送<RBC>ラジオの公開番組「素人のど自慢」民謡の部の常連になった。沖縄本島には、宮古民謡の歌者は少なく、注目度を高めていくことになる。同番組のディレクターの私と親しくなるには、そう時間を要さず(宮古民謡を知りたい)こともあって、おたがいの住まいを行き来するようになっていた。
 昭和42年<1967>3月。国吉源次は、NHKのど自慢全国大会沖縄地区民謡の部の代表として、東京の桧舞台に立った。
 NHKは、昭和33年から(のど自慢)への沖縄の参加を呼びかけ、宮田輝アナウンサーを送り込んで沖縄代表を選出。初の民謡の部代表は山内昌徳が「なーくにー」で出場したときは、米占領下にあっただけに(歌は日本復帰した)と、沖縄中が歓びに包まれた。NHKの沖縄放送局はまだなく、代表選出のすべての業務は、RBCが代行するという変則的な時代。以来、八重山民謡の山里勇吉、沖縄民謡の上原政徳、吉味正幸、宮平徳三らが沖縄代表として送り出されたが、国吉源次の場合は(ちょっとしたこと)が、大ごとに発展した。

 RBCラジオが毎週各地で公開録音をしていた「のど自慢」の3点鐘組を南部、中部、北部単位に予選を行い、さらに中央大会を開催。そこでの優勝者をNHK全国大会沖縄代表とする方式をとっていた。国吉源次は、那覇をふくむ南部地区予選出場有資格者だったのだが、開催会場には姿は見せず、1週間後の中部地区予選にやってきた。
 「先週は商売が忙しかった。有資格者なのだから、中部地区予選にも出られるハズ!」
 これが国吉源次の 主張だった。しかし、中部地区には定員の出場者がいる。放送スタッフは、規定により(失格)を告げた。
 中部地区予選大会はコザ市<現・沖縄市>の琉米親善センターホールで定刻通り、熱気をはらんで始まった。なにしろ、予選を通過、中央大会を勝ち抜けば「沖縄代表として母なる国ニッポンの東京へ行ける!」。いやが上にも盛り上がった。
 3人、5人と出場者は熱唱。司会の比嘉俊康アナウンサーが「次の方どうぞ」と、舞台の下手を見たとき(異変)は起きた。どこに潜んでいたのか、登場したのは(失格)のはずの国吉源次。
 「伊良部とーがにーを歌いますっ!」
 宮古民謡を代表する叙情歌を堂々と朗々と歌い上げた。現場スタッフは大いに狼狽。しかし、琉球芸能研究家与那覇政牛、琉球大学教育学部<音楽>教授渡久地政一、RBCラジオ編成部長外間朝貴の3審査員は、満票で国吉源次を中部地区代表の1人に選出した。
 かくて、国吉源次は、昭和42年2月。那覇市松尾の国映館<現在はない>の舞台に立った。いきさつを知らない宮田輝アナウンサーのにこやかな司会のもと「伊良部とーがにー」を歌い、これまた満票。NHKのど自慢全国大会に出場したのであった。
 それを機に「宮古民謡集・国吉源次」のレコードは出すし、ラジオ、テレビ及び各種イベントには、ゲストして引っ張りだこ。その後、順調にCDや宮古民謡の教則本「工工四」出版と、いまや宮古民謡界の(横綱)の位置にある。

 新横綱白鵬ともども、名人上手には諸々のエピソードがある。そして、国吉源次という歌者の出現は、宮古民謡をメジャーにした。後継者育成をふくめ、その(功績大)。

 余談。
 朴訥で好人物なのはいいが、無類の選挙好き。那覇市議会議員補欠選挙に名乗りを上げたくらいだ。そのときは、
 「歌を取るか、政治を取るか」
 周囲の必死の説得により「政治」を断念したが、長い付き合いの私としては、
 「議員の代わりはいくらでもいるが、宮古歌者国吉源次の代わりは、そうそういない」
 と、選挙のたびに落ち着きを失う彼に言い続けている。



次号は2007年6月7日発刊です!

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梅雨・雨の節入り=あみぬ しちいり

2007-05-23 21:04:57 | ノンジャンル
★連載 NO.289

 2007年5月16日。沖縄気象台は「沖縄地方の梅雨入り」を宣言した。

 ♪雨ぬ降てぃ晴りてぃ 通ゆいたる里や 刀自惚りがしちゃら アティん無らん
  <あみぬふてぃ はりてぃ かゆいたるサトゥや トゥジぶりがしちゃら アティんねらん>
 そう遠くない昔。那覇にあった辻遊郭の尾類<じゅり。遊女>の詠歌である。
 「アティ」は、当てにする。頼みにするの意。転じて、沙汰・面影などを意味する。
 「トゥジ」は、刀自。妻女のこと。
 歌意=雨が降っても晴れても、毎日のように通いつめてくれたサトゥ<男。彼氏>。奥さんに惚れなおしたのか、来る様子も当てもないワ。
 雨降りつづきで、お茶を挽く連日だったのだろう。
 お茶を挽く=江戸川川柳に“花を見て留守してお茶挽く座頭かな”とあって、昔は仕事がヒマな日は、日常飲むお茶を挽いていたそうな。そのことが転じて、色街の芸妓、遊女の(客のいない態)を意味するようになったという。
 長雨は、農家にとっても困りものだが、尾類の仕事?にも大きく影響したようだ。
 晴雨は、家畜が教えてくれた。
 殊に、庭鳥<なぁどぅい。鶏>の動きをよく見ていると、相当な確率で晴雨を予測することができた。それは、いまも変わりない。
 俗語にも「雨ぬ降いねぇ 庭鳥ぬんくぁっくいーん=あみぬふいねぇー なぁどぅいんくぁっくぃーん」とある。雨が降れば、鶏でも(小屋)にかくれるとしている。さらに「まして人間、雨宿りしないものは鶏にも劣る愚者」と、戒めている。
 その鶏が雨にもかかわらず、外に出てエサをついばむ間は、雨は上がらない。食いだめをして長雨に備える行動という。また、少々の雨はいとわず、木の枝や石垣など高い所に止まって羽繕いをすると、間もなく晴れる兆しとした。
 鶏ばかりではない。サージャー<白鷺>が、干潟に遊ぶ間は晴天だが、彼らが海辺・水辺を離れて陸地へ向かって飛び立ち始めると、時を待たず雨が降る。避難するのだ。
 沖縄では(海を生活の場にしている鳥)は、すべて「ウミドゥイ=海鳥」と呼び、ひとつひとつの呼称はない。海を渡る白い鳥は「シルトゥヤー・シラトゥヤー」と、ひと括りにしている。因みに、歌謡「白鳥節=シラトゥヤー節」に詠み込まれているそれは、渡り鳥の白鷺の一種とされている。

 ♪船ぬ高艫に白鳥が居ちょん 白鳥やあらんウミナイうしじ
  <うにぬたかとぅむいに シラトゥヤがゐちょん シラトゥヤやあらん ウミナイうしじ>。    
   船・舟は「ふに」であるが、この歌の場合「うに・御船」と発音する。
 歌意=唐<とう。中国>、大和<やまとぅ>へ長い航海をする帆船の高艫に、白い鳥が止まって水先案内人をしているように見える。いやいや、それは単なる海鳥ではない。航海の安全を守護する姉妹神<WUNAI>なのだ。
沖縄には、兄・弟など男が航海にでる場合、姉・妹の生霊が(旅の無事)を守護するという信仰があって、それを背景に詠まれた歌である。

 天気予測に関しては、人間もトリなぞに負けてはいない。
 那覇では、イリ<西>の海が潮鳴りすると時化<しけ>と言い、本島北部・名護や本部<もとぶ>、国頭<くにがみ>地方の人たちは、西の海上に位置する伊江島<いえじま>のタッチュー<岩山の名称>が、本島から見える間は(晴れ)。見えなくなると(雨)と言い切る。実際、そうであることを私は確認した。

 俗語。
 「濡でぃれーからぁ 雨ぇうじらん=んでぃれーからぁ あめぇうじらん」
 語意=いったんずぶ濡れになると、雨なぞおじることはない。
 まさに、開き直りである。
 雨の日は、鶏でさえ雨宿りするとは言うものの万が一、傘もなく隠れようもなく、全身ずぶ濡れになってしまうと、もう失うものはない。雨なぞ平気である。
 しかし、この俗語の教えるところは、いま少し深いものがある。「朱に交われば赤くなる」と同意。1度悪事に手を染め足を突っ込むと、それ以上の悪事も平気で行うことになると説き、戒めているのだ。
 余談。
 ずぶ濡れ状態を共通語では「濡れ鼠」と、鼠を引き合いに表現するが、沖縄は「濡でぃドゥイ=鳥・鶏」に例える。それほどトリと雨は、浅からぬ因縁にあるということか。
 “本降りになって出て行く雨宿り”

次号は2007年5月31日発刊です!

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雨・歌・蝸牛

2007-05-17 11:44:57 | ノンジャンル
★連載 NO.288

 庭と言うには、お話にならないそれの片隅にチンナン<蝸牛>が生まれているのを見つけた。
 まだ、大豆ほどの大きさで、そっとつままないと潰れてしまいそうなのが7、8匹、身を寄せ合っている。這い出すには、数日を要するだろう。
 「5月21日は、スーマンの節入り。いよいよ今年も雨のシーズンを迎えるか」
 うるじんのころの雨で大地は潤い、草木が一応の大きさに達するという意味の言葉「小満=しょうまん。スーマン」は、梅雨入りを告げる24節気のひとつ。沖縄には「梅雨」に当たる方言がなく「小満」と、6月6日に節入りする「芒種=ぼうしゅ。ボースー」と合わせて「ス-マン・ボースー」と言い、梅雨の代名詞にしている。
 芒種は、芒<ノギ>のある穀物の種を蒔くころのこと。そして、芒はイネ科植物で花を包んでいる箇所の先端にある針状の突起。植物の形態を表わす用語。ノギの有無・形・長短は、植物分類上の特徴だそうな。
 地球温暖化が進む昨今だが、それでも季節はまだまだ順調にめぐっているようで、時を違わず、雨の節に入っていく。晴天・雨天・台風はもちろん、暑さ寒さが暦通りにあるのは、何より(ありがたい)ことではなかろうか。古歌にも詠まれている。

 ♪豊かなる御代ぬしるし表りてぃ 雨露ぬ恵み時ん違がん
 <ゆたかなるみゆぬ しるしあらわりてぃ あみちゆぬみぐみ とぅちんたがん>
 歌意=春夏秋冬。何の異変もなくめぐっているのは、豊かで平和な時代の証である。雨露の恵みが時を違わず、24節気通りのあるのがそのしるし。
 人びとが最も願望するのは、天災地変のない日々の暮らしであろう。異常な旱魃・水害がなければ、作物は豊かに実るのは自然の摂理。この一首も、豊年の歓びと感謝の歌でもあり、毎年そうあってほしいとする願望、祈りの歌とも言えよう。
 (雨露の恵み)とは言っても、季節外れの長雨は困る。いまごろは「五風十雨」が1番いい。5日に1度、さわやかな南風が吹き、10日に1度雨が降る。それも、実労をしている昼間の雨ではなく(夜雨)がいい。気候が時を違わず順調であれば、豊作は約束される。太平を意味する言葉として用いられるのは「五風十雨」に、人びとの願望と祈りが込められているからだろう。
 収穫の秋に行われる豊年祭や綱引きに、参加者の意気を鼓舞する「旗頭=はたがしら」にも「五風十雨」の4文字を見ることができる。
 “この秋は雨か嵐か知らねども 今日のつとめの草を取るなり”


 庭の片隅に生まれたチンナンも、スーマン・ボースーの節入り<しちいり>を待っているに違いない。そのころには、
身を包んだ殻もしっかりして、木の幹や石垣のそこいらを慌てず、騒がず散歩できるからだ。
 少年のころ、雨の日は家の中でチンナンと遊んだ。
 5,6匹のチンナンを捕らえて板の間に並べ、オリンピックの100メートル競技よろしく(這い競争)をさせる「チンナン勝負=すーぶ」だ。しかし、チンナンの走り?は速くない・・・・どころか、人間の足音など多少の振動にも反応して、ツノを引っ込め、身を殻の中に隠してしまう。
 家人がいる日はいざ知らず、ひとり(雨の日の留守番)を言いつかったときの「チンナン勝負」は根気を要した。屋根をたたく雨音しかない家の中で、じっと座ったまま、あるいは、チンナンを這わせた板の間に自分も這い、両手の甲に顎を乗せて、目は離さずレースを判定しなければならない。2回3回と予選レースをしているうちに、彼らの動きに感化されて寝入ってしまうこともしばしばだった。留守番の時間潰しには恰好の「チンナン勝負」ではあったが、彼らのヌメヌメした体液は、板の間に痕跡を残す。ユージュカチ<諸用>から帰ってきたおふくろはそれを見て、ひとり留守番を務めたことをほめる前に、板の間を汚した悪行をとがめ、雑巾がけを命ずるのだった。

 チンナンと遊ぶ時の唱えと言うか、童たちの囃子立てがあった。
 ♪チンナンチンナン 棒振いたー!
  隣のタンメー フリムンどー!孫ぁしかさん 嫁しかち
  <とぅないぬタンメー フリムンどー!んまがぁしかさん ゆみしかち>
 「蝸牛は、棒<ツノ>を振りふりしているが、隣の爺さんバカみたい。孫はあやさず、嫁にちょっかい出して、すかしているッ」
 なんともマセた童。ツノを棒に見立て、タンメーの(男性自身)に重ね合わせて想像をたくましくしたのか。そこまでは考えを深めることもなかろうが、チンナンを自分と同格に唱えたところが(快哉)。

 スーマン・ボースーの節に入ったら、庭先のチンナンを招待して「チンナン勝負」を開催しよう。側近の者に雑巾がけを命じられるのを覚悟の上で・・・・。




次号は2007年5月24日発刊です!

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ジュゴン・鰹・鯨。そして、鯉のぼり

2007-05-09 12:01:26 | ノンジャンル
★連載 NO.287

 人間、60才前後にもなると、飲み屋にいてもついつい孫の話になってしまう。
 まして、孫待ち同士が隣り合わせると、完璧なる(爺馬鹿)を発揮する。もちろん、私もそのひとり。
 37年間勤めて教職を2年前に退職した後輩Yと偶然、席を一緒にして一献かたむけることになった。時節がら話はすぐに「こどもの日」「鯉のぼり」になった。

比謝川の鯉のぼりまつり

 ♪甍の波と雲の波 重なる波の中空を 橘薫る潮風に 高く泳ぐや鯉のぼり

 Yは、小学生4年生の孫と「鯉のぼり」を歌って「こどもの日」を祝ったそうな。
 孫との会話は、和やかにはずんだように思えたが、孫の「イラカって何?」のひと言で深刻になってきた。辞書には、
  いらか=甍。①屋根のむね。または棟瓦<むながわら>。②瓦ぶきの屋根。③切り妻屋根の妻の下にある三角形をした壁の部分。
 とあるが、瓦ぶきの家屋・建物が極端に少なくなった今、いかな元教職にあったYをしても、4年生の孫の理解を得るための説明に四苦八苦したという。さらに、

 ♪百瀬の滝を登りなば 忽ち竜になりぬべき わが身に似よや男子ごと 空に躍るや鯉のぼり

 このくだりになると、孫はますます首をかしげた。理解できず(困った)の表情。Yは中国の故事を語り聞かせた。
 「昔、中国の黄河上流の激流地点に<竜門>があって、鯉がこれを登れば<竜>になったそうな。鯉は、竜になるために激流の大滝をも逆上ったと言う。男の子は、その鯉の生命力にあやかって、元気よく育って欲しいと願い、鯉のぼりを揚げるのだよ。登竜門なる言葉も、この故事から出た」
 Yの孫は、この伝説には大いに興味を示したが、またぞろ疑問を投げかけてきた。
 「鯉は竜になるが、ジュゴン・カツオ・クジラは、何になるの?」
 「えっ!」
 孫の疑問には、立派な理由がある。
 「こどもの日」前から、ジュゴンが棲息する海を前にした地域では「ジュゴンのぼり」を掲げて(自然保護)をアピール。鯨が回遊する海峡の島では「クジラのぼり」。また、早々に初鰹が揚がり、シーズンを迎えた港町には「カツオのぼり」が(群れをなして泳いでいる)と、テレビ・ラジオ・新聞は伝えていて、Yの孫はそれを知っていたのだ。

 「行楽地の誘客に、大人の思惑がからんだジュゴン・カツオ・クジラのぼりは、泳ぎ切った後、何に変身するのでしょうね」
 Yは、冗談口調半分、皮肉半分そう問いかけてきた。(うーん)と、うなりをひとついれたものの、話を繋げず、私も困った。

本部のカツオのぼり

 継承されてきた古行事には嘘々実々の由来があり、ロマンを秘めて実施されてきたが、科学万能時代になったせいか、ロマンの部分がすっかり削がれてしまったように思える。
 竜門を目指す鯉の滝(登り)が(幟)になったとしても、鯉がジュゴン・カツオ・クジラに代わったとしても、伝説や故事来歴だけは、子どもたちにロマンをもって渡してやりたいのだが、保守的に過ぎるだろうか。
 某所で見た鯉のぼりの胴体の紋様は、子どもたちが大好きなパンダ、キティーちゃん、アンパンマンになっていた。新種である。また、地域にある企業や商店が保育園などに寄贈した鯉のぼりには、きっちり社名、商品名が入っているのもあった。
それでも、子どもたちは大喜びしているのだから、それはそれでいい。

 ところで。
 「こいのぼり」とタイトルする歌は、♪屋根より高いこいのぼり・・・・と歌いだす歌と♪甍の波と雲の波・・・・の2曲がある。
 後者は、童謡「靴が鳴る」「叱られて」などの作曲で知られる大正期の代表作曲家のひとり弘田龍太郎が、音楽学校在学中に作ったとされている。大正2年<1913>5月「学校唱歌=5年生」に載った文部省唱歌だ。当初は3番まであった歌詞は、戦後・昭和22年<1947>、「5年生の音楽」に掲載されたときに、2番の歌詞が削除されている。その歌詞はこうだ。

 ♪開ける広き其の口に 舟をも呑まん様見えて 豊かに振るう尾鰭には 物に動ぜず姿あり

 戦前の小学校5年生は、よほどの国語力があったとみえる。
 甍。尾鰭。百瀬。忽ち。漢字はもとより、文語体の原詩をいまの子たちは読めるだろうか。

 さてさて。
 初老のふたりは、どうなったかと言えば、サーフーフー<ほろ酔い>が進むにつれて、孫のことはすっかり忘却。身の行く方、国政の有り様、成人病、健康法、色恋ばなしと、10分毎に話題は飛んで(酔いの世界)へさしかかっていた。

次号は2007年5月17日発刊です!

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浜下り・チンボーラー・鯉のぼり

2007-05-03 07:48:52 | ノンジャンル
★連載 NO.286

 海水もすっかり温み、雨さえ降らなければ磯遊び、浜遊びが楽しめる時候になった。
 4月19日は旧暦3月3日にあたり、沖縄各地の海浜は「浜下り=はまうり」をする家族連れで賑わった。春の行楽行事「サングァチー」の日だったからである。
 本土の「桃の節句」に例えられる女性中心の行事だが、桃の節句は(女の子)を対象に行われるのに対して、沖縄のサングァチーは、年ごろの娘たちは言うに及ばず、老女にいたるまで、すべての女性の(祭日)である。戦前は、重箱詰めの馳走を持参して浜に下り花筵を敷き、その上でパーランクー<片面の小太鼓>などに合わせて歌い合い、春のまる1日を楽しんだ。
 本来は、海辺の白い砂を素足で踏むことにより、厄を落とす(禊ぎ)の行事だが、いまでは男女問わず参加して行楽をするようになっている。それでも男たちは、その日の一切の主導権を女たちに委ねることは、いまも忘れず変わらない。

 サングァチ・ミッチャ<3月3日>が晴天になると、浅瀬に棲むチンボーラー<巻貝類の総称>が(嘆く)と伝えられる。多くの人が浜下りをして潮干狩りをするからだ。チンボーラーの立場からすれば、雨が降れば人出もなく、捕獲されずに生き延びられるが、晴天の場合はその逆。潮干狩りのいい獲物になってしまう(身の哀れ)を嘆く・・・・。
 しかしこれは、大人たちが「自然保護」「生き物との共存」を子どもたちに教えた俗信。
 3月、4月、5月にかけては、海のあらゆる生き物の成長期。伝統行事とは言え、サングァチーに乱獲することは、生態系を壊すことになる。そのことをチンボーラーの嘆きを通して、子どもたちの自然に対する関心と意識を高めたのである。
 が・・・・。チンボーラーは美味しい。
 もう60年近く前、少年だったボクたちは、新学期が始まり新旧の仲間を得た学校帰りには、連れ立って海浜に遊び、夢中になってチンボーラー狩りをしたものだ。
 獲ったチンボーラーは家に持ち帰って、おふくろに渡す。食糧事情がそう豊ではなかった時代のこと、
 「とうとう、いいウヤギやさ=よし、よし、いい家計の助けだよ」
 おふくろはにこやかに受け取り、海水を切るとともにチンボーラーを鍋に入れて火にかける。ゆがくのである。中身がすっかり茹だるとザルに受けて、しばし冷ます。そして、冷たくなって硬くならないうちに、針でひとつひとつ身を出す。それは早速、野菜と合わせて炒められ(特別なおかずの1品)として、夕餉の食卓に乗った。親父は、孝行息子が獲ってきたチンボーラーの(炒め物)をアテに泡盛1、2合をスーテー<倹約>するように飲む。その日のボクは「とてもいい子」として、両親のやさしい眼差しを身体中に感じて幸せだった。
 チンボーラーの身肉は、炒め物だけではない。アンダンスー<油味噲>の具としても最適。弁当のおかず、ニジリメー<握り飯。イーニジリーとも言う>にも用いて結構、重宝していた。
 ボクたちはまた、春の日曜日や休日は、誰が声を掛けるのでもないのに海辺に集まっていた。家を出るときから携帯するものがあった。適当な空缶、マッチ。米製のフォーク1本。シャツ、ズボンを脱ぎ、おふくろや姉たち手製のサルマタ1丁、あるいはマルバイ<丸張ゐ・一糸まとわず>でひとしきり泳いだ後、チンボーラー狩りをする。フォークが活躍するのはこのときだ。小1時間もすれば豊漁。それを海水とともに空き缶に入れる。アダンの枯れ葉を集めてマッチの火をつけて誘い火にし、そこいらにある枯れ小枝を焚いてチンボーラーをゆがく。茹で上がったそれは、すぐに食することになるが、100個ほどある獲物は、仲間うち(大将)、もしくは1つ2つ年上のものが均等に分けをして(平等の理念)を習得しながら、口に運んだ。
 身肉を出すには、大きめのピンが必要。それは、小中高校の校則により、常時身につけていた名札や帽子の校章止めの安全ピンに役割をあたえた。
 チンボーラーで満腹することはなかったが、塩味の効いたその旨さは、いまでも喉のそこいらに残っている。

 ひと月ほど前から河川や公園、集落、小学校の庭などに(鯉)が泳いでいる。
 5月3日=憲法記念日。4日=みどりの日。5日=こどもの日。6日は日曜日で立夏。連休である。子どもたちの健やかな成長を願って掲揚される「鯉のぼり」を、誘客の目玉にする行楽地・観光地のオトナの思惑も見え隠れするのだが、それはそれで(よし)であろう。

 そして、鯉が百瀬の滝を登り切り(竜)になったころ、沖縄の風は真南から吹いて、長い夏を迎える。5月21日=小満<草木が一応の大きさに達するの意語>。6月6日=芒種<芒・ノギのある穀物の種をまくころ>。すーまん・ぼーすーの節入り。沖縄はひと月ほどの雨の季節を迎えようとしている。




平安座サングヮーチャー


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