旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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地名・姓名。その語感

2007-12-27 12:16:35 | ノンジャンル
★連載NO.320

①和仁屋。②掛保久。③湧稲国。④保栄茂。⑤大工廻。⑥親慶原。⑦小谷。
⑧水納。⑨勢理客。⑩慶田盛。⑪我如古。⑫汀良。⑬通堂。⑭北谷。⑮板良敷。

 思いつくままにあげた地名や人名<姓>である。読者はいくつ読めただろうか。
 これらは、琉球王府時代から由来をもって継承されてきたが、明治12年<1879>4月4日、琉球国・琉球藩から沖縄県になった際、行政上の理由で共通語読みになった例が少なくない。それは日本復帰を契機にいまなお続いている。
 勝連<かつれん。方言=かっちん。かちりん>との合併を機に与那城<よなぐすく。方言=ゆなぐしく>を「よなしろ」にした(町・ちょう)もあれば、県都那覇市に隣接いて年々人口が増加。日本一の村<そん>を誇っていた豊見城村<とみぐすく>は、平成14年4月1日、町<ちょう>を一気に越して<市>に昇格した。しかし「地名は文化」とする市民の観念から、そのまま「とみぐすく」を市名としている。方言では「とぅみぐしく・てぃみぐしく」と言い、因む民謡もいまもって歌われている。

 前記の地名<行政名>と方言読みを記そう。
①和仁屋=わにや。方言・わにゃ。②掛保久=かけぼく。方言・かけぼく。
③湧稲国=わきいなぐに。わきなぐに。方言・わちなぐに。④保栄茂=びん。方言・びん。⑤大工廻=たくえ。方言=だくじゃく。⑥親慶原=おやけばる。方言・うぇーきばる。⑦小谷=おこく。方言・うくく。⑧水納=みんな。方言・みんな。⑨勢理客=せりきゃく。方言・じっちゃく。⑩慶田盛=けだもり。方言・きだむり。我如古=がねこ。方言・がにく。⑫汀良=てら。方言・てぃーら。てぃしらじ。⑬通堂=とんどう。方言・とぅんどう。⑭北谷=ちゃたん。方言・ちゃたん。⑮板良敷=いたらしき。方言・いたらしち。
 これらはごくごく一部。市町村の小字をふくめると500前後はあろう。


 脚本を書く際、登場人物に苦労する。現代ものはそうでもないが、時代ものの場合、善玉悪玉を絡めたほうが娯楽作品は面白い。沖縄芝居の善玉の姓は仲里、神村、花城<はなぐしく>などを配する。悪玉は数が少なく湧川、名蔵、謝名堂などが定番。しかし、悪玉名が問題・・・・というほどではないが、抗議が出た事例もある。
 大伸座・大宜見小太郎座長が得意とした時代人情劇「伊佐浜の恨み」の悪玉は湧川<わくがぁ>だった。ところが、ひとりの中年紳士がハネて間もない楽屋を訪れた。
 「なかなか面白く観劇した。だが、何故に悪玉の名が湧川なのだッ。納得がいかない。私の姓は湧川だッ」
 座長は、ただただ謝った。
 また、ある劇団が今帰仁村<なきじん>で公演した際の出しもの悪玉の名は、やはり湧川。ここでは、青年会から抗議があった。今帰仁村には(湧川)という村発祥以来の行政区があるからだ。その後、各劇団とも巡業先の地名やその地に多い姓を調査、悪玉の名を都度、変えたそうな。

役者:仲嶺真永

役者:玉木伸

 上原姓はどうか。
 善玉・悪玉ともに登場する例を知らない。ただ、組踊「姉妹敵討=しまいてぃちうち。作者、創作年代不明」には出てくる。
 謝名大主<じゃなうふぬし>に、村頭職の父を手討ちにされた美貌の姉妹が4年の歳月をかけて本懐を遂げる物語。8段から成る劇構成の7段目。姉妹の美貌について語る門番の男が崎間<さちま>と上原<うぃーばー>である。
 上原が姉、妹いずれかと一緒になりたいというと、崎間は言葉を浴びせる。
 「・・・・天に橋々ウィーバーふいーッ」(何という寝言か上原クン。その面相で姉妹に恋慕するとは笑止の沙汰。天に橋を掛けるよりも難しいッ)と、嘲笑する。
 所詮、上原姓は門番止まりの三下にしか用いられていない。しかも、方言読みの「うぅーばる」ならまだしも、「ウィーバー」なぞと卑称に近い呼び方をされている。が、作者不明では抗議の仕様もない。
 では、名の「直彦」はどうか。日本一の名前と自負している。
 昭和30年代の日活映画「女子寮祭」では、主演の渡辺美佐子扮する女子大生が、年下の青年を愛するシーンがある。その青年の名がナオヒコ。女子大生は「ナオヒコ!ああナオヒコ」を連呼しながらナオヒコを抱く。映画とは言え、渡辺美佐子、いや、女子大生に愛される青年の名だ。日本一の名前と言わずして何と言おうか。
 いまでも、渡辺美佐子ファンでいる。
 最近は、テレビでしかお逢いしてないが老け役が多くなった。それでも美しい。これもテレビだが、旅役者の喜怒哀楽を描いたひとり芝居を鑑賞した。渡辺美佐子が日本を代表する舞台女優のひとりであるとする(ナオヒコ)見解には、誰も異存はあるまい。もし、それに否をはさむモノあらば、それこそ真っ向から抗議、対決する。

次号は2008年1月3日発刊です!

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健康・食事日記

2007-12-20 14:23:21 | ノンジャンル
★連載NO.319

*12月○日・晴れ。
 わが家の食卓から肉が消えた。
 消えたと言うよりも、登場場面が極端に少なくなった。その代り、台所のテーブルの上に「中高年の食事」「工夫ひとつ・健康家庭料理」「10日で出来るダイエット法=食事編」などと題するカラー写真仕立ての本が多くなった。(男子、厨房に入るべからず)を家訓として育った私は(台所は主婦の城)と心得て、いまでも台所に関わる所業は、城主の誇りと権威を尊重して一切しない。したがって、醤油やスプーンやコーヒーカップの在り処を知らない。口に入れるものすべて、城主の与えるままに従っているが、ここに来て(肉)との対面が極度に遠のいているのに気づいたのである。そのことを城主に直訴すると、城主は「男は食べ物のことをとやかく言うものではないッ。栄養バランスやカロリーを健康医学的に加味して作っている。黙って食するようにッ」とのお言葉が下った。今夜も魚と野菜の食事をとる。そして、心の中で叫ぶ。オレは猫でも兎でもないッ。

*12月○日・晴れ。
 今夜も魚中心の食事。しかし、今日の魚は、娘が嫁入った先の両親が夫婦して釣りを趣味としていて、1日がかりの国頭村宜名真における釣果である。しかも、すぐに食せるよう気を遣ってさばいて持たせてくれたものだ。その上今夜の分は、から揚げ、刺し身、てんぷら・・・・。おすそ分けをしてもらえるということは、娘が(嫁)として可愛がってもらっていると理解。ありがたく箸をすすめた。感謝の味が血となり肉となった。

*12月○日・晴れのち曇り。
 肉への執着と憧れを多少は叶えてやろうと思ったのか、手作りハンバーグが食卓に乗った。でも、一口食してうつむいてしまった。ひき肉よりも玉ねぎなどの具のほうが多い。目の前のテレビでは「まいうーッ」を連発するデブキャラクターのタレントが血もしたたるような和牛ステーキをオーバーに食べている。彼も私も一生懸命に生きている男に変わりはないのに和牛ステーキと玉ねぎハンバーグ。この落差は何だろうか。切なくなった分、ハンバーグにたっぷりとソースをかけ、その香りをおかずにご飯のお代りを申請した。城主は、明らかにダメッという眼を向けながらも、ふた口ほどの量をよそってくれた。白米を食するのは家来の私だけ。城主は、お向かいの奥さんと共謀して、どこで入手するのか赤豆入りの玄米を何食分か常備。3食ともチンッして食している。ダイエットが目的だそうだが、向かいの奥さんともどもその効果、あるいは目的が達せられているとは思えない。

*12月○日・曇り。
 忘年会。ここを先途と肉だけを食べまくった。帰宅。「何をたべたの?」の問いには真顔で答えた。「魚と野菜」。

*12月○日・小雨。
 近ごろ、数字で生かされているように思えてならない。カロリー計算。血糖値。血圧。食品にしてからが賞味期限日数などなど。城主までが3日に1度は問う。主「体重は?」従「74キロ」主「身長169に対しては太り気味。70キロぐらいがいい」なぞと、医師口調で即、診断を下す。城主自身はというと1日に2,3度は家庭用の計器で血圧を計り、健康ノートに記載している。体重計も風呂場に常備している。しかし、その記録は門外不出。誰にも一切見せない。体重を聞くとマジに怒る。ダイエットをしなければならないのは、家来ではなく城主であることは明白な真実である。なのに何故、家来は(肉)から遠ざけられなければならないのか。健康ブームを仕掛けたヤツが憎いッ。

*12月○日・晴れ。
 亥年が行く。この時期になると豚肉が届く。ヤンバル<沖縄本島北部の総称>で農業をしている友人が欠かさず(正月料理用)にと持ってきてくれるのだ。正月豚<そうぐぁちうぁー>である。沖縄の正月に欠かせないのが豚肉<うぁーじし>。年末になると農家では、正月用に豚をつぶし、生肉はもちろんだが保存が効くスーチカー<塩漬け肉。スーチキーともいう>を親戚筋や親しくしている家庭に配る習慣がある。殊に旧暦の正月には顕著だ。このことから、正月を幾度経験したかを聞く言葉に「豚ぬチブル<頭>、幾ちかだが」がある。豚のチブルとしているのは、頭部そのものをさすのではなく頭数を表わす。つまり、正月豚、スーチカーを幾度食したか。頭数を年齢とするのである。また、経験豊富な人生の達人をして「豚ぬチブルぬ二ちん三ちん 多くうさがとぉーみしぇーん=(われわれよりも)正月豚をひとつもふたつも多く食した御仁」と尊敬する。
 もうすぐ、スーチカーに逢えるッ。寝床にはいってから私は、小さな声で歌う。
 ♪もういくつ寝るとお正月・・・・・。





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神からの贈りもの・イラブー

2007-12-13 10:59:58 | ノンジャンル
★連載NO.318

 「イラブー料理を食べに、久高島へ行かないか」
 さる日曜日。友人Tから誘いの電話があった。
 「ずいぶんヒマだねお前さん。イラブーなら那覇でも食せるではないか。わざわざ久高島へかい?ボクは忙しくてね。お前さん、行って食べてくるがいい」
 そう悪態をついて断った。本音は喜んで同行したかった。夏場の疲れが今ごろ出、疲労回復、体力増進をはからねばと思っていたところだったのだ。その日、確かにヤボ用があった。しかも、日時を限定されたそれのため、断るしかなかったのである。それならそうと、素直に断ればよさそうなものだが、あっちはイラブー料理、こっちはヤボ用なのが悔しくて(ずいぶんヒマだね)なぞの言葉になり、実は羨望の念を押し隠してしまった。
 沖縄では、元気づけ・栄養補給を「クンチちきーん=根気をつける」と言い、イラブー料理はその筆頭に上げられる。フィージャー<山羊>料理も、かつては根気付け用だったが、いまでは一般的になった。それだけ現代人は(疲れている)(体力が衰弱)しているということか。
 中一日おいて。友人Tは、自分だけクンチをつけて(すまない)と言うメッセージと共に、久高島情報をメールしてくれた。

 ※久高島へは、南城市知念・安座真港から渡る。定期船=1日6便。3便は高速船<50トン>。船名フェリーくだか。ニューくだか。所要時間=フェリーくだか・20分。ニューくだか・15分。往復運賃=ニューくだか・大人1410円。小人740円。フェリーくだか・大人1240円。小人650円。
 ※特殊手荷物運賃<片道>=自転車200円。原付<50cc>400円。自動ニ輪等50ccより大きいバイク=600円。
 ※イラブー汁を食せる店は1軒。「食事処とくじん」。1膳1500円。ほかに、海ブドウ丼1000円。さしみ定食1000円。「とくじん」は、島への入口・徳仁港に因む。

 久高島=くだかじま。
 南城市に属する1島1字。知念半島の東方約5キロに位置。面積1.39㎢。周囲7.75km。最高標高17.1m。
 帆船時代から南洋海域にまで出漁し、ウミワジャ<海業・海技>とその技法は伝統的に長けている。さらに、久高島は琉球の国造りに因む神話が多く、その代表的な祭祀行事が12年周りで行われる「イザイホウ」。神の島、または神々が生きている島と言われる。
 古くから冬至のころ、島の真上に太陽が位置すると黄金の光を浴びて、島はティーダぬアナ<太陽の穴>のような陰影を海上に浮かび上がらせる。そのさまは荘厳そのもので、古琉球人に「神の島」と言わしめたと考えられる。
 イラブーは、エラブウミヘビのこと。イラブーウナギとも言い、日本近海からインドネシア付近まで分布。沖縄では久高島、宮古、八重山が主産地。久高島の場合、イラブーは産卵期<旧暦9月~11月>の夜、海岸の洞穴に上陸して3~7個の卵を産む。それを素手で捕獲する。ただし、誰でも捕獲できるものではない。島の頂点にある外間ノロと久高ノロ両家の神女がイラブーの漁業権を有する。これは世襲である。
 半農半漁の農地ではニンジン、スイカ等を生産。2007年11月末現在、世帯数148。人口289人。
 友人Tの報告によると、島の人たちはイラブーを(神の贈りもの)としてこの時期、燻製中と言う。燻製場の屋根は琉球赤瓦造り。そのことからも海神・海の幸に対する敬虔な精神がうかがえる。その作業は来年1月末までつづくそうだ。

燻製場
 さあ、その(神からの贈りもの)をどう料理して食するか。
 まず、イラブーの皮を火であぶり米ぬかでよく洗う。7センチほどにコールマージリ<コマのように切る。ぶつ切り>して、昆布で巻く。それを鍋に入れ、たっぷりの水で4~5時間根気よく煮ると濃厚な汁がとれる。この汁をシンジムン<煎じ物。イラブーシンジ>と言い、クンチ付き・強壮料理の素になる。そして、煮込んだイラブーは骨を除き、豚足や鶏肉、昆布と共に再び煮込んで具たくさんの汁物として食するのである。
 「琉球料理の中でも、最高級の料理」と絶賛するのは、琉球料理研究家の先生方。

イラブー汁
 ウミヘビ科のイラブー。もちろん、雄雌がいるのはあたりまえだが、料理としてはオスの方がより美味とされている。
 働きづくめで定年を迎えた団塊世代の殊に男性。気抜けするには及ばない。われわれ沖縄人には、イラブーという(生涯ぇ!強ぇ味方があったのだッ)
 イラブーの生命力にあやかってこの後、ひと花もふた花も咲かそうではないか。

イラブー

次号は2007年12月20日発刊です!

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くじグファー・くじヤファラー

2007-12-06 17:18:35 | ノンジャンル
★連載NO.317

 2007年11月26日。雨は降ったりやんだり。
 遅い朝食をとりながらテレビをつけると、もう“当たった”かのような笑顔の女子アナウンサーが(年末ジャンボ宝くじ売り出し)のニュースを伝えている。
 AN=1等前後賞合わせて3億円の年末ジャンボ宝くじが、今日から全国一斉に発売されました。那覇市内の宝くじ売り場でも多くの人が、年末ジャンボ宝くじを買い求めていました。今年の年末ジャンボは、1等・2億円が74本。2等・1億円が222本。1等と2等合わせると、億万長者が296人誕生します。この他、年末幸運賞として1万円が74万本用意されています。
 テレビ画面は、インタビューに変わる。
 Q=3億円当たったらどうします?
 A=<1人目・真顔>とりあえず貯金して・・・・後で考えます。
 A=<2人目・半真顔>1億円は寄付しますが、残りは使う。
 A=<3人目・笑顔>当たらないと思うが、夢を買うのよ。
 AN=今回の年末ジャンボ宝くじで、1999年以降1億円以上の当選金を手にする億万長者が5000人を突破することになります。発売は12月21日迄で、抽選は大晦日です。では、次のニュース・・・・。
 朝食の箸をとめて「お前も買えよ」と、側近の者に言うと、目は妙に輝いているものの返事は「わたしは、くじグファーだから」だった。

 くじグファー。
 解り易く漢字に当てると「籤硬ぁ」になろうか。籤運がない・籤に弱いことを沖縄語では「くふぁー。くふぁさん」としている。対語は「くじヤファラー。くじヤファラさん」「軟らぁ」である。共通語では籤運が「良い・悪い」。くじ引きに「強い・弱い」と「強・弱」にしているが、沖縄語では「硬・軟」で表現している。

 名護市には「くじヤファラー」の人物がいる。
 昨年9月の名護市議会議員選挙。1票差で最下位当選した照屋全哲氏<57才>が獲得した1票が、最高裁で無効と判断され、次点の東恩納琢磨氏<46才>と得票数で並んでしまった。名護市選挙会は11月27日午前、名護市民会館において公職選挙法に基づき、当選者を決める(くじ引き)を行い、当たりくじを引いた照屋全哲氏を当選と確定している。県選挙管理委員会によると1974年、日本の最西端与那国町議会議員選挙でも県選管が「くじ引き」と裁定した例はあるが、裁判を経た後の「くじ引き」は、日本復帰後、初のケースということだ。
 くじ引きに臨んだ照屋全哲氏。その日着用のスーツの胸ポケットには、ゲン担ぎの塩が入っていた。塩効果のみならず、確率2分の1。丁か半か。白か黒か。照屋氏は強運の持ち主「くじヤファラー」に違いない。一方、今回「くじグファー」になってしまった東恩納琢磨氏には、次回選挙にはクファー・ヤファラーに関係なく「トップ当選をしてください」と、エールを送りたい気持ちでいっぱいだ。

 昭和30年<1955>12月。琉米親善委員会は、1ドル<B軍票120円>の宝カギ<鍵>を発売。自動車等の景品の経費を差し引いた451万1250円を落成間もない琉球大学志喜屋図書館に寄付している。抽選は前年5月26日に実施されたが、1等の120万円を当てたのは当時、宮古高校勤務の金城金蔵先生。
 「姓にも金。名にも金。先生は、名前そのものに金運がついている!」
 と、たいそう評判になったそうな。

 聞くところによると今は、高額当選者には引き換え時に1、冷静になること。2、使途については、信頼できる相談者を置き熟慮することなどと記された「心得」の小冊子が渡されるという。持ち慣れない大金は、その人の人生を狂わしかねないからだろう。

 朝食をすませて遅い出勤。玄関を出る背中に側近の者の声が当たる。
 「年末ジャンボ宝くじ。1万円ほど買ってみたら」
 返事はしなかったが、心の中に(万が一の3億円!)の夢が膨らんだ。しかし、私自身も「くじグファー」である。一発勝負に弱く、テレビ漫画「サザエさん」の最後にするジャンケンにすら、90パーセントの確率で負けている。したがって3億円くじは、未だ買ってはいない。




次号は2007年12月13日発刊です!

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