旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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時を刻む・流行歌。その2

2015-10-20 00:10:00 | ノンジャンル
 「飲み会のあとは大抵、カラオケハウスに場を移すね。同行しているかい」。
 「つとめて行くようにしているが、若者が多数を占める場合は、1曲は付き合ってから、会費と5000円ほどを幹事にそっと渡して身を消す」。
 「大した気遣いだね。その後は?」。
 「ひとりで飲み直すか、歌うのに未練があれば、行きつけのスナックのドアを押すことになるな」。
 「ひとりカラオケを好む人もいるらしいが、あれはちょいと切な過ぎはしないか。誰かいないと歌う意味がない」。
 「ひとりがダメなら、ふたりカラオケはどうだ」。
 「キミとかい!ぞっとするね!その場面を想像するだけで、身の毛がよだつ。まあ、20代、30代なら彼女との‟ふたりカラオケ”もほんわかものだが、野郎同士のそれは気味が悪い」。

 古馴染みで孫もいるらしい男ふたりが、カラオケ談義をアテにビールを楽しんでいる。筆者も歌うは避けない。先日も仲間数人とスナックカラオケで3曲ばかりがなってきた。それは、俗に云う「懐メロである」ことを断るまでもない。

 ◇「別れのタンゴ」唄/高嶺三枝子。
 昭和6年生の姉は数冊の、それも手書きの「愛唱歌集」を残して今年逝った。
 彼女たちの10代後半、20代はカラオケなぞあるはずもなく、流行歌は、それを知っている年上の者などに聞き、書き写し、メロディーを教えてもらって歌っていたようだ。都合のいいことにはギターをよくする先輩がいて、若者を集めては流行歌や歌曲の伴奏をしてくれたそうな。
 「歌詞を書き写して覚える習慣」は、逝くまで変わらず、弟妹や友人たちと月イチほどのカラオケへ行っても、曲をセットしてもスクリーンは見ず、持参した自前の「愛唱歌集」を開き、老眼鏡越しに見て歌っていた。
 彼女にとっての新しい歌と云えば、島倉千代子の「東京だよおっかさん」美空ひばりの「川の流れのように」あたりまでで、直ぐに例の歌集の中の青春を手繰り寄せ奈良光枝や二葉あき子、霧島昇をリクエストするのである。歌う表情は時空を越えて、20代の輝きを放っていた。
 「別れのタンゴ」も彼女のレパートリーのひとつ。
 ♪別れの言葉は 小雨の花か さよならと 濡れて散る~
 その「別れの言葉」は、実のらなかった初恋のそれだったのかどうか。いまとなっては知るよしもない。

 「スナックのカラオケ風景は時に‟日本一をかけた歌謡選手権”の態を成すことがあるね」。
 「あるある!こちらがフランク永井を成り切って歌うと、隣のシートの者も‟引けは取らじ!”とフランク永井を打ち出す。それを受けてこちとらも‟では、これはどうだっ!”とフランク永井ナンバーでいく」
 「いい年こいて意地の張り合いになるね。しばし低音の魅力の出し合い!他の客は、その白熱戦に唖然としている。と云うよりも迷惑だろうな」。
 「カラオケの上達法はただひとつ。他人の迷惑を気にしないこと!負けそうになったら、ちょっとひねった選曲をすればいい」。

 ◇「夜が笑っている」唄/織井茂子。
 「夜が笑ったら、うるさくて寝られやしねぇーやー!」。
 はじめは「これだから流行歌なんて、いい加減なんだ」と、屁理屈をこねたものだった。けれども、織井茂子の歌唱力に魅せられて、幾度か耳にするうちに、いつか自分が歌うようになっていた。
 ♪夜がクスクス笑うから 飲めるふりして飲んでるだけさ~
 ♪夜がジロジロ見てるから ちょっとしんみりしているだけさ~
 ♪夜がゲラゲラ笑うから 口惜し涙がこぼれるだけさ~
 これらのフレーズをよくよく噛みしめていると、何があったか知らないが、よほどの挫折があって、自分を見失っている‟大人の女”の姿をイメージするようになる。いや、その挫折感を共有することができる。
 「ボクの傍にこの女性がいたら、苦悩を分け持つことができたかどうか・・・・」。
 老年のいま聞いても歌っても、いや、歳を重ねたいまだからこそ、熱血多感だった。‟わが青春”に戻れる1曲である。

 「流行歌もキミは歌詞から入るんだね」。
 「いやいや、それほどロマンチストではないが、歌詞にはその時代というか、社会のありさまが投影されているではないか。その辺に触れるのが楽しみなだけさ」。
 「歌は世につれ世は歌につれというわけか。そう云えば戦争前、戦後間もなくの昭和歌謡の大半には‟暗い影”が感じられるものな。メロディーはどうだ?」。
 「作曲家に言わせると、歌詞の中に旋律があるというね。それに表現者の歌い手が加わると耳や喉に馴染む名曲になる」。
 「作詞、作曲、歌手。三位一体になって流行歌は、時を映しだし、人の心に沁みて、時を刻む・・・・」。
 「今宵のオレとキミは、いっぱしの流行歌研究者だ!どうだ、これからカラオケハウスに乗り込むかい!」。
 「ふたりカラオケかい!それは身の毛がよだつと云ったばかりではないか。飲み直しにマユミママのスナックなら行ってもいいぜ」。
 ふたりにとって初秋のの夜は長くなっているらしい。



心残りのカチャーシー舞い

2015-10-10 00:10:00 | ノンジャンル
 「オレの友人でね。親父さんが88歳のトーカチ祝い(斗搔き祝い)てんで、カチャーシーを舞いたいが、自分にはその素養がまるでない。しかし、親父さんの生涯、最後の祝いになるやも知れないと一念発起。舞踊道場の門をたたいた」。
 「へッ?カチャーシー舞いには型はない。サンシン(三線)の早弾きに身を任せて、足で拍子を取り、手を上げて、手首を返したり、回したりすれば踊れる。舞踊道場へ習いに行くようなものではないぜ。沖縄人として踊れないほうがよっぽど恥ずかしい」。
 「ところが彼はその恥を振り捨てて道場に行った。道場のお師匠さんは云ったそうな。ウチは伝統的古典舞踊の道場。俗っぽいカチャーシー舞いなぞ教えてはいない。が・・・。貴方の親孝行が嬉しい。カチャーシー舞いには流儀はない。基本的な足の運びと手の振りを教えましょうということになって、この男、祝座で踊り、親父さんは感動し、列席者の嬉し涙を誘ったそうな」。
 「これまで1度も人前で踊ったことがなかったのだがねその男」。

 カチャーシーとは。
 祝いの座、おるいは昔日の毛遊び(もうあしび・野遊び)などでなされた即興舞いである。もちろん、歌三線や鳴り物、手拍子はつきもの。カチャーシーの語意は直訳すれば沖縄語の(掻き混ぜる)だ。では、何を掻き混ぜるのか。庶民の喜怒哀楽である。したがって、士族階級にはその(舞い)はなされていない。余談になるが、宮廷の踊座に勤め、優雅な伝統宮廷舞踊を継承、指導した舞踊家の一人は(下々の者は、なんと自由な舞いを身につけていることか。羨望のかぎり・・・。1度はカチャーシー舞いの輪の中に入りたかった。と言いつつ逝ったという逸話がある。
カチャーシーは節名ではない。形態である。曲節は早弾きの「嘉手久=かでぃーくー」「あっちゃめー」「はりくやまく」「唐船どーい」など、とかくハイテンポのそれだ。カチャーシー歌でカチャーシー舞いをする。この方が分かり易いだろう。

 「オレなぞは、物心ついたときには踊れたものだ。普通に生活の中にカチャーシー舞いはあったものね」。
 「まったくだ。特別な祝座でもなく、普通の一家団欒の場でも三線の早弾きが耳に入ると、身体がムズムズして踊ったものね幼児のころから」。
 「口で三線の音を発する口三線(くちじゃんしん)でも踊ったね。それを親兄弟が(上手!上手!うまいっ!うまいっ!と囃し立てるものだから、おだてにつられて踊ったなあ。それで素地ができて沖縄人は皆、カチャーシーが踊れる」。
 「それが教習になって、謂わばDNA化している。キミの友人の孝行息子も自意識過剰に抑圧され、羞恥を先行させて(やればできる)のに(やらなかった)だけだろうよ。これからは真っ先に座の中央にでて舞うだろう。めでたし!めでたしだ!」。

 カチャーシー舞いは自由型を本領とする。個性を発揮すればよい。足は前後左右に運び、跳んだり跳ねたり、時たま身体を一廻りさせればよい。手振りは、五指を開いて品よく舞う型を(アングァー舞い=姉さん舞い)、逆に拳を握り、空手の所作を取り入れたりするのを(ニーシェー舞い=二才舞い)と称しているが、男女の別なく、打ち出す歌三線節曲によって、これまた自由自在に踊っていい。
 けれども役者などプロ級になると、創意工夫された型があった。
 その1=「三尺舞い=さんじゃく もうい」。
 云うまでもなく尺貫法の三尺四方の中でなすカチャーシー舞い。テンポが速いだけに意外に難しい。足腰の強さが要求される。また、あえて座布団1枚の上で舞う至芸もある。
 はたまた脱線するが、メートル法が定着したいま、尺貫法をメートル法に換算して「90.09㎝舞い」と云うかといえば、決して云わない。「三尺」でなければならないのである。
 その2=「カタンチャー舞い」。
 カタンチャーは、片一方のこと。普通のカチャーシー舞いに始まるが突然、両手を左肩の上に上げて踊り、さらにその所作を右肩の上に代える、その場合、両足を交差させる技もある。熟練を要するが、流儀、流派があるわけではない。カチャーシー舞いを(得意)と自認する方は、自分なりのカタンチャー舞いを生み出してみるがいい。
 その3=ハーチブラー舞い。
 ハーチブラーとはおかめ、ひょっとこのようなお面のこと。
 お面を後頭部に付け、まずは正面向きで踊り一瞬、くるりと廻ってお面を正面にして踊る。もちろん、手の動きも後頭部でなす。ハイテクニックで熟練を要するが、大向こうを唸らせる。
 
 さて、蘊蓄を垂れている筆者。20秒以上のカチャーシーが踊れない。言葉通り自意識過剰、というよりも(羞恥)が先になって、手足が金縛り状態になるのである。
 過日、義父の生年祝いの座で複数人同時ならいざ知らず、一人ひとりが交互に立って踊る「一人なあ舞うらしぇー」になった際、手を引っ張られ、腰を押されても座に出ず、遂にはその祝座から逃亡したことがある。あとできいたが、義父はじめ親戚一同、カチャーシーも踊れない男を婿にするのではなかった」と、悲嘆していたそうな。多少、心残り。
 件の親父孝行をした男にならって、いまからでもカチャーシーを習得しようかと、心の片隅では思ってはみるのだが・・・。



島うたの秋

2015-10-02 09:43:00 | ノンジャンル
 空も長月 初め頃かや 四方ももみじを
 染める時雨に 濡れて雄鹿の 鳴くも寂しき
 折りに告げくる 雁の初音に 心浮かれて
 共に打ち連れ 出ずる野原の キキョウ刈萱
 萩の錦を さても見よとや 招く尾花の 袖の夕風
 吹くも身に沁む 夕陽入江の 海士のこどもや
 竿のしずくに 袖を濡らして 波路はるかに
 沖に漕ぎ出で 月は東の山の木の間に いまぞほのめく

 琉球舞踊の中の宮廷舞踊に対する明治以降の創作舞踊(雑踊・ぞうWUどぅゐ)のひとつ「秋の踊り」の歌詞である。いつごろ詠まれたかは定かではない。しかし、組踊「義臣物語・一名国吉比屋」には「道輪口説」の節名で用いられていることから推測すれば、かなり古くから歌われていたのだろう。完全な和歌になっていて、琉球・大和の芸能文化の交流がしのばれる。
 踊りは沖縄の舞台役者新垣松含(あらかき しょうがん)とも、親泊興照(おやどまり こうしょう)の振付けともいわれる。末広の扇を持って踊る。それは爽やかで、まさに‟秋の踊り”である。

 日中はまだ暑さが残るものの、宵闇が夜の闇にかわる頃は、あたりに‟袖の夕風”を感じるようになった。昨夕は風に促されて三線を持ち出し、「遊びしょんがね節」に乗せて次の琉歌を歌ってみた。

 ♪親ぬ聞かすたる昔物語 今や孫前なち語るいそしゃ
 〈うやぬ ちかすたる んかしむぬがたゐ なまや マグめなち かたる いそしゃ

 *いそしゃ=いそさともいい。嬉しい、楽しいの意。
 歌意=童のころ、親がよく聞かせてくれた昔ばなしを、今は自分の孫を前にして語っている。なんと嬉しく、心和むことか。

 「おれも昔ばなしをするようになったか」。
 いささか小鼻がむず痒くなって、ひとなでしてしまう。
 「昔とはなんだ」
 またぞろ辞書の世話になる。
 昔=①遠い過去。②今からずっと前。③過ぎ去った年月を数えることば。
 何と味気ない解説。せめて「親兄弟に甘えて育ち、年頃になって恋を知り、仕事に打ち込んで紆余曲折しながら生きてきた、かつての日々」くらいにはしたいものだが、辞書の限られた字数や大義では、そうもいかないのだろう。
 親に甘える。
 沖縄口では甘えん坊を「フンデー」という。一人っ子、末っ子に多いようだ。親は愛おしさのあまり、その子の言い放題、仕放題を聞き入れる。これを俗語は「鼻から這うらすん=はなからほうらすん」と、言い当てた。
 手のひらならいざ知らず、鼻に這う・鼻に着くモノは、何でも鬱陶しく嫌なものだ。それをすべて許して、子が鼻の上に這うものもいとわない可愛がり方をするさまのこと。私は9人兄弟の末っ子に生まれているが、フンデーした記憶がない。生まれて7年後には終戦。フンデーする環境ではなかった。フンデーは、平和な暮らしの中でこそできることだ。

 ところで「フンデー」の語源だが、中国痛の友人によれば福建省地方のことばで「放題」の転語なそうな。云い放題、仕放題、飲み放題のように、思うままにする、勝手にするの意味を持つが、福建語での読み「ふんでー」がそのまま琉球語になったと教示してくれた。
 友人の知識にケチをつけるつもりはさらさらないが、今一度確認してみたい。福建語に造詣の深い方、そこらあたりを教えては下さるまいか。この歳でフンデーするしだい。それにしても「放題」の転語が「フンデー」その通りであれば目からうろこで面白い。

 フンデーは幼児にかぎらない。
 すっかり熟した女にも多い。「フンデー物言い=むぬいい」がそれだ。
 ちょいと親しくなると女は「ねぇー~」と、鼻に色をつけた発音で甘えてくる。そうフンデーされて、悪い気がする男はいないだろう。かく云う私もフンデー物言いに理性を奪われて、幾度苦汁を飲まされたことか。が、ふり返ってみれば、ウソでもいいから、フンデーされた昔日が恋しい。

 再び三線を取り「遊びしょんがね節」
 
 夏ぬ走川に涼風ぬ立ちゅし むしか水上や秋やあらに
 〈なちぬ はいかわに しだかじぬ たちゅし むしか みなかみや あちやあらに

 歌意=街中を離れ、郊外の川の岸辺に寄れば、流れの水面に涼風が立っている。もしかすると川上には、秋が生まれているのかも知れない。
 柄ではないが、秋はものを思わせる。
 ‟あした浜辺をさまよへば 昔のことぞ偲ばれる”(浜辺の歌)の心境・・・・。
 旧暦9月15日には、月影を踏んで、そこらの浜辺をフンデーしてくれるヒトを散策したいが、この私に「フンデー」してはくれまいか。