「飲み会のあとは大抵、カラオケハウスに場を移すね。同行しているかい」。
「つとめて行くようにしているが、若者が多数を占める場合は、1曲は付き合ってから、会費と5000円ほどを幹事にそっと渡して身を消す」。
「大した気遣いだね。その後は?」。
「ひとりで飲み直すか、歌うのに未練があれば、行きつけのスナックのドアを押すことになるな」。
「ひとりカラオケを好む人もいるらしいが、あれはちょいと切な過ぎはしないか。誰かいないと歌う意味がない」。
「ひとりがダメなら、ふたりカラオケはどうだ」。
「キミとかい!ぞっとするね!その場面を想像するだけで、身の毛がよだつ。まあ、20代、30代なら彼女との‟ふたりカラオケ”もほんわかものだが、野郎同士のそれは気味が悪い」。
古馴染みで孫もいるらしい男ふたりが、カラオケ談義をアテにビールを楽しんでいる。筆者も歌うは避けない。先日も仲間数人とスナックカラオケで3曲ばかりがなってきた。それは、俗に云う「懐メロである」ことを断るまでもない。
◇「別れのタンゴ」唄/高嶺三枝子。
昭和6年生の姉は数冊の、それも手書きの「愛唱歌集」を残して今年逝った。
彼女たちの10代後半、20代はカラオケなぞあるはずもなく、流行歌は、それを知っている年上の者などに聞き、書き写し、メロディーを教えてもらって歌っていたようだ。都合のいいことにはギターをよくする先輩がいて、若者を集めては流行歌や歌曲の伴奏をしてくれたそうな。
「歌詞を書き写して覚える習慣」は、逝くまで変わらず、弟妹や友人たちと月イチほどのカラオケへ行っても、曲をセットしてもスクリーンは見ず、持参した自前の「愛唱歌集」を開き、老眼鏡越しに見て歌っていた。
彼女にとっての新しい歌と云えば、島倉千代子の「東京だよおっかさん」美空ひばりの「川の流れのように」あたりまでで、直ぐに例の歌集の中の青春を手繰り寄せ奈良光枝や二葉あき子、霧島昇をリクエストするのである。歌う表情は時空を越えて、20代の輝きを放っていた。
「別れのタンゴ」も彼女のレパートリーのひとつ。
♪別れの言葉は 小雨の花か さよならと 濡れて散る~
その「別れの言葉」は、実のらなかった初恋のそれだったのかどうか。いまとなっては知るよしもない。
「スナックのカラオケ風景は時に‟日本一をかけた歌謡選手権”の態を成すことがあるね」。
「あるある!こちらがフランク永井を成り切って歌うと、隣のシートの者も‟引けは取らじ!”とフランク永井を打ち出す。それを受けてこちとらも‟では、これはどうだっ!”とフランク永井ナンバーでいく」
「いい年こいて意地の張り合いになるね。しばし低音の魅力の出し合い!他の客は、その白熱戦に唖然としている。と云うよりも迷惑だろうな」。
「カラオケの上達法はただひとつ。他人の迷惑を気にしないこと!負けそうになったら、ちょっとひねった選曲をすればいい」。
◇「夜が笑っている」唄/織井茂子。
「夜が笑ったら、うるさくて寝られやしねぇーやー!」。
はじめは「これだから流行歌なんて、いい加減なんだ」と、屁理屈をこねたものだった。けれども、織井茂子の歌唱力に魅せられて、幾度か耳にするうちに、いつか自分が歌うようになっていた。
♪夜がクスクス笑うから 飲めるふりして飲んでるだけさ~
♪夜がジロジロ見てるから ちょっとしんみりしているだけさ~
♪夜がゲラゲラ笑うから 口惜し涙がこぼれるだけさ~
これらのフレーズをよくよく噛みしめていると、何があったか知らないが、よほどの挫折があって、自分を見失っている‟大人の女”の姿をイメージするようになる。いや、その挫折感を共有することができる。
「ボクの傍にこの女性がいたら、苦悩を分け持つことができたかどうか・・・・」。
老年のいま聞いても歌っても、いや、歳を重ねたいまだからこそ、熱血多感だった。‟わが青春”に戻れる1曲である。
「流行歌もキミは歌詞から入るんだね」。
「いやいや、それほどロマンチストではないが、歌詞にはその時代というか、社会のありさまが投影されているではないか。その辺に触れるのが楽しみなだけさ」。
「歌は世につれ世は歌につれというわけか。そう云えば戦争前、戦後間もなくの昭和歌謡の大半には‟暗い影”が感じられるものな。メロディーはどうだ?」。
「作曲家に言わせると、歌詞の中に旋律があるというね。それに表現者の歌い手が加わると耳や喉に馴染む名曲になる」。
「作詞、作曲、歌手。三位一体になって流行歌は、時を映しだし、人の心に沁みて、時を刻む・・・・」。
「今宵のオレとキミは、いっぱしの流行歌研究者だ!どうだ、これからカラオケハウスに乗り込むかい!」。
「ふたりカラオケかい!それは身の毛がよだつと云ったばかりではないか。飲み直しにマユミママのスナックなら行ってもいいぜ」。
ふたりにとって初秋のの夜は長くなっているらしい。
「つとめて行くようにしているが、若者が多数を占める場合は、1曲は付き合ってから、会費と5000円ほどを幹事にそっと渡して身を消す」。
「大した気遣いだね。その後は?」。
「ひとりで飲み直すか、歌うのに未練があれば、行きつけのスナックのドアを押すことになるな」。
「ひとりカラオケを好む人もいるらしいが、あれはちょいと切な過ぎはしないか。誰かいないと歌う意味がない」。
「ひとりがダメなら、ふたりカラオケはどうだ」。
「キミとかい!ぞっとするね!その場面を想像するだけで、身の毛がよだつ。まあ、20代、30代なら彼女との‟ふたりカラオケ”もほんわかものだが、野郎同士のそれは気味が悪い」。
古馴染みで孫もいるらしい男ふたりが、カラオケ談義をアテにビールを楽しんでいる。筆者も歌うは避けない。先日も仲間数人とスナックカラオケで3曲ばかりがなってきた。それは、俗に云う「懐メロである」ことを断るまでもない。
◇「別れのタンゴ」唄/高嶺三枝子。
昭和6年生の姉は数冊の、それも手書きの「愛唱歌集」を残して今年逝った。
彼女たちの10代後半、20代はカラオケなぞあるはずもなく、流行歌は、それを知っている年上の者などに聞き、書き写し、メロディーを教えてもらって歌っていたようだ。都合のいいことにはギターをよくする先輩がいて、若者を集めては流行歌や歌曲の伴奏をしてくれたそうな。
「歌詞を書き写して覚える習慣」は、逝くまで変わらず、弟妹や友人たちと月イチほどのカラオケへ行っても、曲をセットしてもスクリーンは見ず、持参した自前の「愛唱歌集」を開き、老眼鏡越しに見て歌っていた。
彼女にとっての新しい歌と云えば、島倉千代子の「東京だよおっかさん」美空ひばりの「川の流れのように」あたりまでで、直ぐに例の歌集の中の青春を手繰り寄せ奈良光枝や二葉あき子、霧島昇をリクエストするのである。歌う表情は時空を越えて、20代の輝きを放っていた。
「別れのタンゴ」も彼女のレパートリーのひとつ。
♪別れの言葉は 小雨の花か さよならと 濡れて散る~
その「別れの言葉」は、実のらなかった初恋のそれだったのかどうか。いまとなっては知るよしもない。
「スナックのカラオケ風景は時に‟日本一をかけた歌謡選手権”の態を成すことがあるね」。
「あるある!こちらがフランク永井を成り切って歌うと、隣のシートの者も‟引けは取らじ!”とフランク永井を打ち出す。それを受けてこちとらも‟では、これはどうだっ!”とフランク永井ナンバーでいく」
「いい年こいて意地の張り合いになるね。しばし低音の魅力の出し合い!他の客は、その白熱戦に唖然としている。と云うよりも迷惑だろうな」。
「カラオケの上達法はただひとつ。他人の迷惑を気にしないこと!負けそうになったら、ちょっとひねった選曲をすればいい」。
◇「夜が笑っている」唄/織井茂子。
「夜が笑ったら、うるさくて寝られやしねぇーやー!」。
はじめは「これだから流行歌なんて、いい加減なんだ」と、屁理屈をこねたものだった。けれども、織井茂子の歌唱力に魅せられて、幾度か耳にするうちに、いつか自分が歌うようになっていた。
♪夜がクスクス笑うから 飲めるふりして飲んでるだけさ~
♪夜がジロジロ見てるから ちょっとしんみりしているだけさ~
♪夜がゲラゲラ笑うから 口惜し涙がこぼれるだけさ~
これらのフレーズをよくよく噛みしめていると、何があったか知らないが、よほどの挫折があって、自分を見失っている‟大人の女”の姿をイメージするようになる。いや、その挫折感を共有することができる。
「ボクの傍にこの女性がいたら、苦悩を分け持つことができたかどうか・・・・」。
老年のいま聞いても歌っても、いや、歳を重ねたいまだからこそ、熱血多感だった。‟わが青春”に戻れる1曲である。
「流行歌もキミは歌詞から入るんだね」。
「いやいや、それほどロマンチストではないが、歌詞にはその時代というか、社会のありさまが投影されているではないか。その辺に触れるのが楽しみなだけさ」。
「歌は世につれ世は歌につれというわけか。そう云えば戦争前、戦後間もなくの昭和歌謡の大半には‟暗い影”が感じられるものな。メロディーはどうだ?」。
「作曲家に言わせると、歌詞の中に旋律があるというね。それに表現者の歌い手が加わると耳や喉に馴染む名曲になる」。
「作詞、作曲、歌手。三位一体になって流行歌は、時を映しだし、人の心に沁みて、時を刻む・・・・」。
「今宵のオレとキミは、いっぱしの流行歌研究者だ!どうだ、これからカラオケハウスに乗り込むかい!」。
「ふたりカラオケかい!それは身の毛がよだつと云ったばかりではないか。飲み直しにマユミママのスナックなら行ってもいいぜ」。
ふたりにとって初秋のの夜は長くなっているらしい。