「人の口には戸は立てられぬ」。「言いたい放題」「口だけなら首里城も建つ」。
発言については「聞かなかったことにしよう」と、聞き流すことのできることと、そうはいかないこともある。
沖縄の古諺。
「聞かば聞ち所に捨てぃり=ちかば ちちどぅくるに してぃり」がある。
あの人は、実はこうだそうな。この人は見た目とは異なり、外面菩薩内面夜叉なのよ!なぞと、とかく他人の欠点を真しなやかに吹聴したがる者が少なくない。それらは大抵、誤解や低俗な当てずッぽう、無責任な噂から発せられる(発言)がほとんどだ。下世話程度のことならば、笑ってすまされ、すぐに忘れるが、そのことで言われた人が著しく傷つくようなそれは、聞く側も心地よくない。そこで「聞かば聞ち所に捨てぃり」の考え方に切り替える。
「人さまの悪い噂や真実かどうか定かではない不愉快ばなしは、聞いた場所に捨てよ。忘れよ。いつまでも心に留め置くと消化しない泥を体内に留め置くに似たり。精神衛生上よろしくない」としている。
しかし、しかしである。
聞き捨てならないこともある。
6月26日。自民党本部で開かれた同党若手議員の勉強会における作家百田ナニガシの普天間基地に関する発言。
「普天間基地の在所は、もともと無人の田畑地。米軍基地ができた後、儲けるために人とが集まってできた集落」
「基地問題など日本政府の施策に批判的な地元新聞は潰してしまえ!」
などの発言。その尻馬に乗って「テレビなどは広告料を封じ込めれば簡単に潰せる」とのたまう国会議員。「聞かば聞ち所に捨てぃり」を知っている沖縄人でも「聞き捨て」にはならないのである。一体、日本国をどうしたいがための(勉強会)だったのか。言いたい放題の(勉強)で、日本国はよくなるのだろうか。
「ウルぬん手使いん=ウルぬん てぃーちかいん」を知らさなければならない。
ウルは細かい砂、珊瑚の砂を意味する古語。沖縄の別名「ウルマ=珊瑚礁の島」のウルであり、鹿児島県与論島の観光キャッチフレーズ{パナウル=珊瑚の花砂の島}もそれである。また、宮古島には(砂川)と書いて(ウルカ)と称する地名も苗字もある。
さて、「ウルぬん手使いん」だが。
ウルのように、砂のように細かく小さく、取るに足りない(命)でも、その存在をないがしろにされると(命を守るために)古武術の空手を使い抵抗をするとしている。
日米安保条約から見れば沖縄は「ウル」なのだろうか。日本国の最西南端に位置した沖縄は、中央からは(ウル)の位置づけなのだろうか。
「沖縄からは東京は見えるが、東京からは沖縄は見えない」。
またぞろ、そのことを実感する「言論の自由?」問題である。
琉球国は明治政府によって(藩)に置き換えられ、明治12年(1879)4月4日「沖縄県」になった。以来、沖縄は他府県とは異なり、なにかと特別視されてきた。敗戦時から27年間は米国統治下に置かれアメリカ世を強いられ、日本復帰43年経った現在でも、それは色濃く持続している。国の中央とは、地方があって成り立っていると思うが、地方を無視した中央があっていいものかどうか・・・・。この理屈は稚拙に過ぎるだろうか。
日本復帰間もなく詠まれた琉歌がある。
◇下ぬあてぃ上ん 成り立ちゅるたみし 下ぬ無ん上ぬ何役立ちゅが
〈シムぬあてぃカミん なりたちゅる たみし シムぬねん カミぬ ぬやく たちゅが〉
歌意=下人民があってはじめて、お上(政府)も成り立つ道理。国民を無視したお上が何の役に立つものか。たたないのである。
さらに1首。
◇あたら我が沖縄 品物ぬ例ゐ 取ったい取らったい上に任かち
〈あたら わがウチナー しなむんぬ たとぅゐ とぅたい とぅらったゐ カミにまかち〉
歌意=愛する我が沖縄。日米にとっては品物同様のモノだろうか。極東の安全と平和のために米国統治下に置いたり、はたまた(沖縄が返還されない限り、日本の戦後は終わらない=佐藤栄作=と、取り戻したり、すべてお上任せ。沖縄の民意は完全無視。どこに自由と平和があろうか。
この琉歌は当時、80歳の老女が詠んだものである。その老女は風狂の歌者・故嘉手苅林昌の母。彼もまた母親の詠歌の連作として、こう詠んでいる。
◇戦世ん終わてぃ 弥勒世が思みば 国ぬゆさゆさぬ果てぃや 無らん
〈いくさゆん うわてぃ みるくゆが とぅみば くにぬ ゆさゆさぬ はてぃや ねらん〉
歌意=沖縄戦も終結し、日本復帰も叶った。これからは平和の時代を迎える!と期待したものだが、それは見事に裏切られ基地の島化された沖縄。国はユサユサと揺れに揺れて、いまだキナ臭い!どうなることやら・・・・。
主義主張は多々。言論の自由もあらねばならない。われわれも多角的な「勉強会」を開いて楽手しなければならない。そしてそれは、命を尊ぶことを根源とした平和希求の「勉強会」であらねばならない。ウルの小生が、ちょっと力み過ぎたか・・・・。外から飛行音が聞こえる。どこへ行くのか今日もオスプレイが北の方へ向かって飛んでいる。
発言については「聞かなかったことにしよう」と、聞き流すことのできることと、そうはいかないこともある。
沖縄の古諺。
「聞かば聞ち所に捨てぃり=ちかば ちちどぅくるに してぃり」がある。
あの人は、実はこうだそうな。この人は見た目とは異なり、外面菩薩内面夜叉なのよ!なぞと、とかく他人の欠点を真しなやかに吹聴したがる者が少なくない。それらは大抵、誤解や低俗な当てずッぽう、無責任な噂から発せられる(発言)がほとんどだ。下世話程度のことならば、笑ってすまされ、すぐに忘れるが、そのことで言われた人が著しく傷つくようなそれは、聞く側も心地よくない。そこで「聞かば聞ち所に捨てぃり」の考え方に切り替える。
「人さまの悪い噂や真実かどうか定かではない不愉快ばなしは、聞いた場所に捨てよ。忘れよ。いつまでも心に留め置くと消化しない泥を体内に留め置くに似たり。精神衛生上よろしくない」としている。
しかし、しかしである。
聞き捨てならないこともある。
6月26日。自民党本部で開かれた同党若手議員の勉強会における作家百田ナニガシの普天間基地に関する発言。
「普天間基地の在所は、もともと無人の田畑地。米軍基地ができた後、儲けるために人とが集まってできた集落」
「基地問題など日本政府の施策に批判的な地元新聞は潰してしまえ!」
などの発言。その尻馬に乗って「テレビなどは広告料を封じ込めれば簡単に潰せる」とのたまう国会議員。「聞かば聞ち所に捨てぃり」を知っている沖縄人でも「聞き捨て」にはならないのである。一体、日本国をどうしたいがための(勉強会)だったのか。言いたい放題の(勉強)で、日本国はよくなるのだろうか。
「ウルぬん手使いん=ウルぬん てぃーちかいん」を知らさなければならない。
ウルは細かい砂、珊瑚の砂を意味する古語。沖縄の別名「ウルマ=珊瑚礁の島」のウルであり、鹿児島県与論島の観光キャッチフレーズ{パナウル=珊瑚の花砂の島}もそれである。また、宮古島には(砂川)と書いて(ウルカ)と称する地名も苗字もある。
さて、「ウルぬん手使いん」だが。
ウルのように、砂のように細かく小さく、取るに足りない(命)でも、その存在をないがしろにされると(命を守るために)古武術の空手を使い抵抗をするとしている。
日米安保条約から見れば沖縄は「ウル」なのだろうか。日本国の最西南端に位置した沖縄は、中央からは(ウル)の位置づけなのだろうか。
「沖縄からは東京は見えるが、東京からは沖縄は見えない」。
またぞろ、そのことを実感する「言論の自由?」問題である。
琉球国は明治政府によって(藩)に置き換えられ、明治12年(1879)4月4日「沖縄県」になった。以来、沖縄は他府県とは異なり、なにかと特別視されてきた。敗戦時から27年間は米国統治下に置かれアメリカ世を強いられ、日本復帰43年経った現在でも、それは色濃く持続している。国の中央とは、地方があって成り立っていると思うが、地方を無視した中央があっていいものかどうか・・・・。この理屈は稚拙に過ぎるだろうか。
日本復帰間もなく詠まれた琉歌がある。
◇下ぬあてぃ上ん 成り立ちゅるたみし 下ぬ無ん上ぬ何役立ちゅが
〈シムぬあてぃカミん なりたちゅる たみし シムぬねん カミぬ ぬやく たちゅが〉
歌意=下人民があってはじめて、お上(政府)も成り立つ道理。国民を無視したお上が何の役に立つものか。たたないのである。
さらに1首。
◇あたら我が沖縄 品物ぬ例ゐ 取ったい取らったい上に任かち
〈あたら わがウチナー しなむんぬ たとぅゐ とぅたい とぅらったゐ カミにまかち〉
歌意=愛する我が沖縄。日米にとっては品物同様のモノだろうか。極東の安全と平和のために米国統治下に置いたり、はたまた(沖縄が返還されない限り、日本の戦後は終わらない=佐藤栄作=と、取り戻したり、すべてお上任せ。沖縄の民意は完全無視。どこに自由と平和があろうか。
この琉歌は当時、80歳の老女が詠んだものである。その老女は風狂の歌者・故嘉手苅林昌の母。彼もまた母親の詠歌の連作として、こう詠んでいる。
◇戦世ん終わてぃ 弥勒世が思みば 国ぬゆさゆさぬ果てぃや 無らん
〈いくさゆん うわてぃ みるくゆが とぅみば くにぬ ゆさゆさぬ はてぃや ねらん〉
歌意=沖縄戦も終結し、日本復帰も叶った。これからは平和の時代を迎える!と期待したものだが、それは見事に裏切られ基地の島化された沖縄。国はユサユサと揺れに揺れて、いまだキナ臭い!どうなることやら・・・・。
主義主張は多々。言論の自由もあらねばならない。われわれも多角的な「勉強会」を開いて楽手しなければならない。そしてそれは、命を尊ぶことを根源とした平和希求の「勉強会」であらねばならない。ウルの小生が、ちょっと力み過ぎたか・・・・。外から飛行音が聞こえる。どこへ行くのか今日もオスプレイが北の方へ向かって飛んでいる。