旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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三線・人・出逢い

2017-02-20 00:10:00 | ノンジャンル
 立春が過ぎて、日没は小1時間遅くなっているが、居心地がいいのか流れることを忘れて沖縄の上空を灰色の雲が抱きすくめている。けれども、時折、顔をのぞかせる青い空からは‟もうすぐ春ですよ”という励ましの言葉が聞こえる。
 RBCiラジオ主催・第25回「ゆかる日まさる日さんしんの日」は、毎週月曜日から金曜日・午後4時から放送して55年の長寿番組「民謡で今日拝なびら」を母体にして生まれた。
 ウチナーンチュと三線。その関係は四季折々の儀式、諸行事で深くなり、日常生活の直ぐ傍らに、ごく当たり前のような顔をしてある。したがって、三線に対する思い入れ、出逢いはさまざま。番組に寄せられる‟便り”から、その辺を汲み取って頂こう。

 「さんしんの日に寄せて」

 大病を患い、小康状態になったとは言え、これ以上、元には戻れないことを実感した20年ほど前のこと。「何か趣味を持って気持ちに張りを見つけるようになさい」と医者のアドバイスを受けた家人が、私を連れて行ったのは東京。新宿にある沖縄料理店だった。その店の人から(三線サークル)に誘われ後日、家人に付き添ってもらって参加。初めて(三線)に触れた。そして多くの方と知り合い、遂に沖縄通いをするに至った。沖縄芸能に魅せられて20年・・・。何時の間にか健康と言って差し支えのないほどに回復した今、私の命を支えてくれた(三線)と沖縄の芸能には、筆舌では言い尽くせない恩義がある。<神奈川県座間市=戸田潤子>。

 今年の1月8日付沖縄タイムス紙に、私にとって感動的な記事が載った。
 沖縄市宮里区の御来光拝みの記事である。「元日の6時半、区民約350人が小学校近くの丘に集い、三線を演奏、合唱し荘厳な音色を響かせ、日の出に家内安全、世界平和を願い、新年の門出を祝った」という。三線の島ならではのことで、感動を持って読んだ。
 さて「ゆかる日まさる日さんしんの日」が今年もゆっくりとやってくる。元旦のRBCテレビ「民謡紅白歌合戦」をスタートに沖縄文化芸能事業が新聞を賑わしている。琉球古典音楽、舞踊、組踊、民俗芸能、民謡、芝居などなど、各種のイベントが企画され、まさに沖縄文化の花が咲く。その花のすべての幹になるのは、やはり三線。<うるま市仲嶺=安座間良勝(73歳)>。

 関東大震災の折、言葉の訛りのせいで朝鮮人(当時はそう呼んだ)に間違われて投獄され、処刑される憂き目に遭った本部町伊豆味出身者の実話である。
 いくら沖縄出身だと主張しても聞き入れてもらえなかったところへ、同拘置所に勤める沖縄出身の巡査がきて「沖縄出身なら沖縄の歌がうたえるだろう。歌ってみろっ」と指示され、郷里の‟本部ナークニー」を歌ったところ、これはまぎれもなく沖縄出身だと、かの巡査が証を立ててくれて、無罪放免となり、命拾いをしたということである。沖縄の歌が歌えなかったら、身の証が立たず、処刑される羽目になったことだろう。<名護市宮里=大嶺惇雄>

 ※筆者注釈=大正12年(1923)9月1日午前11時58分、関東全域にわたって発生した関東大震災。相模湾を震源地とし、マグニチュード7.9。死者9万人。罹災者340万人といわれる。
 当時の官憲は在日外国人の暴動を恐れ、彼らを強制逮捕し拘置所、留置所などに収監したという。

 「さんしんの日」が来ると私の叔母は、いつも戦後疎開先のパラオから引き揚げてきたときのことを話す。沖縄芝居の脚本家、役者だった叔母の父(私の祖父)は、引揚船の中でいろんな歌を三線で弾き、皆を楽しませていた。そこへ米兵が英語で話しかけてきたが、理解できない父親は適当に「イエス、イエス」と答えると、米兵は歓んで三線を取り上げ、代わりに煙草を置いていったという。物々交換されたあの三線は米国のどこかにまだあるのだろうか。持ち主と一緒に海に沈み藻屑と消えてしまった三線も数多くあっただろう。「さんしんの日」に沖縄で、世界の様々な場所で「かぢゃでぃ風」が響き渡る。深い海にも響いているに違いない‟この歓びが永遠に続きますように”と。<宜野湾市我如古=上間かな恵>。

 うるま市勝連・浜区三線同好会では「さんしんの日」や豊年祭にむけて毎週水曜日に浜公民館で三線の稽古を頑張っています。また通常は、三線同好会のメンバー2、3人で浜区のひとり暮らしのおじいぃおばぁの家を月一回巡り、歌三線を披露しています。もちろん「さんしんの日」には、浜区公民館で演奏会を催します。<うるま市勝連浜=久保田行廣>。

 第1回から独自の「さんしんの日」演奏会を開催している名渡山兼一主幹・絃友会では、以来使用してきた沖縄県人会館の舞台に掲示する吊り看板を新調するなど着々、準備が進められている。
 「ゆかる日まさる日さんしんの日」は、読谷村立文化センター鳳ホールを主会場に開催。その模様は午前11時45分から午後9時まで、逐一RBCiラジオで実況され、世界に発信される。
 かくて三線は春化粧をして3月4日の出番を待っている。

  

畳語・重ねことばをたのしもう。パート12

2017-02-10 00:10:00 | ノンジャンル
 コートの襟を立て、首に巻いたマフラーを両手で抱き込み、顔にはマスク。重装備で街中を行く人びとを、まるで無視して寒気が居座っている。
 北海道、東北地方に比べれば最低12、3度、最高20度以下の2月中旬なぞ(寒さの内には入らない!)。そうのたまう伊達男もいるが、それは強がりというもので、どこにいても寒さは(寒い!)に決まっている。
 雪国の暮らしを知らない頃、新潟に住む友人に雪掻きは楽しかろうと、寒中見舞いの声掛けをしたところ、電話の向こうの友人は、
 「ウチナーンチュは暢気でいい」
 と、ほんものの寒さの体験のなさを責められた。積雪の怖さを教えられたのもその頃。灯油なる言葉を知り、それなしでは越冬できない生活があることも学習した。
 我が家の内壁にもクーラー兼用のヒーターが設置されて、炬燵もあるにはあるが、いまだ稼働していない。
 極端な寒がりのことを(フィーサー王=寒がり王)というが、それを自覚している御仁には、冬の本土出張、旅行を拒否、敬遠している。
 ちなみに、フィーサー王のほかに、空腹(ヤーサ)に対する我慢力がない者を(ヤーサ王)と呼称。食い意地も張り過ぎと、いささか冷笑される。
 ウチナーンチュは、如何にして暖をとるのか。「仕事、綿入り=しぐとぅワタイリー」これである。家の中に引き籠らず、外へ出て農作業をするなど、とかく身体を動かせば、綿入れを着用したのと同じであると形容している。

 さて。八重山・石垣地域の畳語・重ねことばも今回でひとまず段落とする。他にも多々あるが、それはまたの機会に。

 ◇あんがり ぴゃんがり
 *所作的には、跳び上がる、跳ね上がるさまをさしている一方、内面的には、褒められて、舞い上がること、我を忘れるさまを指している。
 誰しも称賛されると、ついついその気になって小鼻を膨らませたり、辺りを睥睨したりするもの。ある程度のそれは愛嬌があっていい。が、それも度が過ぎると「鼻持ちならない」ことになる。
 殊に女性には(あんがり ぴやんがり)傾向が強い。褒めたら足元が地につかず、我を忘れて天まであがる。「女や、褒みれー天までぃ上ゐん」。あるいは「毬ん丈ん あがいん=マーイんたき・手毬のように屋根まで、天まであがる」といわれる。
 また、女とは「褒めれば上がる、叱ればすねる。さりとて殺せば化けて出る」と比喩するむきもある。しかし、それは女性の繊細な感情を察知できない不粋者の軽口と私は言いたい。

 ◇のーばし いかばし
 *何をどうしたらよいか。迷いのさま。目の前の事柄を如何に処理したらよいか、判断を迫られた場面では、誰しも(のーばし いかばし)思案するものだ。急いては事を仕損じる。類似語に「のーさばどぅ いかさばどぅ」がある。

 ◇ねーら こーら
 *耐え忍び、怠らず努力すること。または、さま。
 昭和天皇が石垣人だったら「耐え難きを絶え、忍び難きを忍び(ねーら こーら)して・・・・」と日米戦争の終結を告げたに違いない。

 ◇むんどー くんどー
 *問答、口論。いがみ合うこと。またはさま。
 (ムンドーくんどー)は我の張り合い。得てしていい結果は生まない。他人の(むんどー くんどー)を見、聞きした人は、それを面白く脚色して(あなたひとりの耳に入れよう。誰にも言ってはならない)と前置きして囁き、結果、皆が知ることになる。しかも、問答の原因まで脚色されて、真意は藪の中に葬られる。「囁き千里」とはこのことだろう。
 囁き千里=見て見ぬふりをするのも美徳のひとつと思われるが、他人の不具合、不都合は自分の胸ひとつには納め難く、人の耳に手を当てて囁き聞かせる。それはどんな小声で囁いても、耳から口へ、千里四方の人が知るところとなる。囁きは大声よりも足が早い。それ故、囁きという字は、口篇に耳を三つも書くのだそうな。
 他人のあらぬ噂、誹謗中傷の言は耳に残すな。聞いたら聞いた所に捨てよという先人の訓示がある。
 「聞かば聞ち所んかい捨てぃり=ちかば ちちどぅくるんかい してぃり」。
 これができれば人間、男も女も立派な社会人たり得るのだが、なかなかそうもいかず、今日も囁きは千里を走っている。

 灰色の幕が空を覆っている。
 青空が登場する幕はいつ開くのだろう。
 3月4日は「ゆかる日まさる日さんしんの日」。
 RBCiラジオ主題の同イベントは、25年目を迎え、読谷村立文化センター鳳ホールを主会場に県内外、ウチナーンチュゆかりの諸外国を結んで、三線文化を共有する。正午の時報を皮きりに午後8時までの時報毎に沖縄中、いや、世界中の三線が「かぢゃでぃ風」を斉唱。春到来の幕が開く。三線の音が春を連れてやってくるのだ。

   

畳語・重ねことばをたのしもう。パート11

2017-02-01 00:10:00 | ノンジャンル
 ‟迎春で言ちん 真冬にどぅ向かる 三線どぅ弾ちゅる 風邪や引くな”
 〈げいしゅうで いちん まふゆにどぅ んかる サンシンどぅ ふぃちゅる カジふぃくな

 そんな狂歌を詠んでみた。
 (繁華街、商店街の看板やテレビ、新聞、チラシなどには、まだ‟迎春”の2文字が見え、もう‟春”を手に入れたような振る舞いだが、どうしてどうして時候は真冬に向かっているのだ。恒例のようにインフルエンザが徘徊して風邪引きさん多々。三線は弾いても風邪は引くな)というお奨めである。
 土曜日、日曜日の夕刻、日頃の運動不足を補うために家の近辺を小1時間散策している。と、この2週間ほど前から、通りすがりの家から三線の音が決まって聞こえる。仕事がら三線の音に敏感なボクは‟歩き”を止め、呼吸を整えて、しばし聞き入る。節は「かぢゃでぃ風」だ。
 頬や鼻の先のこわばりとは裏腹に、温かい気分になる。ついついボクも口三線で伴奏してみるのだが、初心者らしく(ひっかかい むっかかい=ひっかかりが多いさま。ミスが多いこと)で、かぢゃでぃ風は前に進まない。声のほどからして30歳がらみの女性・・・・。
 「稽古を始めて1年?ほどかな。チンダミ(調弦)は甘く、絃を押さえる左指の押すチブ(ポジション)が微妙にズレているな。ドンマイ!ドンマイ!生まれながらの名人はいない。お続けなさい。楽しみなさい」。
 心の中で、エールを送り、その場を離れる。ウォーキングのせいばかりではなく、身も心もすっかりホンワカしている。

 さて。八重山石垣の畳語・重ねことばを楽しもう。

 ◇ざん はんたり
 *肥満体系。そのさま。本島語には(ぶってー ふぃってー)(ぶってー まんてー)がある。
 我が家にも(ざん はんたり)が1人いる。それが幼少から歌三線をよくし、歌者と称されている。舞台公演、テレビ出演のオファーがあると、数日前から厚着をし、さらに通風性のないパーカーに身を包み、ただでさえ丸い身をさらに着ぶくれさせて、近所にある運動公園に出掛けるのを慣例としている。帰ってくると汗を流し、次に取る行動は、顔面にローラーを掛けることである。他所さまに見られるという意識が、涙ぐましい努力を強いるのだろうが普段(ざん はんたり)と同居している者には、いささか得心がいかない。

 ◇よーがり かーがり
 *異常に痩せているさま、本島では(よーがり ふぃーがり。よーがり ひーがり)という。病後の(よーがり かーがり)は、1日も早く健康的な(ざん はんたり)を復活させたほうがいい。肥満、痩身はDNAによるとも言われるが、努力でコントロールできないものではなさそうだ。
 この「畳語・重ねことば」を採取した歌者大工哲弘と行くスナック、おでん屋のママ、女将は大抵(よーがり かーがり)している。痩身好みなのである。肥満女を前にして飲むと眠気が襲うそうな。事実、彼の妻女苗子は、最盛期の体重を12キロ落としている。奥村チヨよろしく‟あなた好みの女になりたい~”一心からだ。夫婦相和し。

 ◇ぶるっかい ぴぎっかい
 *幾度も行きつ戻りつするさま。同じ行動を繰り返すさま。
 沖縄の俗語に「師走ぬ女や 道端ぬ草ん 踏ん枯らすん=シワーシぬウィナグ(ヰナグ)や みちばたぬクサん くんからすん」がある。
 正月を間近に控えた殊に主婦は、お供えものや馳走の食材をあがなうのにマチ(市場)と自宅を(ぶるっかい ぴぎっかい)する。そのさまは往復の草を踏み枯らすほどの多忙を言い当てている。
 師走中旬にもなると正月用品が出回る。それをいち早く購入するのは金持ち連。そうでない庶民は、ぎりぎりまで購入を控える。大晦日が迫ると品々はディスカウントセールにかけられるからだ。商人もまた、売り尽くさなければ、いい正月が迎えられない。そこに売り買いの駆け引きがある訳だが、1銭でも2銭でも安価になるのを待つ。こうした(ぶるっかい ぴぎっかい)には、主婦のやりくりの知恵が見えて、なんとも逞しい。

 さて、今日も散歩に出掛けるか。
 件の三線は「かぢゃでぃ風」を奏でているだろうか。
 3月4日。RBCiラジオ主催・第25回「ゆかる日まさる日さんしんの日」に間に合うだろうか。
 「さんしんの日」には、正午の時報を合図に沖縄中に三線が一斉に「かぢゃでぃ風」を奏でる。おそらく、件の女性もそれを目標にしての稽古だろう。
 チンダミはちゃんとできるようになっているだろうか。押いチブは修正されているだろうか。急がなくてもいい。3月4日は毎年やってくるのだから。因みに当日の生放送は午前11時45分から午後9時まで。毎時報ごとに「かぢゃでぃ風」を演奏。古典音楽、島うたを網羅した9時間15分の構成。海外、県外を結んでの一大イベントだが、主会場は読谷村立文化センター鳳ホール。

 外へ出る。さすがに寒い。けれども15分も行けば彼女の「かぢゃでぃ風」が、温もりをくれる。「きっちゃき ひぃちゃき=つまずくこと。そのさま」をしないように、さあ、急ごう。

「ゆかる日まさる日さんしんの日」