旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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佳かる日勝さる日・父の日

2011-06-20 00:10:00 | ノンジャンル
 “親父みたいなヨ 酒呑みなどにヨ ならぬつもりがなっていた~”
 「望郷酒場」<作詞里村龍一。作曲桜田誠一>の歌い出しである。
 私は生れてこの方沖縄を離れて暮らしたことがなく、望郷の念は感覚的にしか理解できないが最近、スナックなどでカラオケを廻し歌いをする段になると3廻り目、4廻り目には「望郷酒場」をセットしてもらうことになる。そして、思い入れを深くするためか己の歌唱に酔いしれ、目頭を熱くしている自分に気づく。
 「涙もろい歳になったものだなぁ・・・・」。
 13歳で父親と死別して60年。その父親の享年をひと回り長生きしてしまうと、演歌の歌詞にも涙もろさを発揮してしまうのである。
 「父の日」。息子夫婦、娘夫婦から期せずしてゴルフウェアをもらった。〔歳も考えながらゴルフを楽しめ〕というメッセージのつもりだろう。2着のうちの1着は、ちょっとハデめで、ほんの少しサイズが小さいが「いやいいや、ピッタリだ。誂えものみたいだよ」と、彼らに逢う日は好んで着けている。不服を言えば「父の日」は「母の日」に比べて、デパート等の掛け声だけになっているようだから、あえて手許の資料をもとに知ったかぶりをしておきたい。
 1909年のこと。アメリカ・ワシントン州スポーケンに住む女性ソノラ・スマート・トッドさんは母親亡き後、男手ひとつで彼女を含む6人の子供を育てた父ウイリアムに〔感謝と賞讃を表したい〕旨を教会に申し出た。それは、善行として受け入れられ、父の誕生日である6月の日曜日に礼拝をしてもらった。このことがきっかけで「父の日」が動き出した。公式の「父の日」の祝宴は、1910年6月19日にスポーケンで行われたのを最初とするが、このことは1916年になってアメリカ合衆国第26代大統領ウッドロー・ウィルソンがスポーケンを訪れ〔父の日に関する演説〕を行ったことで認知されるようになったという。また、同合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンは、父の日を称賛する大統領告示を発して、6月の第3日曜日を「父の日」に定めた。さらに1972年、アメリカでは正式な国の記念日に制定されるに至っている。「母の日」の花がカーネーションであるのに対して「父の日」の花はバラだそうな。
 こうしたごく普通の女性の父への思いが、教会を動かし、やがて大統領をも動かして、年中行事に定着するあたり、いかにもアメリカらしいと思われるがどうだろうか。日本にも、こうした例はなくはなかろうが、どうも戦前の皇室行事の〔名称替え〕が多い気がするのは、私の浅学のせいだろう。


 ところで。
 われわれの「父の日」は、アメリカにならって6月の第3日曜日だが、この日付は世界共通ではないようだ。再び手許の資料の受け売りをしよう。
※ 【世界の父の日】
1月6日=セルビア。2月23日=ロシア。3月19日=ボリビア・イタリア・ポルトガル・スペインほか数国。5月5日=ルーマニア。5月8日=韓国<親の日>5月第3日曜日=トンガ。6月第1日曜日=リトアニア。6月5日=デンマーク。6月第2日曜日=オーストリア・ベルギー6月第3日曜日=日本・中国・プエルトリコ・アメリカ・インド・イギリス・カナダ・チリ・コロンビア・コスタリカ・トルコ・フランス・ペルー・スロバキア・南アフリカ共和国・シンガポール・ウクライナ・メキシコ。6月17日=エルサルバドル・パキスタン・グァテマラ。6月23日=ポーランド。8月第2日曜日=ブラジル・サモア。8月8日=台湾。これは「パパ」と「8・8」の中国語発音が同音であることに由来するそうな。9月第1日曜日=オーストラリア・ニュージーランド。10月第1日曜日=ルクセンブルク。11月第2日曜日=フィンランド・ノルウェー・スウェーデン・アイスランド。12月5日=タイ。12月26日=ブルガリア。
 日付の異なりは、それぞれの国の風俗習慣、歴史、宗教<教会>などの主旨があってのことだろう。とかく、世界中で父親は尊敬、敬愛されていることは、3人の実子と嫁・婿を持つ私にとっても嬉しい限りである。が・・・・しばし待て。私は「父の日」を心底祝ってもらえるほどの存在感ある〔父〕だろうか。わがことながら、自身をもって胸を張れないのは何故だろうか。
 「ダメ父親もずいぶんやってきたからなぁ・・・・。」
 それを反面教師としたかして息子や娘は、それなりに育ってくれて、5人の孫を見せてくれた。ダメ父親だった男もいまや、立派な?爺になって、孫たちのアイドル?になっている。人生快哉!
 私は実父と酒を酌み交わしたことがない。私が20歳になるまで待ってはくれなかったのだから仕方がない。したがって、たまに息子や婿と酒杯をかたむけるときは、常に「父の日」と心得ている。この父の日は年に何回あってもいい。はたまた歌いたくなった。
 “父親みたいなヨ 酒呑みなどにヨ ならぬつもりがなっていた~”

 ※〔編集者からの告知〕

   

 国立劇場おきなわ企画・演劇公演。作上原直彦。演出北村三郎「敗戦模様・九年母の木の下で」が、6月25日<土>午後6時30分。26日<日>午後2時開演の日程で上演される。沖縄演劇界のベテラン、新人、素人、小学校生総勢40人の出演。前売り券発売中。
問い合わせ=国立劇場おきなわ。電話=098-871-3350



敗戦・人間模様

2011-06-10 00:43:00 | ノンジャンル
 その年も暑い6月だった。
 アメリカ軍の捕虜になってひと月半は経っていただろうか。逃避していた山中から捕虜収容地に連行され、その地の農家に寝起きできるようになって、大人たちの表情も幾分柔らかくなっているように思えた。もちろん、7歳の少年がその時、そう実感したわけではない。親兄弟の終戦ばなしや、長じて沖縄戦史等を読み、山中を草葉枕にしながら逃げ惑っていた連日よりも、焼け残った茅ぶきの民家の床の上に、家族が揃って寝、目覚める日々は、人びとに安寧をもたらし、大人たちの表情を和らげてくれたに違いないと、確信するのである。
 農作物や海産物が需要を満たすにはほど遠く、米軍政府が地球のはるか向うの米国本土から輸送してくる占領軍兵士のための物資のおこぼれと、日本を除く欧米やアジアの国からの救援物資で、言葉通り〔その日暮らし〕をしていた。
 少年は、敗戦の意味するところも知らず「何か食べるモノ」はないかと、土間に設けられた台所に廻って、鍋や羽釜のフタをとってみるのだが、鍋・羽釜はきれいに洗われていて、少年の期待には応えてくれなかった。仕方なく再び外に飛び出して、ともかく遊びに夢中になることで空腹を忘却することにしていた。何かに集中すれば〔ヤーサ=空腹=は克服できる〕という術を少年は体得したのである。
       
       写真=うるま市石川歴史民俗資料館  
 少年の父の名は上原直實。
 祖父は、男の饒舌を好まない寡黙な明治男。戦前はそれほどでもなかったそうだが、神国日本の敗戦は、彼をさらに言葉少ない男にした。と言うのも、己の長男次男を〔お国の為に〕喜んで出征させたものの、上海沖とビルマ戦線で戦死させてしまった。
 〔息子たちは、天皇陛下バンザイを叫んで息を引き取っただろうに、親の自分は捕虜になって生き延びている〕。この思いが日夜、親父の胸をさいなんだ。日本国の勝利を信じて、沖縄戦の最中も妻子の命を守るために避難行を続けたことだが、捕虜になったのが、4月1日の米軍の沖縄上陸からひと月にも満たない4月28日。このことも親父を断腸の思いに追いやった。
 「天皇の民たる日本男子が何の抵抗もせず、ひと太刀をあびせることもなく捕虜になるとはッ・・・・」
 この無念さが親父をことさら寡黙な男にした。早々に捕虜になったことは「誰にも明かすなッ。恥ずべきことだからッ」
 親父は、生き残った家族にそう口止めした。この箝口令は厳守された。兄や姉たちから〔上原一家の捕虜の日は、昭和20年4月28日〕と知らされたのは、少年が30歳ほどになってからだった。
 天皇の民を誇った男。日本魂を貫いた男。敗戦の屈辱を飲み込んで寡黙になった男。マラリアとも戦い、妻子の命を守ることのみを実行した男。そして、昭和25年4月23日。力尽きたか不慮の事故で58歳の人生を閉じた上原直實を〔頑迷な男〕と、誰が責められようか。

 近所に、マリーと呼ばれる女性がいた。
 いち早く流行ったアメリカ文化にパーマネントがある。マリー姉さんもこの文化に乗り遅れていなかった。ちぢれっ毛を後ろ首筋から前頭部に通した赤いリボンの蝶々結びが似合っていた。化粧も着衣もアメリカナイズされてきれいだった。少年はマリー姉さんが好きだった。なぜか朝帰りする姿をよく見かけた。逢えば、明るい笑顔で声をかけてくれただけではなく、抱えた横文字入りの段ボールの中からチューインガムや珍しい米製のクラッカーやアップリ<アメ玉>をくれた。しかし、人びとの彼女に向ける眼は冷ややか。陰口で〔パンパン〕を呼んでいた。後で知ることになるのだがパンパンとは、米兵相手に春を売る女性を指していた。オンリー、ハーニー、ハニーなる言葉を耳にしたのもそのころだった。
 マリー姉さんは24、5歳になっていただろう。家族もいただろうが、なぜか一人暮らしをしていた。そう言えば、本名も知らないままでいる。それでも、暗い顔を1度も見たことはなかった。
 しかし、いまになって思えば戦争は男にとっても女にとっても〔死ぬも地獄、生きるも地獄〕なのだ。パンパンをしても生き延びたマリー姉さんを誰が責められようか。

 名前も記憶しているが、25歳前後のO兄さんは米軍の野戦用固形メチルアルコールを水で溶かして、酒代わりに常飲したとかで全盲になっていた。あのころにしては珍しいギターの名手で夕刻になると白目を空に向けて“影を慕いて”“酒は涙かため息か”“荒城の月”などを弾き、歌っていた。
 国と国の戦争はひとつだが、巻き込まれた人民には、一人ひとり何千何万という戦争がある。6月23日。沖縄上陸戦終結の日「慰霊の日」を前に、このことを熟考しないわけにはいかない。

    

 ※編集者から告知。
  国立劇場おきなわ企画・演劇公演。作上原直彦。演出北村三郎「敗戦模様・九年母の木の下で」が、6月25日<土>午後6時30分。26日<日>午後2時開演の日程で上演される。沖縄演劇界のベテラン、新人、素人、小学校生総勢40人の出演。前売り券発売中。
問い合わせ=国立劇場おきなわ。電話=098-871-3350

      
    

我れに秘密あり!

2011-06-01 00:10:00 | ノンジャンル
 「誰にも言うなよッ」「人に言っちゃダメよッ」。
 そう念押しをして自分の、あるいは他人の秘密めいたことを口にしたことがおありか。
 もし「ある」と言う方は人間的に好きになれるが、「1度もッ」を強調して「ないッ」と答える人は嫌いだ。信用がおけないような気がする。しかし、世の中は真実半分、嘘半分で成り立っていて、真実だけを語っていてはいかにも窮屈だし、逆に嘘だらけでも不安をつのらせるだけで、精神衛生上よろしくなかろう。
 〔精神衛生上〕と言えば、「実は・・・アタシ・・・」と、言いかけて「ウンン・・いいワ。聞かなかったことにして」と、何事かを飲み込んでしまう女性。バッグの中に「こんなものを持っているよ」と、取りだしかけて「イヤッ!いいワ。見ないでッ」としまい込んでしまう女性に幾度、翻弄されたことか。


 “聞かさんぱすしや ゆくん聞ちぶさぬ 見しらんぱすしや 開ち見ぶさ
  <ちかさんぱ すしや ゆくん ちちぶさぬ みしらんぱ すしや ふぃらち みぶさ

 歌意=何か言いかけたのに(でも、いいワ)と、聞かせたがらない話は余計、聞きた
くなるのが人情。また、見せかけて引っ込めるモノ・見せたがらないモノは、強引にでも
取り上げて開き、中のモノを確かめたくなるものだ。

 まあ、これも人間心理ならば、人さまに迷惑をかけない「言いたくないこと。見せたくないモノ」があってもいいのではないか。
 作詞作曲・久保田吉盛。歌・饒辺勝子の流行り唄に「誰にん言なようやー=マルフクレコード・ACD16」がある。
 「あの人との秘めた仲のことは、親兄弟でも言えない。あなただけに打ち明けるのだから、誰にも言わないでね」という内容だ。夜の巷のカラオケで皆が皆、楽しそうに歌っているから、誰にもその体験があるのだろう。
 北村孝一編「世界ことわざ辞典=東京堂出版」にこうある。
 ※1人しか知らなければ秘密。2人が知れば公然のこと〔インド。スウェーデン〕
 本当の秘密は自分しか知らないもので、もうひとり誰かに話したら、相手が誰であろうと皆に知れ渡るものと覚悟しなければならない。秘密は、とかく漏れやすい。本気で秘密を守りたければ「誰にん言なようやー」なぞと歌わず、自分が死守するしかない。
 ※2人の秘密は神様の秘密。3人の秘密はみんなの秘密〔フランス〕
秘密も2人だけなら信頼関係も保ち易いが、3人となると憶測が加えられ、作り話がくっついて、本来の秘密とはあらぬ方向へひとり歩きをしてしまう。

 秘密とは。①隠して人に知らせないこと・さま。②こっそり行うこと・さま。
 辞書にもそうあるが、世事の秘密はさまざまな連想をさせてくれる程度でいいようなものの、法律的秘密・機密は守らなければならない。しかし、それもことによりけり。
 日本国の『秘密保護法』
 「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法」の略。アメリカから受ける情報や装備品などの秘密を守ることに関する法律。昭和29年<1954>に公布されている。
 個々が持ち合わせている多かれ少なかれの秘密は、適当に愛嬌があるが、国の秘密は民族をあらぬ方向へ追い込みかねない。日本の1県であるはずの沖縄はいま「日米相互防衛協定」の名のもとに〔見せざる・聞かせざる・言わせざる〕の3猿にされている。他府県ではどうだろうか。
 ある沖縄人は言った。
 「1972年5月15日。アメリカ軍政下からの日本復帰は果たしたが、いまもって日米の秘密保護法のもと〔植民地〕の域を脱していない。この際、沖縄は独立をすべきではないかッ」
 これに対して、いまひとりの御仁は冷ややかに答えた。
 「日本国自体がアメリカ植民地の態。その植民地からどう独立するのか」
 なごやかだったビールの座は、一気に冷えてしまった。

沖縄タイムス掲載記事

 作詞作曲・儀保盛輝・石川ひろゑ歌の「言なけーしむたるむん=マルフクレコード=F25-2」はこう歌う恋歌。
 「あなたなぞキライッ!とは言ったのは、本心ではないのよ。わたしがこんなに愛し、尽くしているのも知らないで素っ気ないから、そう言ったの。あなたはそれを真に受けて逢ってもくれない・・・・。キライッのひと言。あゝ、言わなければよかった。後悔ばかりだワ」。
実は筆者にも、対女性の1件で「誰にん言なようやー」と念押しして漏らしたことが、公然の秘密になり、いまになって「言なけーしむたるむん」になり、悔やんでいる事例がある。と言うのは・・・・。いやいや、いまさら言うまい。聞かなかったことにしてほしい。読まなかったことにしてほしい。