場所がどこであれ、宴の大小にかかわらず(座開き)の折りは、それなりに(飲み方始め!)の乾杯をする。
音頭取りをするのは座の中の長老格か幹事の役目である。結婚披露宴のプログラムにも、仲人挨拶のあとは決まって(乾杯の発声)が組まれている。また、乾杯の発声を依頼された人は「人徳が認められた」として、滅多なことでは断らず、むしろ、歓んで引き受ける。嘉例吉事(かりゆしぐとぅ)だからだ。
縁起がよいこと。また出来ごと。めでたいことを意味する「嘉例吉」は、古くから重んじられている習慣儀式。
「かりゆし」という言葉に「嘉・例・吉」の漢字を当てたのは明治以降、沖縄学をよくする先生方で、沖縄独特の熟語と言われている。
「かりゆし」を略して「かりー」なる言葉が日常、よく使われているが、「かりゆし・かりー!」を用いた言葉もいろいろ。
◇かりー付き(じき)。
*特に祝い事の座に徳を付ける場合は歌三線・踊りの登場となり、沖縄の祝歌「かぢゃでぃ風節」の演奏・踊りで座開きとなる。その場合、それまで雑談していた参列者もピタリと私語をやめ、姿勢をただして、歌踊りに耳、目を傾ける。実に厳粛な瞬間である。
今時の結婚披露宴でも、流行りのディスコティックな音楽で入場した新郎新婦が雛段に着席すると、ここだけは古式にのっとって親族や新郎新婦の友人たちが嘉例歌「かぢゃでぃ風節」を演奏し、踊る。これまでの慣例をきっちりと継承しているのは、微笑ましくも思える。それらを「かりー付きーん」という。この儀式に参加する者もまた、名誉なことと自認し、後々までの自慢、冥加にするあたりも嬉しい。
◇かりーなムン(物・できごと)。
*他人にとっては大したモノではなくても、当人には何モノにも代えがたい宝物がある。これが「かりーなムン」である。
40歳には三つ四つととどかない友人の女性。長男が5歳になった10月10日の名は大綱曳きの際、長男を連れて見学に行った。子ども連れのこと。大綱の中央では「子どもにとっては危険が伴う」と、東西に分かれてひく、東方に組して末尾を引いた。子どもが汗みどろになって引いたおかげで、東方が勝った。
綱引きの後、大綱の枝綱(ゐだじな)を持ち帰れば(かりーが付く)と親から聞いたことを思い出し、彼女も5本ほどの(枝綱)をいまもって子ども部屋に保管しているという。たかだか、いや、持っていても何の使い道もない(藁くず)を捨てられないでいるのは豊年を祈願して引く大綱の枝綱のおかげで「息子も息災に育つ」との思い入れがあるからだろう。それが「かりーなムン」である。
かく言うボクの部屋の本棚の横に額を入れた琉歌の文字がある。
『名護親方いろは唄より』
{年ぬ寄てぃてぃやゐ 徒に居るな 一事どぅんすりば 為どぅなゆる}
七十三祝の記念として、宮城嗣周師の自筆。
(とぅしとぅたん てぃやい いたじらにWUるな ちゅくとぅどぅん すりば たみどぅなゆる)
訳=もう年だっ。何の役にも立たないっと決めつけて、日々を徒に生きてはならない。歳は歳なりに、自分が出来ることの一つも成せば、なんらかの(為・益)になる。
宮城嗣周師はRBCiラジオの番組「ふるさとの古典」を22年間にわたり解説担当をなさった方で、不肖のボクに多くのことを教授して下さった恩師のひとり。師が73歳の成年祝いの折り、自らしたためて参列者に配られた書。「最近、歳のせいで仕事の手抜きをしたくなる」場合、目の前の1首というより、宮城嗣周師が「フユーするなっ=ずぼらをするなっ」と、叱責されているようで、気を引き締めることしばしば。この書もボクにとっては「かりーなムン」と言えなくもない。
褒め言葉にも「かりーなムン」はある。
昔は新築祝いでも嘉例吉を祈願して「かりー歌」を詠み、墨痕鮮やかに書いて縁起物とし贈った。家褒めの1首。
『何時んくぬ宿や 嘉例吉どぅやゆる 子・孫でぃきてぃ 笑い福ゐ』
(いちん くぬやどぅや かりゆしどぅ やゆる くぁ・んまがでぃきてぃ わらいふくゐ)
訳=いつもお宅様はいいことずくめ。子や孫も優れ者に育ち、笑い声が絶えない。嘉例吉いっぱい。福々しいかぎりで羨ましい。
原稿を書く手をゆるめて、ふと机の上に目をやると孫の女児がみどりの色紙で折った(鶴)が一羽。去年の敬老の日のプレゼント。外は雨である。
音頭取りをするのは座の中の長老格か幹事の役目である。結婚披露宴のプログラムにも、仲人挨拶のあとは決まって(乾杯の発声)が組まれている。また、乾杯の発声を依頼された人は「人徳が認められた」として、滅多なことでは断らず、むしろ、歓んで引き受ける。嘉例吉事(かりゆしぐとぅ)だからだ。
縁起がよいこと。また出来ごと。めでたいことを意味する「嘉例吉」は、古くから重んじられている習慣儀式。
「かりゆし」という言葉に「嘉・例・吉」の漢字を当てたのは明治以降、沖縄学をよくする先生方で、沖縄独特の熟語と言われている。
「かりゆし」を略して「かりー」なる言葉が日常、よく使われているが、「かりゆし・かりー!」を用いた言葉もいろいろ。
◇かりー付き(じき)。
*特に祝い事の座に徳を付ける場合は歌三線・踊りの登場となり、沖縄の祝歌「かぢゃでぃ風節」の演奏・踊りで座開きとなる。その場合、それまで雑談していた参列者もピタリと私語をやめ、姿勢をただして、歌踊りに耳、目を傾ける。実に厳粛な瞬間である。
今時の結婚披露宴でも、流行りのディスコティックな音楽で入場した新郎新婦が雛段に着席すると、ここだけは古式にのっとって親族や新郎新婦の友人たちが嘉例歌「かぢゃでぃ風節」を演奏し、踊る。これまでの慣例をきっちりと継承しているのは、微笑ましくも思える。それらを「かりー付きーん」という。この儀式に参加する者もまた、名誉なことと自認し、後々までの自慢、冥加にするあたりも嬉しい。
◇かりーなムン(物・できごと)。
*他人にとっては大したモノではなくても、当人には何モノにも代えがたい宝物がある。これが「かりーなムン」である。
40歳には三つ四つととどかない友人の女性。長男が5歳になった10月10日の名は大綱曳きの際、長男を連れて見学に行った。子ども連れのこと。大綱の中央では「子どもにとっては危険が伴う」と、東西に分かれてひく、東方に組して末尾を引いた。子どもが汗みどろになって引いたおかげで、東方が勝った。
綱引きの後、大綱の枝綱(ゐだじな)を持ち帰れば(かりーが付く)と親から聞いたことを思い出し、彼女も5本ほどの(枝綱)をいまもって子ども部屋に保管しているという。たかだか、いや、持っていても何の使い道もない(藁くず)を捨てられないでいるのは豊年を祈願して引く大綱の枝綱のおかげで「息子も息災に育つ」との思い入れがあるからだろう。それが「かりーなムン」である。
かく言うボクの部屋の本棚の横に額を入れた琉歌の文字がある。
『名護親方いろは唄より』
{年ぬ寄てぃてぃやゐ 徒に居るな 一事どぅんすりば 為どぅなゆる}
七十三祝の記念として、宮城嗣周師の自筆。
(とぅしとぅたん てぃやい いたじらにWUるな ちゅくとぅどぅん すりば たみどぅなゆる)
訳=もう年だっ。何の役にも立たないっと決めつけて、日々を徒に生きてはならない。歳は歳なりに、自分が出来ることの一つも成せば、なんらかの(為・益)になる。
宮城嗣周師はRBCiラジオの番組「ふるさとの古典」を22年間にわたり解説担当をなさった方で、不肖のボクに多くのことを教授して下さった恩師のひとり。師が73歳の成年祝いの折り、自らしたためて参列者に配られた書。「最近、歳のせいで仕事の手抜きをしたくなる」場合、目の前の1首というより、宮城嗣周師が「フユーするなっ=ずぼらをするなっ」と、叱責されているようで、気を引き締めることしばしば。この書もボクにとっては「かりーなムン」と言えなくもない。
褒め言葉にも「かりーなムン」はある。
昔は新築祝いでも嘉例吉を祈願して「かりー歌」を詠み、墨痕鮮やかに書いて縁起物とし贈った。家褒めの1首。
『何時んくぬ宿や 嘉例吉どぅやゆる 子・孫でぃきてぃ 笑い福ゐ』
(いちん くぬやどぅや かりゆしどぅ やゆる くぁ・んまがでぃきてぃ わらいふくゐ)
訳=いつもお宅様はいいことずくめ。子や孫も優れ者に育ち、笑い声が絶えない。嘉例吉いっぱい。福々しいかぎりで羨ましい。
原稿を書く手をゆるめて、ふと机の上に目をやると孫の女児がみどりの色紙で折った(鶴)が一羽。去年の敬老の日のプレゼント。外は雨である。