旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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鶏鳴

2012-07-20 00:15:00 | ノンジャンル
 英語圏の鶏は「C0CK-D00LE-D00!と鳴く」
中学生のころ、そう教わった。日本の鶏は「こけこッこうッ!」が普通。
鶏にそれぞれの自国語があるとは考えにくいが、何故、こうも異なるのだろうか。
鶏のみならず、星の輝きも、日本は「キラキラ」だが、あちらは「ティンクル ティンクル」とまたたいているらしい。
「それぞれの民族の五感<殊に聴覚>は同一ではなく、また、発音、発声など言葉<語感>の異なりが、これらの擬似音を生む」
そう言い切った人がいるが、ニッポン語と沖縄語の二カ国語しか話せない私は「なるほど」と、すぐに納得してしまう。
鶏鳴は本土と沖縄でも相違がある。まあ、正確にはその地域の人が持っている音感の相違で、鳴き声そのものは同じなのだろうが・・・・。
一般的に首里那覇の鶏は「こッころーこーッ!」 「こッころーうーッ!」 「こッここーうーッ!」もしくは、下町のそれは「けッけれーけーッ!」である。
それが、中頭地域<なかがみ・沖縄市など沖縄中部地区>では「こッけれーけーッ!」同地域でも字美里では「こてこッこーッ!」と鳴いて暁を告げる。
さらに、宮古島の鶏は一般的に「くッかくーくーッ!」もしくは「くッかぐーぐーッ!」と、宮古言葉のもつ独特の発音と抑揚を発している。
宮古城辺町出身の歌者国吉源次によれば、
「我が故郷の鶏は<ぐッぐぐーぐーツ!>と、誇らしく鳴く」
と、顔を真っ赤にして実演してくれた。妙に説得力があった。
いまのところの鶏鳴収集はこの程度だが、おそらく、各地に独自の言葉と訛りがある分、鶏鳴は異なるのだろう。世界各国をはじめ、日本、沖縄各地のそれの調査を続けたい。
記載した鶏の鳴き声は、是非、声を出して<裏声に限る>読んで、いや、鳴いていただきたい。ただし、所を選ばず突然<鳴き>出すと、誤解を招く恐れがある。要注意。
ところで。
鶏は文明9年<1477年>の「朝鮮人南島漂流記」にも見え、昔から時を告げる役割を果たし、人間社会に貢献してきた。しかし、夜の明けるのも忘却して愛を語り合う恋人たちには、随分、憎まれてきた。
琉歌の中には、相当数の<鶏を恨み憎む>詠歌がある。その一首を記しておこう。

 “あねる鶏に 物投ぎてぃ呉るな 暁ぬ別り 知らす科に
 <あねる なぁどぅいに むぬ なぎてぃ くぃるな あかちちぬ わかり しらす とぅがに

 歌意=こやつ鶏奴には、餌など投げ与えるなツ。いや、何も喰わすなツ。愛しい人の折角の逢瀬に、別れの<時>を鳴き知らす罰としてツ!」




星ぬ家移ぃ<ふしぬ やぁ うちぃ>

2012-07-10 17:34:00 | ノンジャンル
旧暦7月7日<七夕>。今年は8月24日。本土の七夕は、機(はた)を織る女性<棚機津女・たなばた つめ>の物語にはじまり、機女星になった棚機津女が年に一度、愛する牽牛星に天の川で逢うという伝説を生み出した。この物語自体、中国の故事にならったもので、牽牛星、織女星に婦女子が技芸の上達を祈願する行事であった。それが、いつの間にか<星祭り>になっている。しかし、沖縄の七夕は星祭りとは、行事の本質を異にしている。
この日沖縄では、お供えの酒、花を持って、それぞれの墓に行き掃き清めをした後、「七日後はお盆です。馳走を作って子孫が待っています。お下りください」と、拝む。つまり、七夕は盆行事のひとつで、つける線香は案内状、招待状の役割を果たしているのである。八重山では「七日精霊・なんか そうろう。そうろん」と言い、完全に盆行事の一環として位置づけている。祝事なのだ。
墓の清掃をするだけではない。各家庭では、平常は理由なく触れることを良しとしない仏壇、位牌を拭き清める。この行為を「位牌を浴びせる・イーフェーあみしーん」と言い、家長を中心に孫まで総がかりする。孫を参加させるのは、盆行事の伝承、継承を託すため。
また、このころの暑さを「七夕太陽・たなばた てぃーだ」と言い「真六月・まるく ぐぁち」から、七夕太陽が沖縄の猛暑、酷暑のピークとしている。この七夕太陽の殺菌力まで考慮したかどうかは別として、昔は各家で衣類や貯蔵している穀物、そして、村芝居、綱引き、エイサーなど年中行事に使用する衣装の虫干しをした。

七夕が天の川伝説とは異なるとは言え沖縄人、星を意識しないわけではない。このところ、沖縄中の米軍基地や眠りを知らない歓楽街の照明で、その周辺では星空もかすんでいるが、山間の集落や離島の星は神秘的に輝いている。流れ星も長く尾を引く。流れ星はそのまま「ながり ぶし」と言うが一方で「星ぬ家移ぃ・ふしぬ やぁ うちぃ」と称している。沖縄の星は<移る>のであって、決して流れて命を消すのではない。
流れ星が消えない間に願い事をすると、それが叶うとする俗信は沖縄にもある。ただ、願い事が異なる。「賢くなりますように」「美人にして下さい」「金持ちになりますように」などなど。本土的にはいささか個人的なそれであるが、沖縄では「世果報あらち うたびみしぇーびり・沖縄の世が幸せでありますように。平和な世にしていただけますように」と唱える。個人の幸せもさることながら、万民の果報を優先して祈る。沖縄人は常に、運命共同体を信条として生きてい、生きていくのである。
先祖崇拝の沖縄人は、県内外はもとより、国外においても盆行事を忘却しない。エイサーの歌や三絃や太鼓や踊りや掛声が望郷の心情をかきたてる。

七月がなりば かわてぃ思び出すさ 馴りし故郷ぬ エイサー踊い
しちぐぁちが なりば かわてぃ うびじゃすさ なりし ふるさとぅぬ エイサーうどぅい

十数年前、東京在の舞踊家志田房子<旧姓根路銘>女史から届いた暑中見舞いに記されていた琉歌である。
東京に嫁ぎ、琉球舞踊の道場を開き、常に歌三絃に身を染め沖縄と向き合っている女史をして、盆は望郷の念を封じ込めることはできないでいる。
「お盆の月七月になると、ひとしお思い出すヮ。幼い日々、馴れ親しんだエイサー歌、踊り。今時分、皆して稽古しているのでしょうネ。帰りたいッ」

夜。九時、十時・・・。近くの村屋<むらやぁ・公民館>広場から、盆に向けて稽古するエイサー太鼓と歌三絃が風に乗って聞こえてくる。盆が終るころ、真六月、七夕太陽を冷ますかのように、吹く夜風にも一瞬ではあるが、涼を感じるようになる。