★連載NO.311
戦後の沖縄芝居は、昭和21年<1946>に再開された。
琉球民政府文化部は、この年の9月26日と10月6日。公務員としての役者・音楽技能者の採用試験を行い、50名に資格証明書を交付。「郷土芸能の復活、継承、技能向上及び民衆慰安」を目的に松・竹・梅の3劇団を結成。松劇団<団長島袋光裕>は、石川市<現うるま市>を中心に中部地区。竹劇団<団長平良良勝>は羽地村田井等<現名護市>を拠点に北部地区。梅劇団<団長伊良波伊吉>を知念村<現南城市>に配置して南部地区と、それぞれ担当地区を決めて巡業。熱狂的歓迎を受けた。
具志川村川田<現うるま市>の公演では「7000人の観客を集めた」という記録がある。もちろん、舞台とは名ばかりの上に客席も地面に筵やテントカバーを敷いての観劇。いわゆる(露天劇場)だったからこその収客数であるが、それ以上に、辛うじて命ひとつを守り得た島びとが、いかに心の安らぎを渇望していたかを知らなければならない。
その後。民政府管轄下の3劇団は解散になり、芝居公演は自由興行時代に入った。
宮古、八重山をふくむ各地に個人経営の劇場が建ち、最盛期には大小合わせて50前後の劇団が入れ替わり立ち替わり公演を打った。関係者との茶飲みばなしで拾った劇団名を順不同に記してみる。
◇乙姫劇団=団長上間郁子。名称通り女性だけの劇団。初代、2代目の死去によって解散。しかし、先年、同士が集い同劇団の看板女優兼城道子を団長に劇団「うない。WUNAI」を結成、活躍している。
◇大伸座<座長大宜見小太郎>。◇ときわ座<座長真喜志康忠>。◇翁長小次郎一座。◇ともえ座<座長平安座英太郎>。◇奥間英五郎劇団。◇与座劇団<座長与座朝明。現与座朝惟>。◇でいご座<仲田龍太郎、幸子>。◇みつわ座<座長松茂良興栄>。◇演技座<高安六郎>。◇新生座<座長金城幸盛>。◇新興劇団<団長中今信>。◇紅型座<顧問比嘉正義>。◇ゆたか座<座長親泊元清>。◇寿座<座長名城政助>。◇俳優座<座長久高将吉>。◇天川座<座長松田正次郎>。◇演舞座<座長島正太郎>。◇朝日座<座長吉之浦朝治>。◇おもと座<座長松村宏>。◇劇団潮<代表北村三郎>などなどなど。
しかし、これら劇団も乱立気味の中、一方では映画全盛、テレビの普及。舞踊、音楽が独自の歩みを始めるなど、娯楽の多様化に伴い芝居公演は観客が激減。後退を余儀なくされていった。もちろん(沖縄芝居の灯を消すまい)と劇団を存続、芝居の道を歩んでいる役者達はいる。興味を示す若者も出てきて心強い。
明治20年以降、大衆芸能として確立され、いまに続く沖縄芝居の現状は厳しい。
「厳しいからこそ今、旗揚げするのだ。消滅を待つのは死ぬより辛いッ」
そう決意して劇団を立ち上げる役者がいる。その名は仲嶺真永。
仲嶺真永=昭和10年6月28日生。
サイパンに生まれ育った彼の家の隣に劇場があり、今でも名優の名が高い渡嘉敷守良や伊良波伊吉らが公演していた。仲嶺真永の芸ごころは(門前の小僧)に芽生えた。
戦後、引き揚げた沖縄は空前の芝居繁盛期。彼の芸ごころに本格的な火がつかないわけがない。親は猛反対したが、彼は迷わなかった。昭和28年<1953>。戦前から大二枚目の名を欲しいままにしていた平安山英太郎の「ともえ座」に入団。下積みからの役者修業。その後、劇団翁長小次郎一座、ときわ座などに移籍して芸を磨き、徐々に重要な役も付くようになった。また、芝居の現役から身を引き、舞踊界に「宮城流」を創設した宮城能造とその子息美能留から舞踊を習い、国内外の舞台も数多く踏んだ。だが(芸)だけでは生活がきつい。そこで下積み時代からこの方、好んでやってきた芝居の小道具作りの技術を活用。昭和46年<1971>2月、那覇市牧志・公設市場近くに「仲嶺芝居、舞踊小道具製作所」を設立している。
「小道具1本にしぼって生きるつもりでいたが、カツラや刀。四ツ竹、パーランクーなどの鳴り物。それに獅子頭、髪飾り、花笠などを作っていると、これらの向こうに舞台が見えるのだよ。役者の性だね。この(舞台への想い)が、今回の劇団真永座立ち上げの動機だね」
劇団真永座旗揚げ公演・日程。
日時=2007年11月11日(日)。昼の部2時。夜の部6時。
ところ=県立郷土劇場。
出し物=琉球史劇「オヤケアカハチと豊見親王」。
八木政男。北村三郎。平良進。宮城亀郁。久高将吉。玉木伸らベテラン、若手、新人の男優女優が出演する。
旗揚げ。
戦国時代、新たに兵をあげることを意味したが、江戸時代になって芸能が盛んになったころ、芝居一座設立のおり、小屋周辺に(のぼり。旗を揚げた)ことから、演劇用語になった。また、事業を起こすことなどにも用いられていることばだ。
劇団真永座。行く手はまさに戦場である。沖縄芝居の未来を拓けるか。いざッ出陣!
次号は2007年11月1日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
戦後の沖縄芝居は、昭和21年<1946>に再開された。
琉球民政府文化部は、この年の9月26日と10月6日。公務員としての役者・音楽技能者の採用試験を行い、50名に資格証明書を交付。「郷土芸能の復活、継承、技能向上及び民衆慰安」を目的に松・竹・梅の3劇団を結成。松劇団<団長島袋光裕>は、石川市<現うるま市>を中心に中部地区。竹劇団<団長平良良勝>は羽地村田井等<現名護市>を拠点に北部地区。梅劇団<団長伊良波伊吉>を知念村<現南城市>に配置して南部地区と、それぞれ担当地区を決めて巡業。熱狂的歓迎を受けた。
具志川村川田<現うるま市>の公演では「7000人の観客を集めた」という記録がある。もちろん、舞台とは名ばかりの上に客席も地面に筵やテントカバーを敷いての観劇。いわゆる(露天劇場)だったからこその収客数であるが、それ以上に、辛うじて命ひとつを守り得た島びとが、いかに心の安らぎを渇望していたかを知らなければならない。
その後。民政府管轄下の3劇団は解散になり、芝居公演は自由興行時代に入った。
宮古、八重山をふくむ各地に個人経営の劇場が建ち、最盛期には大小合わせて50前後の劇団が入れ替わり立ち替わり公演を打った。関係者との茶飲みばなしで拾った劇団名を順不同に記してみる。
◇乙姫劇団=団長上間郁子。名称通り女性だけの劇団。初代、2代目の死去によって解散。しかし、先年、同士が集い同劇団の看板女優兼城道子を団長に劇団「うない。WUNAI」を結成、活躍している。
◇大伸座<座長大宜見小太郎>。◇ときわ座<座長真喜志康忠>。◇翁長小次郎一座。◇ともえ座<座長平安座英太郎>。◇奥間英五郎劇団。◇与座劇団<座長与座朝明。現与座朝惟>。◇でいご座<仲田龍太郎、幸子>。◇みつわ座<座長松茂良興栄>。◇演技座<高安六郎>。◇新生座<座長金城幸盛>。◇新興劇団<団長中今信>。◇紅型座<顧問比嘉正義>。◇ゆたか座<座長親泊元清>。◇寿座<座長名城政助>。◇俳優座<座長久高将吉>。◇天川座<座長松田正次郎>。◇演舞座<座長島正太郎>。◇朝日座<座長吉之浦朝治>。◇おもと座<座長松村宏>。◇劇団潮<代表北村三郎>などなどなど。
しかし、これら劇団も乱立気味の中、一方では映画全盛、テレビの普及。舞踊、音楽が独自の歩みを始めるなど、娯楽の多様化に伴い芝居公演は観客が激減。後退を余儀なくされていった。もちろん(沖縄芝居の灯を消すまい)と劇団を存続、芝居の道を歩んでいる役者達はいる。興味を示す若者も出てきて心強い。
明治20年以降、大衆芸能として確立され、いまに続く沖縄芝居の現状は厳しい。
「厳しいからこそ今、旗揚げするのだ。消滅を待つのは死ぬより辛いッ」
そう決意して劇団を立ち上げる役者がいる。その名は仲嶺真永。
仲嶺真永=昭和10年6月28日生。
サイパンに生まれ育った彼の家の隣に劇場があり、今でも名優の名が高い渡嘉敷守良や伊良波伊吉らが公演していた。仲嶺真永の芸ごころは(門前の小僧)に芽生えた。
戦後、引き揚げた沖縄は空前の芝居繁盛期。彼の芸ごころに本格的な火がつかないわけがない。親は猛反対したが、彼は迷わなかった。昭和28年<1953>。戦前から大二枚目の名を欲しいままにしていた平安山英太郎の「ともえ座」に入団。下積みからの役者修業。その後、劇団翁長小次郎一座、ときわ座などに移籍して芸を磨き、徐々に重要な役も付くようになった。また、芝居の現役から身を引き、舞踊界に「宮城流」を創設した宮城能造とその子息美能留から舞踊を習い、国内外の舞台も数多く踏んだ。だが(芸)だけでは生活がきつい。そこで下積み時代からこの方、好んでやってきた芝居の小道具作りの技術を活用。昭和46年<1971>2月、那覇市牧志・公設市場近くに「仲嶺芝居、舞踊小道具製作所」を設立している。
「小道具1本にしぼって生きるつもりでいたが、カツラや刀。四ツ竹、パーランクーなどの鳴り物。それに獅子頭、髪飾り、花笠などを作っていると、これらの向こうに舞台が見えるのだよ。役者の性だね。この(舞台への想い)が、今回の劇団真永座立ち上げの動機だね」
劇団真永座旗揚げ公演・日程。
日時=2007年11月11日(日)。昼の部2時。夜の部6時。
ところ=県立郷土劇場。
出し物=琉球史劇「オヤケアカハチと豊見親王」。
八木政男。北村三郎。平良進。宮城亀郁。久高将吉。玉木伸らベテラン、若手、新人の男優女優が出演する。
旗揚げ。
戦国時代、新たに兵をあげることを意味したが、江戸時代になって芸能が盛んになったころ、芝居一座設立のおり、小屋周辺に(のぼり。旗を揚げた)ことから、演劇用語になった。また、事業を起こすことなどにも用いられていることばだ。
劇団真永座。行く手はまさに戦場である。沖縄芝居の未来を拓けるか。いざッ出陣!
次号は2007年11月1日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com