※「白い花の咲く頃」唄・岡本敦朗。
この歌を聞いたのは「二十歳になった頃」。昭和33、4年頃だったと記憶する。私の周辺では「流行歌を歌うのは知的ではない」とされていた。二十歳の歌は「トロイカ」「カチューシャの唄」などロシア民謡や「民族独立行動隊」「インターナショナルの歌」等々、日本復帰に向けてのそれだ。流行歌は、運動会のスクェアダンスに用いた「青い山脈」ぐらいなもの。
こうした中、ラジオが聞かせてくれた「白い花の咲く頃」。後に知ることになるがNHK制作のラジオ歌謡のひとつだ。何が私の感性をゆさぶったかというと♪・・・・さよならと云ったら~だまってうつむいていた お下げ髪~。このフレーズだった。
別にお下げ髪の思いびとがいたわけではないが「さよなら」という言葉の切なさ、寂しさ。そして甘酸っぱさが、心に刷り込まれたことではあった。
作詞者は何に「さよなら」を云ったのか。「あの白い花」「あの白い雲」「あの白い月」と綴っている。
勝手に想像するのだが作詞者は、戦争で愛する人に、愛する故郷に、いくつかのことに「さよなら」をせざるを得ない境遇にあったのだろう。
またすぐに逢える「さよなら」はよしとして、センチメンタルに過ぎるやも知れないが、切ない、寂しい「さよなら」は口にしたくない。
RBCiラジオ(月曜日~金曜日)午後5時放送のワイド番組「柳卓の‟いいんでないかい!」は、リスナーと向かい合った情報・音楽番組である。
柳卓(やなぎ たく)は北海道空知郡芦別の出で、大学卒業と同時に琉球放送に入社。折から注目のメディアになったラジオ、テレビのバラエティー番組の司会をパワフルにこなし人気者になった。その間に那覇市泊生まれの女性(信子)と結婚。すっかり(40年のウチナーンチュ)を自認していた。
「いいんでないかい!」金曜日のコーナーに「名曲発掘委員会」があって、リスナーが(名曲)と目する歌謡をメール、ファクシミリ、手紙で受け付けて紹介している。
たまたま、会社でのデスクを二人部屋に並べていることもあって、私も「名曲発掘委員会」に参加させてもらっている次第。
※「国境の町」唄・東海林太郎。
お盆の夜。いまは仏壇の人になってしまった兄貴や、彼の友人たちが集うと歌っていた「国境の町」を思い出す。
ラジオがまだ普及していなかった昭和20年代。少年のボクにとっての「大人の歌」は、もっぱら兄貴や年上の人たちの唇が発するそれを耳に馴染ませて覚えたもの。
♪・・・雪の広野よ~は、どこの国境の広野町だったのだろう。いまになって理解するのだが、中国に侵攻した日本軍は、シベリア越えをして、ロシア国境まで兵を進めた。故郷を離れて何千里。雪の異国からの思いは家族には届かない。死の恐怖と背中を合わせながら、故郷へつづく空を眺めながら(男泣きする宵)もあったであろう。そして、故郷で自分の無事の帰りを待っている(キミに逢うのはいつの日ぞ)だけを胸に兵士たちは、お国のための行軍をしたのだろう。その兵士たちの幾人が故郷の土を踏み得たか。
国境の町に散った兵士たち・・・・。今年のお盆には、千の風になって、故郷に帰還しただろうか。いや、帰還したに違いない。そうでなければ彼らの魂の安寧はあり得ない。
お盆の夜は己一人のみならず、日本人の(来し方)をつくづく思わせる。
時を刻む歌は何であれ、聞き歌う本人にとっては名曲、名作である。ただ、この頃は「唄う歌から見る歌」になった。テレビのおかげだろう。けれども、聞く一方に飽きた若者たちはシンガー・ソング・ライターになって、ユニットを組んで自己表現をしている。羨ましい限りだ。それでも昭和生まれは、これまでは流行歌と云われた演歌その他のものに、時代を再確認するのである。
※「望郷酒場」唄・千昌夫。
演歌を歌って泣いたことがあるか。
友人Yは、自分で選んで「望郷酒場」を歌うたびに、決まって鳴き声になる。それも出だしからウルウルしている。♪おやじみたいなヨー~酒飲みなどにならぬつもりがなっていた~。このフレーズが身につまされるらしい。
Yの親父さんは、相当の酒好きだったらしく、おふくろさんは随分苦労したそうな。Yはそれを見て育ち、おふくろさんからは「大人になっても、酒を口にしてはダメよ」と、ことあるごとに諭され、Yもまた、そう心に決めていた。
あれから幾年月・・・・。酒と煙草の匂いを残して親父さんは逝った。おふくろさんも、額に苦労の皺と(ぬくもり)を残して逝った。
あれほど「親父みたいな酒飲みにはならない!」と、肝に銘じたはずの自分が、親父の盛りのころの歳になったいま、酒好きになっている。
「知らず知らず、盃に親父の顔を写し出しているのかも知れない。まあ、女房、子には苦労はかけてはない。それは、親父のおふくろに対する罪滅ぼしをボクがやっているのかな」。
「望郷酒場」を歌い終えてYは、鼻の頭をひとなでして、盃を口元に運ぶ。演歌を歌って泣けるこの男が私は好きだ。因みにYが望郷する所は八重山。
名曲は専門家が選定するものではない。個々の(想い)に合致すれば、それが名曲、名作。
柳卓の「名曲発掘委員会」のメンバーになりませんか。
この歌を聞いたのは「二十歳になった頃」。昭和33、4年頃だったと記憶する。私の周辺では「流行歌を歌うのは知的ではない」とされていた。二十歳の歌は「トロイカ」「カチューシャの唄」などロシア民謡や「民族独立行動隊」「インターナショナルの歌」等々、日本復帰に向けてのそれだ。流行歌は、運動会のスクェアダンスに用いた「青い山脈」ぐらいなもの。
こうした中、ラジオが聞かせてくれた「白い花の咲く頃」。後に知ることになるがNHK制作のラジオ歌謡のひとつだ。何が私の感性をゆさぶったかというと♪・・・・さよならと云ったら~だまってうつむいていた お下げ髪~。このフレーズだった。
別にお下げ髪の思いびとがいたわけではないが「さよなら」という言葉の切なさ、寂しさ。そして甘酸っぱさが、心に刷り込まれたことではあった。
作詞者は何に「さよなら」を云ったのか。「あの白い花」「あの白い雲」「あの白い月」と綴っている。
勝手に想像するのだが作詞者は、戦争で愛する人に、愛する故郷に、いくつかのことに「さよなら」をせざるを得ない境遇にあったのだろう。
またすぐに逢える「さよなら」はよしとして、センチメンタルに過ぎるやも知れないが、切ない、寂しい「さよなら」は口にしたくない。
RBCiラジオ(月曜日~金曜日)午後5時放送のワイド番組「柳卓の‟いいんでないかい!」は、リスナーと向かい合った情報・音楽番組である。
柳卓(やなぎ たく)は北海道空知郡芦別の出で、大学卒業と同時に琉球放送に入社。折から注目のメディアになったラジオ、テレビのバラエティー番組の司会をパワフルにこなし人気者になった。その間に那覇市泊生まれの女性(信子)と結婚。すっかり(40年のウチナーンチュ)を自認していた。
「いいんでないかい!」金曜日のコーナーに「名曲発掘委員会」があって、リスナーが(名曲)と目する歌謡をメール、ファクシミリ、手紙で受け付けて紹介している。
たまたま、会社でのデスクを二人部屋に並べていることもあって、私も「名曲発掘委員会」に参加させてもらっている次第。
※「国境の町」唄・東海林太郎。
お盆の夜。いまは仏壇の人になってしまった兄貴や、彼の友人たちが集うと歌っていた「国境の町」を思い出す。
ラジオがまだ普及していなかった昭和20年代。少年のボクにとっての「大人の歌」は、もっぱら兄貴や年上の人たちの唇が発するそれを耳に馴染ませて覚えたもの。
♪・・・雪の広野よ~は、どこの国境の広野町だったのだろう。いまになって理解するのだが、中国に侵攻した日本軍は、シベリア越えをして、ロシア国境まで兵を進めた。故郷を離れて何千里。雪の異国からの思いは家族には届かない。死の恐怖と背中を合わせながら、故郷へつづく空を眺めながら(男泣きする宵)もあったであろう。そして、故郷で自分の無事の帰りを待っている(キミに逢うのはいつの日ぞ)だけを胸に兵士たちは、お国のための行軍をしたのだろう。その兵士たちの幾人が故郷の土を踏み得たか。
国境の町に散った兵士たち・・・・。今年のお盆には、千の風になって、故郷に帰還しただろうか。いや、帰還したに違いない。そうでなければ彼らの魂の安寧はあり得ない。
お盆の夜は己一人のみならず、日本人の(来し方)をつくづく思わせる。
時を刻む歌は何であれ、聞き歌う本人にとっては名曲、名作である。ただ、この頃は「唄う歌から見る歌」になった。テレビのおかげだろう。けれども、聞く一方に飽きた若者たちはシンガー・ソング・ライターになって、ユニットを組んで自己表現をしている。羨ましい限りだ。それでも昭和生まれは、これまでは流行歌と云われた演歌その他のものに、時代を再確認するのである。
※「望郷酒場」唄・千昌夫。
演歌を歌って泣いたことがあるか。
友人Yは、自分で選んで「望郷酒場」を歌うたびに、決まって鳴き声になる。それも出だしからウルウルしている。♪おやじみたいなヨー~酒飲みなどにならぬつもりがなっていた~。このフレーズが身につまされるらしい。
Yの親父さんは、相当の酒好きだったらしく、おふくろさんは随分苦労したそうな。Yはそれを見て育ち、おふくろさんからは「大人になっても、酒を口にしてはダメよ」と、ことあるごとに諭され、Yもまた、そう心に決めていた。
あれから幾年月・・・・。酒と煙草の匂いを残して親父さんは逝った。おふくろさんも、額に苦労の皺と(ぬくもり)を残して逝った。
あれほど「親父みたいな酒飲みにはならない!」と、肝に銘じたはずの自分が、親父の盛りのころの歳になったいま、酒好きになっている。
「知らず知らず、盃に親父の顔を写し出しているのかも知れない。まあ、女房、子には苦労はかけてはない。それは、親父のおふくろに対する罪滅ぼしをボクがやっているのかな」。
「望郷酒場」を歌い終えてYは、鼻の頭をひとなでして、盃を口元に運ぶ。演歌を歌って泣けるこの男が私は好きだ。因みにYが望郷する所は八重山。
名曲は専門家が選定するものではない。個々の(想い)に合致すれば、それが名曲、名作。
柳卓の「名曲発掘委員会」のメンバーになりませんか。