2008 06 14(土)
館林うどんを味わってから200m程の近くの場所にある“館林藩士住宅”(武家屋敷)へ・・・。
修復された立派な長屋門(大正期の建築)は元々この地(鷹匠町)にあったそうです。
この武家屋敷は「武鷹館」(ぶようかん)と言います。 嬉しい事に一年中無料です。
この武家屋敷は館林秋元藩の中級武士「伊王野惣七郎」の居宅。
間口約8間半、奥行きは3間半、建坪28坪。正確には建築年は不明ですが、江戸時代後期(160年前。)に建てられたそうです。
現代では貴重な茅葺き屋根は穏やかな曲線を描いています。
柱などは当時のままの物を使っているそうです。
もちろんガラス戸は無く、板の雨戸で風雨を防ぎました。冬は寒そう・・。
土間の床に昔懐かしい二口竈(ふたくちかまど)のある台所です。
“旧館林藩士住宅”は現存する武家屋敷の数少ない一つで、江戸時代の建築様式や暮らし方がうかがえる貴重な歴史遺産です。
まるで時代劇のセットのようですね。
暖かな日差しの下、武士が縁側でヒゲを抜いてたりして・・・。
帰り際に館林花菖蒲園P場横にある尾曳稲荷神社を参拝しました。
長い参道には朱色の鳥居が幾重にも・・・。
尾曳稲荷神社拝殿前にある石手水鉢はかなりの年代物。
館林藩25万石に封ぜられた徳川綱吉(犬公方)が城の大修築を行った時に、江戸から来ていた石工頭が寛文5年(1666年)に奉納したそうです。
尾曳神社は今から約500年程前、子供達に殺されそうになった子キツネを時の領主・赤井照光が救ったお礼にと、親キツネが尾を曳きながら築城場所を教えた事に由来します。 示された場所に城を建て、城の鬼門にあたるこの地に尾曳稲荷神社を建立(創建1532年・天文元年)したのでした。 (館林城は尾曳城とも呼ばれる。)
「尾曳稲荷大明神」の紅い幟旗の連なる奥に拝殿が・・・。
拝殿と渡り廊下でつながった神楽殿は大きくて立派でした。(近年の建築?)
失礼して拝殿内部を撮影。扁額やら絵馬やら様々な物が奉納されています。
奉納絵馬の中に珍しい奉納写真額がありました。
東京日日新聞社(現在の毎日新聞社)が行った国産飛行機ニッポン号での世界一周飛行の写真。 ニッポン号。
戦前は各新聞社が盛んに飛行機を飛ばして新記録樹立競争をしていたのですね。
尾曳稲荷神社拝殿奥に朱色が鮮やかな本殿が畏まっています。
本殿横の小路には石や陶器で造られたキツネ様が沢山ありますが、少しオドロオドロしい雰囲気でした。
本殿の真裏は弁才天を中央に祭る弁天池があります。
木立に囲まれた弁天池には沢山の緋鯉が気持ち良さそうに・・・。
館林花菖蒲園の見物がてら、近くの名所を巡った初夏の一日でした。
2008 07 07(月)記。 前橋市 小 最高気温25℃ 七夕の日
【ねこコスプレの小倉優子】
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