ツトムさん家の写真日記。

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第409回 群馬県太田市尾島町 縁切り寺・満徳寺。

2009-03-17 18:46:00 | 旅行

2009 03 07(土)

熊谷市妻沼町で行われた全日本学生グライダー競技大会を見物してから、近くに建つ日本三大聖天の一つ、妻沼の聖天様を参詣に・・・。

聖天山歓喜院の境内では早々と桜木が開花していました。
ほぼ満開状態です、色鮮やかな桜花は早咲きの河津桜でしょうか?
 
おみくじ紙が沢山結び付けられて桜花も痛々しそうです。

仁王門に立つ仁王様は「呑んだら乗るな!」って酒酔い運転禁止ポーズ。
奉納された清酒・力士も呑むなって・・・。
 
本堂は2011年まで修復中なので、左甚五郎の豪華な彫刻は見られません。
境内を散策しながら絵馬など見物です。
なかなか欲張った絵馬ですね。牛の足元に小判でも配したら如何でしょうか?

妻沼の聖天様の見物は早々に引き上げ、利根川を北に渡った所にある太田市尾島町へ・・・。
小島町の名刹・満徳寺への途中にある花見塚公園で勾当内侍(こうとうのないし)のお墓をお参りしました。
 
画像の一番大きな石墓が新田義貞の首塚。 その右の二番目に大きな墓が勾当内侍の墓です。

勾当内侍って誰?
簡単に言うと新田義貞公の奥方様です。 詳しくはここクリック。
尾島町一帯は新田氏やその末裔の徳川氏が発祥した場所で、両氏に縁とする寺社などが沢山ある古い町です。

徳川家が庇護したお寺の一つに満徳寺があります。
江戸時代には女性の方から離婚する事は原則的に出来ませんでした。
離縁状で名高い「三下り半」は夫から妻に一方的に出され、妻が離別するにも夫の許可が必要でした。

そこで例外的に入山(寺に入る)すると女性が離婚(縁を切る)できるお寺を全国に二ヶ所設けられました。
その一つは鎌倉の東慶寺、もう一ヶ所が尾島の満徳寺なのです。
宗派は浄土宗の一派で一遍上人が開いた時宗、山寺号は徳川山満徳寺。 開山は徳川家の初代義季の娘・浄念尼ですから尼寺でした。
 
今はぴったりと閉ざされている駆込み門(黒門)に袖や帯の一片でも、履いている草履(ぞうり)でも身に付けた物を投げ入れれば夫婦の縁を切ったと看做されたそうです。(正式には寺に駆け込んでから3年後に「三下り半」が授与され離縁成立)

男性上位だった昔の女性は苦労が絶えなかったのですね。(今は逆ですが・・・。)

縁切り寺・満徳寺の庭では梅花が満開で、馥郁たる梅の香があたり一面に漂っていました。


明治期に徳川家縁だった満徳寺は荒廃し、廃寺の憂き目にあいましたが、平成年に復元再興しました。
本堂に上って奥の位牌殿(満徳殿)を拝見。
 
中央には本尊の阿弥陀如来が安置され、徳川家の位牌をお守りしています。
江戸時代は幕府から寺領100石朱印地を与えられた格式高い名刹。

境内には歴代和尚の墓などが並んでいる一角に千姫の供養塔があります。

豊臣秀頼の妻であった千姫は大阪夏の陣で大阪城落城後、この満徳寺に入山して豊臣家との縁を切ったと伝えられています。(後に本田忠刻と再婚)

資料館には満徳寺に伝わる位牌や仏具などが沢山展示されています。
ひと際眼につくのは徳川家歴代将軍の御位牌。
一番下の左から二番目は篤姫の夫で13代将軍・徳川家定の位牌。
 
白黒画像は後年に天璋院と名乗った篤姫。

満徳寺資料館にある縁切り縁結び厠(かわや)。
縁についての願い事をお札に書いてこのトイレに流すと願いが叶うとか・・・。
 
黒いのが縁結び、白い方が縁切りでした。貴方はどちらを使いますか?
この厠、どうせ作るなら江戸時代風の厠にして欲しかった。

この縁切り寺・満徳寺を描いた古絵。
本来が尼寺ですから描かれているのは全員女性です。

嫌な夫から必死に逃れて満徳寺門前ににたどり着いた女性。
草履や持ち物を門内に投げ込んでいます。受け取る尼様の右手も描かれ当時の切迫した状況が見て取れます。

新田・徳川両氏に関係が深い太田市尾島町には紹介した場所意外にも長楽寺東照宮などの名所が沢山あります。
皆様も歴史を訪ねて尾島町を散策されては如何でしょうか・・・。

2009 03 17(火)  前橋市  最高気温17℃

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