3月3日(土) 夕刻になり“毘沙門堂の裸押合い祭り”本番の時間を迎えた。
越後浦佐・普光寺の境内では巨大なロウソクに次々に点火され、晒し姿の若衆達によって担ぎ上げられ水垢離を行う不動の滝へ続く薄暗い回廊へ運ばれました。
この普光寺・毘沙門堂裸押合い祭りは別名「大ローソク祭り」と云われている。
重さ30Kg程の大ローソクを抱えて境内や毘沙門堂の照明代わりにもしています。
回廊の突き当たりの一枚岩を穿った“不動明王滝のうがい鉢”では裸押合い祭りに参加する若衆達が真言を唱え一心不乱に水垢離(みずごり)、でも冷水には3秒と浸かっていられません。
水垢離の後はずぶ濡れのまま毘沙門堂に駆け込む水行参拝。
毘沙門堂内では独特の所作でダンシング! この踊りは裸祭りの準備体操でしょうか?
堂内に敷かれた藁ムシロは昔し毘沙門堂に居た大山猫の皮に見立てています。
後方壇上の奥(内陣)には3月3日だけ御開帳される毘沙門天像(椿木造り)。
毘沙門御本尊前の御簾をあげて一年一回の毘沙門天像御開帳です。
本堂前の境内では数十の大ローソクが点火され、熱い炎の中で晒し姿の若衆が炎部の蝋削りに余念がありません。
大ローソクを抱えて毘沙門堂へ、蝋燭(ローソク)講中参拝で堂内は熱気の渦です。
担ぎ上げた若衆達の背中には溶けた蝋が滴っています。 これは集団SMショーか・・・!?(爆)
年男衆も毘沙門堂前で豊年踊りをご披露!
毘沙門堂内部は裸若衆でムレムレ状態です。
肩車された福物撒与者が次々と毘沙門堂へ・・。
普光寺脇の白山神社の神主も肩車で撒与福物を捧げてご登場。
毘沙門堂内では裸の若衆達が「サンヨ(撒与)~セ! サンヨ~セ!」、「撒けよ~ 撒けよ~」の大合唱! 壇上でも「撒くよ~ 撒くよ~」の連呼が続きます。
神主自ら毘沙門堂で福物扇子を投げて撒与の瞬間SHOT!!
この他にも金盃・銀盃・坂上田村麻呂盃・穀種などが堂内の裸参拝者に撒与され、裸押合い祭りは益々盛り上ってゆきます。
壇上から手桶で撒かれる水の中に福盃が・・。猛烈な争奪戦が繰広げられます。(盃UP画像は関様から。)
毘沙門堂の裸押合い祭りも最終盤となり、堂の中央に肩車された神主が簓(ササラ)を持って擦り上げ、年男たちが“簓すり音頭”を唄う“ささらすり神事”が始まりました。(夜10時30分) (簓は古代中国の楽器・竹製。 下に擦ると凶作、上に擦り上げると豊作。)
「シャッ、シャッ、シャッ」というササラ擦りのリズムと“簓すり音頭”(「正月三日に年男詣ったりや、ハ~サンヨ、サンヨ。 黄金の花が咲き四っの角のように、ハ~サンヨ・・・。」)の唄声に合わせて裸若衆が神主の周りを掛け声と共にグルグルと威勢良く廻ります。
若衆達が廻るときに毘沙門堂内に山猫の皮に見立てて敷かれたムシロを踏みしめて廻る事を「ねこたたき」と云い、“化け猫伝説”に由来しています。
毘沙門堂の裸押合い祭りもこの刻がクライマックスに達し、参加者も祭りを心ゆくまで楽しんでいました。
“普光寺・毘沙門堂裸押合い祭り”はこの後、大鏡餅撒与・御灰像撒与など御利益物撒与が続き夜の11時過ぎまで賑わっていました。
最後の多門青年団・裸参拝者紹介を拝見して、思い出深い毘沙門堂を後にしました。(浦佐・多門青年団の皆様、ご苦労様!!)
浦佐商店街の玉屋菓子舗で名物・志んこ餅を購入。(10個入り、1000円)
新潟銘菓100店の一つに選ばれた店で、実に上品な味の餅でした。
“名物に美味い物無し”と云われますが、玉屋志んこ餅はお奨めの逸品です。
1200年の歴史がある“普光寺・毘沙門堂裸押合い祭り”は本来は正月3日に毘沙門堂に棲み付いた大山猫退治の記念として山猫の皮を踏みしめて行われていましたが、明治6年から春の訪れる3月3日に除災招福・五穀豊穣・家内安全・諸願成就を願う祭りに変更されました。(新潟県伝説集。)
前夜3月2日の前夜から3日の深夜まで続く“毘沙門堂裸押合い祭り”は真に日本三大裸祭りと云えます。
“毘沙門堂裸押合い祭り”は国の重要無形民俗文化財に指定されています。
越後の小さな町・浦佐を訪ねる価値ある“毘沙門堂裸押合い祭り”をぜひお奨め致します。
2007 03 18(日)記。 前橋市 最高気温9℃。 真冬並み寒気。弥生冷え。
3月18日 小野小町の忌日。