3月3日(土) 前回までの浦佐“普光寺毘沙門堂裸押合い祭り”に行く途中、昼の腹ごしらえに越後名物“へぎ蕎麦”を食べに十日町市へ・・・。
国道17号を塩沢で左に折れて、県道に入ってから暫くして峠越えになりました。峠への道路に雪が積もっていたら引返そう考えていましたが、路上には全く雪はありません。
山道の九十九折りカーブや雪除けのスノーシェルター道路を快適に走り、車窓から越後三山の代表・八海山の素晴しい姿を眺めながら頂上の八箇峠に到着。
八箇峠を通過すると間もなく十日町市へ入りました。
時間は午後2時近くで腹ペコになりましたので、“へぎそば”の元祖・小嶋屋へ直行。
清流・信濃川を渡って直ぐに小嶋屋本店が見えてきました。 でも、この小嶋屋本店は閉店です。案内看板に従って新しい小嶋屋総本店にやっと到着です。
新しく建てた小嶋屋総本店はご覧の通り立派な建物に大変身!
着いた時間が中途半端でしたので、小嶋屋の店内はガラガラ状態でした。
小嶋屋が日本で最初に“へぎそば”を考案したとの事。
大正11年に初代店主・小林重太郎氏が越後縮(えちごちじみ)の糸に使用していた海草の“フノリ”(布海苔or布乃利)を蕎麦のツナギとして練り込んだのが始まりです。
(フノリ見本・・乾燥状態。)
小林重太郎氏は地元相撲の名力士としても名を馳せた韋丈夫との事です。
体ばかりで無く、頭脳も立派だったのですね。(確か、赤坂のホテル・ニューオオタニの創業者も力士とか。)
「小林氏なのに何で小林屋でなくて小嶋屋なの?」って店員さんに尋ねたら、「小林の小と地元の町名・木島町の島を合せて小嶋屋としました。」って・・・。単純・納得です。
兎も角、すきっ腹なので早速「元祖・へぎそば」を注文しました。
一つは「野菜天さるそば」(1050円)。
もう一つのオーダー品は「五彩そば」(1344円)です。
両品共に蕎麦はへぎそばの二段重ね。ボリューム満点でした。(女性の完食はツライかも。)
野菜天麩羅には採れ立ての蕗のとうが付いて春の味覚を満喫!
面白いのが五彩そば。 小鉢に納豆・きんぴら・山菜・ヤマカケ(鮪トロロ}・海老天の5品が盛られてきます。
それぞれの小鉢に蕎麦ツユを入れ、へぎそばを移して食します。
確かに五っの味が楽しめるお奨めのお得なメニューでした。
帰りに十日町市の市街地を通過中「国宝・火焔土器」と書いた看板が見えました。何で十日町に国宝が・・??と、早速興味本位の寄り道です。
国宝のある十日町市博物館の前には古代遺跡群が保存され、ワラ葺きの古代住居も入口前に建っていました。
早速、国宝の土器を見学へ(300円)。
国宝は金銀財宝や仏像・絵画絵巻では無く、本当に古代の土器でした。
信濃川中流域の新潟県十日町市周辺からは縄文遺跡が数多く発掘されています。
特に国宝・火焔土器が出土した笹山遺跡は縄文中期遺跡の代表として有名。
国宝の笹山遺跡土器の名称は“火焔型土器”と言います。(平11年6月7日国宝指定)
遺跡土中からの出土状態が特に良好だったのでしょう、あまり補修の跡も無く、昨日まで使用されていたみたいな土器です。
流石に国宝土器だけあって迫力満点の大きな土器。
特に土器上部の模様がまさしく立ち昇る灼熱の炎!!
古代遺跡からの出土物では縄文人の埋葬墓も興味深いものです。
頭上に土器の甕をかぶせて膝を立てた姿状態での埋葬姿はユニーク&ユーモラスです。
この他にも王冠型土器や石斧・石槍・石鏃などの石器、土器も多数展示されています。
また、越後地縮のコーナーや雪国での昔の生活・風俗なども展示中。
雪の埋もれて屋外作業が出来ず、屋内でムシロ作業や機織・繕い物等々、昔の越後の人の厳しい生活の一端が偲ばれました。
「雪と織物と信濃川」をテーマとした大変勉強になる十日町市博物館です。
文部省推薦の「全国の特色ある博物館」の一つに指定されています。
新潟方面にお出掛けの時は一度ご覧になっては如何でしょうか。
2007 03 21(水)記。 前橋市 最高気温15℃。
3月21日 春分の日(暑さ寒さも彼岸まで。) これから春本番!!