山口瞳「男性自身~冬の公園」読了
なにかの折々にふと山口瞳を思い出して読んでみると、心の中にわだかまっていた鬱屈としたものがきれいに一掃される感じがして、すがすがしい朝を迎えたような思いになります。本書はもちろん再読ですが、やっぱり山口瞳、いいですねぇ。
冒頭の「ザボン」というエッセイ。プロ野球の練習風景を見るという仕事があって筆者は熊本の島原へ船で渡る。そこの旅館で二泊して帰る段になり、港へ行くんですが、野球チームの広報の田村さん、旅館の主人、仲居さんが見送りに来る。ここからは本文の引用です。
「小さな港。小さな船。船長と船客。岸壁。出港を告げるアナウンス。浅いつきあい。別れ。五色のテープ。こりゃあやっぱり相当におかしい情景であるといってよい。笑うより仕方がない。(中略)船室は椅子の部屋と日本間とになっている。(中略)船員がお茶とスポーツ紙を持ってきて、すぐに出ていった。私は一人になってレインコートを着たまま畳のうえに寝ころんだ。
思いがけないことが起った。私の目から涙があふれてきたのである。それをどう説明してよいかわからない。なんだい、こりゃ『伊豆の踊り子』じゃないか。おかしいね、俺は37歳じゃないか、いやになるね。それともなんでもないことに泣けるのはいいことなのか。そんなことはあるまい。悲しいね、泣くなんて。バカバカしいよ。私は鎮静剤をのみスポーツ紙を頭にかぶってすこしねむった。」
これです。これが山口瞳なんですね。この心情、ものすごくよくわかります。こういったシーンが自分の琴線にビンビン触れるんですねぇ。
こういった部分を挙げるとキリがないんでこのひとつにとどめておきますが、この山口瞳の人に対する厳しさとか優しさの、その態度というのは誰に対してもフェアな関係を築きたいという思いなのではないでしょうか。
対する相手によっては、自分を有利な方向へ導きたいがために、おもねったり、妥協したり、強引にしたりしがちなんですが、それをしない「強さ」というものを山口瞳に感じます。
久しぶりに山口瞳のエッセイを読んで、心が洗われる思いです。
なにかの折々にふと山口瞳を思い出して読んでみると、心の中にわだかまっていた鬱屈としたものがきれいに一掃される感じがして、すがすがしい朝を迎えたような思いになります。本書はもちろん再読ですが、やっぱり山口瞳、いいですねぇ。
冒頭の「ザボン」というエッセイ。プロ野球の練習風景を見るという仕事があって筆者は熊本の島原へ船で渡る。そこの旅館で二泊して帰る段になり、港へ行くんですが、野球チームの広報の田村さん、旅館の主人、仲居さんが見送りに来る。ここからは本文の引用です。
「小さな港。小さな船。船長と船客。岸壁。出港を告げるアナウンス。浅いつきあい。別れ。五色のテープ。こりゃあやっぱり相当におかしい情景であるといってよい。笑うより仕方がない。(中略)船室は椅子の部屋と日本間とになっている。(中略)船員がお茶とスポーツ紙を持ってきて、すぐに出ていった。私は一人になってレインコートを着たまま畳のうえに寝ころんだ。
思いがけないことが起った。私の目から涙があふれてきたのである。それをどう説明してよいかわからない。なんだい、こりゃ『伊豆の踊り子』じゃないか。おかしいね、俺は37歳じゃないか、いやになるね。それともなんでもないことに泣けるのはいいことなのか。そんなことはあるまい。悲しいね、泣くなんて。バカバカしいよ。私は鎮静剤をのみスポーツ紙を頭にかぶってすこしねむった。」
これです。これが山口瞳なんですね。この心情、ものすごくよくわかります。こういったシーンが自分の琴線にビンビン触れるんですねぇ。
こういった部分を挙げるとキリがないんでこのひとつにとどめておきますが、この山口瞳の人に対する厳しさとか優しさの、その態度というのは誰に対してもフェアな関係を築きたいという思いなのではないでしょうか。
対する相手によっては、自分を有利な方向へ導きたいがために、おもねったり、妥協したり、強引にしたりしがちなんですが、それをしない「強さ」というものを山口瞳に感じます。
久しぶりに山口瞳のエッセイを読んで、心が洗われる思いです。