阿部和重「アメリカの夜」読了
久々の阿部和重です。本棚の隅にうずもれていたのを見つけ出して読んでみました。1994年、群像新人賞を受賞した、本作家のデビュー作であります。
いやぁ、またまた前回の諏訪哲史に続いて難解なのを選んでしまいました。
主人公である中山唯生が読んだ本、フィリップ・キンドレット・ディックによる「ヴァリス」の中で、ホースラヴァー・ファットが3月のウァーヌル・イークノスの翌日「聖なるもの」との遭遇を体験したとされていて、「ウァーヌル…」というのは春分の日、3月21日のこと。そして唯生の誕生日が9月23日、つまり秋分の日で、ヴァリスの物語と重なり合うと一旦は喜ぶのだが、春分の日というのは、その翌日から昼の方が夜より長くなるのに対して、秋分の日はその逆で、夜の方が長くなり始めると。
そして唯生は「光」が聖なるものの象徴とすhるなら「闇」は俗なるものの象徴であると考える。それで自分は秋分の日の生まれであるので、「闇」=俗な人間であると自分で決めつけ、ここからが論理が飛躍するんですが、ならば「光=聖なるもの」と闘おうと決意するわけです。
それから延々と唯生の思考が書きつらねられていくわけですが、正直、ちょっと疲れましたね。終盤の映画を撮影する場面はなかなか面白かったですが。
なんだか、まともな感想になってないんですが(笑)
ふう…ちょっと疲れました。次はもうちっと柔らかいヤツ、いってみます。
久々の阿部和重です。本棚の隅にうずもれていたのを見つけ出して読んでみました。1994年、群像新人賞を受賞した、本作家のデビュー作であります。
いやぁ、またまた前回の諏訪哲史に続いて難解なのを選んでしまいました。
主人公である中山唯生が読んだ本、フィリップ・キンドレット・ディックによる「ヴァリス」の中で、ホースラヴァー・ファットが3月のウァーヌル・イークノスの翌日「聖なるもの」との遭遇を体験したとされていて、「ウァーヌル…」というのは春分の日、3月21日のこと。そして唯生の誕生日が9月23日、つまり秋分の日で、ヴァリスの物語と重なり合うと一旦は喜ぶのだが、春分の日というのは、その翌日から昼の方が夜より長くなるのに対して、秋分の日はその逆で、夜の方が長くなり始めると。
そして唯生は「光」が聖なるものの象徴とすhるなら「闇」は俗なるものの象徴であると考える。それで自分は秋分の日の生まれであるので、「闇」=俗な人間であると自分で決めつけ、ここからが論理が飛躍するんですが、ならば「光=聖なるもの」と闘おうと決意するわけです。
それから延々と唯生の思考が書きつらねられていくわけですが、正直、ちょっと疲れましたね。終盤の映画を撮影する場面はなかなか面白かったですが。
なんだか、まともな感想になってないんですが(笑)
ふう…ちょっと疲れました。次はもうちっと柔らかいヤツ、いってみます。