トシの読書日記

読書備忘録

独りでいい、独りがいい

2018-08-14 15:42:21 | わ行の作家



若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」読了



本書は今年2月に河出書房新社より発刊されたものです。先日発表になった芥川賞の一コ前の時の受賞作です、たしか。姉が「面白かった」と言って貸してくれたんですが、いやほんと、面白かったです。


日高桃子、74才。15年前に夫を心筋梗塞で亡くし、都市近郊の古びた住宅に一人住まい、という設定なんですが、この桃子さんが実に魅力的な人なんですね。


思索に思索を重ねる。自分の人生、自分の行為に意味を見出さずには納得できない人です。自分の内側から、ときには外側からもいろいろな声が飛び交い、それに応える桃子さん。まぁ一人で思慮している、ということなんでしょうが、このあたりの描写がなかなか素敵です。


印象に残った箇所、ちょっと引用します。

<人は変わるもんだな、変われるもんだな。
桃子さんは震える指でバッグから四十六億年ノートを取り出し、胸に抱きしめた。
四十六億年の過去があった。つづく未来もあると思いたい。
周造、おらどは途上の人なのだ。どうしても今を生きるおらどという限定、おめはんという限定からは逃れられない。それでも人は変わっていく。少しずつ、少しずつ。だから未来には今とは想像もつかない男と女のありかたがあるのだと思う。>


<体が引きちぎられるような悲しみがあるのだということを知らなかった。それでも悲しみと言い、悲しみを知っていると当たり前のように思っていたのだ。分かっていると思っていたことは頭で考えた紙のように薄っぺらな理解だった。自分が分かっていると思っていたのが全部こんな頭でっかちの底の浅いものだったとしたら、心底身震いがした。
もう今までの自分では信用できない。おらの思ってもみながった世界がある。そごさ行ってみって。おら、いぐも。おらおらで、ひとりいぐも。
切実は桃子さんを根底から変えた。亭主が今ある世界の扉が開いたのだ。笑うだろうか、今声が溢れる。様々な声が聴こえるのだ。桃子さんが望めば、いや桃子さんが予想だにしないときでさえ、声が聴こえる。亭主の声だけではない、どこの誰とも分からない話し声が聴こえる。今はもう、話相手は生きている人に限らない。樹でも草でも流れる雲でさえ声が聴こえる、話ができる。それが桃子さんの孤独を支える。桃子さんが抱えた秘密、幸せな狂気。桃子さんはしみじみと思うのだ。悲しみは感動である。感動の最たるものである。悲しみがこさえる喜びというのがある。>


すみません、ちょっと長くなってしまいました。でも、感動的なところだったので、割愛せずに引用しました。


東京に出てきた経緯だけはちょっと特別だったものの。その後は平凡な主婦といっていいような人生だった桃子さんなんですが、その心の内は常人には計り知れないものが渦巻いており、それがものすごい迫力でこちらに迫ってきます。


著者は1953年生れといいますから自分とほとんど同世代なんですが、これだけの筆力を持ちながら本作品がデビュー作というんですからびっくりしました。


余談ですが、この小説のことをネットで調べているうち、「ちょい虹」というタイトルのブログを見つけまして、これが読書、映画のレビューのブログなんですが、なかなかまとめ方がうまい。あまり共感できなかった作品(たとえば、映画「万引き家族」)を、ただ「面白くない!」と言って突き放すのでなく、何故自分は感動できなかったのか、自分の心の内を詳しく分析するわけです。その謙虚さがいいですねぇ。


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