昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(145)第17回読書ミーティング(5)赤いろうそくと人魚

2016-03-24 04:31:48 | 三鷹通信
 5作目はYさん推薦の小川未明「赤いろうそくと人魚」
  (絵・たかしたかこ)
 大正10年に発表された小川未明の創作童話。
 人間に潜むエゴイズムと異形の者が抱く怨念をテーマにした作品。
 この作品は新潟県上越市の雁子浜に伝わる人魚伝説から得た発想を元にしたと言われている。
 
 雁子浜には当時から創業していたローソク屋が現存しているという。
 いろいろな人魚像がある。
 
 

 著作権切れにともない、様々なイラストレーターがコラボした絵本が生まれている。
 <いわさきちひろ>
 
 <酒井駒子>
 
 <朝倉摂>
  

 人魚は、南の方の海にばかりすんでいるのではありません。
 北の海にもすんでいたのであります。
 北方の海の色は青うございました。
 あるとき、いわの上に、女の人魚があがって、あたりのけしきをながめながら休んでいました。

 物語は伝承風の<でございます>言葉で語られます。
 
 自分たちは、人間とあまりすがたはかわっていない。
 さかなや、また、そこふかい海の中にすんでいる、気のあらい、いろいろなけものなどとくらべたら、どれほど人間のほうに、心もすがたもにているかしれない。それだのに、自分たちは、やはり、さかなやけものなどといっしょに、つめたい、くらい、気のめいりそうな海の中にくらさなければならないというのは、どうしたことだろうと思いました。

 みもちだった人魚は人間の世界に憧れを抱いたのです。

 「人間のすんでいる町は、うつくしいということだ。人間はさかなよりも、またけものよりも、にんじょうがあって、やさしいと聞いている。わたしたちは、さかなやけものの中にすんでいるが、もっと人間のほうに近いのだから、人間の中にはいってくらされないことはないだろう」と、人魚は考えました。
 
 せめて生まれる子どもにはこんなかなしい、たよりない思いをさせたくないものだと思い、りくの上で子どもを産み落とす決意をします。
 そして町でろうそく屋を営む信心深い老夫婦に拾われるのです。

「かわいそうに、すて子だが、だれがこんなところにすてたのだろう。それにしても、ふしぎなことは、おまいりの帰りに、わたしの目にとまるというのは、なにかのえんだろう。このままに見すてていっては、かみさまのばちがあたる。きっとかみさまが、わたしたちふうふに子どものないのを知って、おさずけになったのだから、帰っておじいさんとそうだんをしてそだてましょう」
 


 その子はやがてかわいい女の子に成長し、ろうそくに絵を描いて老夫婦の商売にも役立つことになるんです。
 しかし、なんとその信心深い老夫婦も大金をちらつかせた香具師の甘言に乗って彼女を売り飛ばしてしまうのです。

 むすめは、それとも知らずに、下をむいて、絵をかいていました。そこへ、おじいさんとおばあさんとがはいってきて、「さあ、おまえはいくのだ」といって、つれだそうとしました。 むすめは、手にもっていたろうそくに。せきたてられるので、絵をかくことができずに、それをみんな赤くぬってしまいました。

 そして、最後には、
 まっくらな、星も見えない、雨のふるばんに、なみの上から、赤いろうそくのひがただよって、だんだん高くのぼって、いつしか山の上のおみやをさして、ちらちらとうごいてゆくのを見たものがあります。
 いく年もたたずして、そのふもとの町はほろびて、なくなってしまいました。


 なぜか残酷な童話!
 
 
 
 
  
 怖いですね! 
 何か自然をないがしろにし、お金に翻弄される、現代の人間社会を暗示しているみたいで…。 
 


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