昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(121)文明(11)

2011-01-14 05:22:20 | 昭和のマロの考察
 昨夜は隠遁の身としては久しぶりに若い人たち?に誘われて午前様となってしまった。

 タテさんのミニミニ講座の新年会に参加したのだ。
「三鷹の市民活動は全国的にも知られるところですよ。知らないんですか?」
「地域の方々を元気にしたいんです」
「地元大学のお仕事に関わっていて、特に男の子が心配なんです。やりたいことが見えていないようで」
「小学生とシニアを結びつける課外活動の点で三鷹は有名ですが、より大きい子たちを大人たちとコミュニケートできるように巻き込んでいきたいんです・・・」
「子どもたちにお仕事というものがどんなものか、実際に体験させる活動も始まってます」
 他にも有機栽培に情熱をかける農園経営者やそのお友達、そしてこんな大人の会に小学生のお子さんをお連れになった、地元のお子さんたちを楽しませる活動をされているお母さん。
 元気いっぱいの彼女たちは自分たちのことを3未亡人?と言ってかっかと笑っていた。

 町内会のお付き合いのほとんどないぼくは、特に女の方の熱気に圧倒されるばかりだった。
 理想論にうつつをぬかし、足元が地に着いていない自分自身を実感させられたひと時でした。

 ただ、ぼくの今やれることは、年寄りなりに、長年なるほど!と見聞きしたことをみなさんにお伝えしていくことかな、などと思っているのだが・・・。

 さて、文明を語る上で、立花隆氏の<文明の逆説>を取り上げないわけにはいかない。
 
公害論議があいかわらずさかんである。しかし、その論議はいささか現象面に偏しているのではなかろうか。・・・そのあおり方を見ていると、真の危機意識が欠けているのではないかと思われるふしがある。・・・公害問題を考えるにあたって、はじめになすべきことは、人間が何よりもまず、一個の生物としてのヒトでしかないことの再認識だろう。人間たちが作った文明が、ヒト属の生物を危機におとしいれている。これが公害問題の底に横たわる基本的な構図である。・・・

人間の適応能力は極度に低い。
 温度、気圧、酸素濃度、摂取植物──どの一つをとってみても、ヒトの生息が可能な範囲は狭すぎるほど狭い。それを文明が作り出した人口環境によって次々と拡大してきた。 いまや人類は生息圏を地球上にあまねく広げた。あまつさえ、宇宙圏にまでそれが拡大されようとしている。文明は人間に行くとして可ならざるところはなきがごとき幻想を与えた。
 さかしらぶった人間は、ほとんど自分がヒトであることを忘れかけていたようだ。
 ・・・現実には、はるか昔に終焉していたと思われていた自然との闘いが再び人類の主要な問題になってきたようだ。いま、人間は、征服したと思っていた自然から、見事な反撃をくらいつつある。・・・


 ─続く─ 

 


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