昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(97)女と男(28)

2010-12-11 06:13:10 | 昭和のマロの考察
 <独裁者、毛沢東をめぐる女と男>⑪

 毛沢東語録を掲げた<文化大革命>を先導した毛沢東は、とかく教条的な原理主義者と見られがちだが、
 実際は現実を冷静に見つめる現実主義者であった。
 歴史的な今回の米中会談の背景には、毛のアメリカに対する現実的な歴史観があった。
 つまり、アメリカは中国共産党を評価していたルーズベルト大統領を称賛し、彼が共産党の勝利を見届けるまで生きていたなら米中関係もよほど変わっていただろうと見ている。
 それがトルーマン大統領により軌道修正され国民党を支持し、共産党に背を向けるようになる。そして国共内戦の勃発は彼の所為であると言っている。

 興味深いのは、内戦で中国が勝利をおさめられたのは日本のおかげだと毛沢東が言っていることだ。

 1930年代に日本が中国に侵攻しなかったならば、日本の侵略者に対し共産党と国民党が共闘をくむようなことはなかったろうし、また共産党は脆弱すぎてとうてい権力の奪取などかなわなかっただろう。共産党からすれば、日本の侵略は悪事が善事に変換したのであり、むしろ感謝しなければならないとした。

 米中会談は実現したが、毛沢東は国際平和の新しい時代を予測していたわけではない。冷戦構造は存在し、あらゆる世代は戦争を経験しないわけにはいかないだろうと考えていた。
 この年、毛はもうひとつの現実的な外交的勝利をおさめている。

 9月に田中角栄が北京を訪れたのである。・・・
 田中首相はニクソン訪中と同等の外交的な儀礼をもって遇され、この訪中の成果は、日中間に正式の外交関係が樹立されるという共同コミュニケの発表であった。
 
 毛沢東はニクソンよりも田中との会談のほうがずっと心強く、親しみ深かったと思った。田中が日本の中国侵略を謝罪しようとしたとき、毛沢東は日本侵略の<助け>があったからこそ共産党の勝利を可能ならしめ、共産中国と日本の両首脳があいまみえるようになったのだと請け合った。
 彼はまた田中に対し、自分の健康状態があまり良好とはいえないと告白し、そう長くは生きられないだろうと日本の首相に語ったが、しかしこれは毛沢東のゲームだった。  
 彼は相変わらず自分の長寿を信じきっていたが、しばしば機をみては自分の死がそう遠くはないとほのめかして外国の反応をテストした。


 毛沢東と田中角栄には共通点が多かった。両人とも大学は出ていないし、闘争につぐ闘争のはてに最高の地位にのぼったのである。
 毛沢東は、田中が与党である自由民主党内の強い反対を排除して対中外交関係の樹立を推進したのは勇気があり、決断力があるとみた。



 ニクソン大統領と田中首相とのあいだにも共通点があった。両人とも辞任を強いられたのである。
 しかし毛はひきつづきふたりの訪中を歓迎し、いつも両人を<古い友人>とみなしていた。


 我が菅首相よ、リーダーは<決断力>ですぞ!

 ─続く─


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