「今日は夕焼けパーティーを開くか」
大きな物件を受注してご機嫌の専務は、朝出がけに川田に言い残していった。
いつも怒鳴りつけ緊張を強いている営業部員を、たまには緩めてやる必要があると思っているのだ。
ビールを買ってこさせ、会議室でみんなと雑談を楽しむ。
見かけからは意外だが、石岡専務はそんなに酒を飲まない。
そんな専務に配慮して川田たちはおつまみに乾きものだけでなく、焼き鳥やシュウマイ、海苔巻なども買ってきた。
専務はもっぱらおつまみをつまむ。
酒を飲まない専務が同席だとなかなか会話が弾まない。今日も専務が口火を切った。
「この間、たまたま電車に乗ったら、経理の桜田くんに会ったよ」
普段は運転手つきのデボネアに乗っている。たぶん運転手の岸田さんが休みだったのだろう。
「トランジスタラジオを聴いているから、何を聞いてるの?って聞いたら言わないんだ。ポット顔を赤らめて、イヤホンを外しちゃうんだ。かわいいよね」
細身だが、腹腔を響かせてしゃべる専務の声は、怒鳴るときはたいへんな威圧だが、穏やかにしゃべるときは聞くものをホッとさせる癒しの力がある。
「いまどき、話しかけられてポット顔が赤くなる女の子なんている? こんな子が埼玉にいるなんて奇跡だぜ」
川田がすぐさま割り込んできた。桜田は大宮から通っているのだ。
「なんで埼玉に住んでいたら奇跡なのよ!」三上が口を尖らせた。
「ダサイタマ・・・」
「そういえばさあ・・・」
ビールをちびちび飲んでいた猪熊課長が猫背気味の上半身に載っかった、年の割に、まだ40歳前だというのにしわの多い顔を前にせりだした。
いつものように眉間にしわを寄せて、いささかどもり気味にしゃべり始めた。
しかし、この人のしゃべりは簡潔でざっくばらん、しかもセンスある言い方なのでみんな耳をそば立てる。
「バレンタインのとき、オレにチョコくれたんだよね・・・」
バレンタインに女性から男性にチョコを贈るというのは最近始まったばかりだが、森永などの菓子メーカーが新聞に大きなキャンペーン広告を出してこのところ急速に会社の中でも流行りだしていた。
「義理チョコね」川田が茶々を入れる。
「あの日、朝早く営業部へ来て川田と司に『これ作ったんですけど、うまくいかなくて・・・』とか言いながらチョコを渡してるんだ・・・」
課長は川田を無視してしゃべりだした。
「川田が『オッ! やったね。お前はエライ』とか言ってね」
川田の方を非難する目でちらっと見た。
「いやあ、若いやつはいいなあと横目で見ていたら『課長さんもどぞ』ってオレにもくれたんだ」
「課長! それはついで、さっちゃんが作り過ぎて・・・」
横からしつこく口を出す川田をなぎはらうように手をふって遮ると続けた。
「なにはともあれうれしかったね。川田のやつが『エッ! お父さんにもあげるの?』なんてほざきやがったけどね」
猪熊課長のいつも笑わない目が細くなった。
「いやあ、あの子は若いけど礼儀正しいし、仕事には真剣に取り組むし、親御さんの教育がよかったのだろうね・・・」
市岡専務がそう言ったとき、上から階段を下りてくる靴音がコツコツを聞こえた。
うわさの主、桜田幸子だ。
─続く─
大きな物件を受注してご機嫌の専務は、朝出がけに川田に言い残していった。
いつも怒鳴りつけ緊張を強いている営業部員を、たまには緩めてやる必要があると思っているのだ。
ビールを買ってこさせ、会議室でみんなと雑談を楽しむ。
見かけからは意外だが、石岡専務はそんなに酒を飲まない。
そんな専務に配慮して川田たちはおつまみに乾きものだけでなく、焼き鳥やシュウマイ、海苔巻なども買ってきた。
専務はもっぱらおつまみをつまむ。
酒を飲まない専務が同席だとなかなか会話が弾まない。今日も専務が口火を切った。
「この間、たまたま電車に乗ったら、経理の桜田くんに会ったよ」
普段は運転手つきのデボネアに乗っている。たぶん運転手の岸田さんが休みだったのだろう。
「トランジスタラジオを聴いているから、何を聞いてるの?って聞いたら言わないんだ。ポット顔を赤らめて、イヤホンを外しちゃうんだ。かわいいよね」
細身だが、腹腔を響かせてしゃべる専務の声は、怒鳴るときはたいへんな威圧だが、穏やかにしゃべるときは聞くものをホッとさせる癒しの力がある。
「いまどき、話しかけられてポット顔が赤くなる女の子なんている? こんな子が埼玉にいるなんて奇跡だぜ」
川田がすぐさま割り込んできた。桜田は大宮から通っているのだ。
「なんで埼玉に住んでいたら奇跡なのよ!」三上が口を尖らせた。
「ダサイタマ・・・」
「そういえばさあ・・・」
ビールをちびちび飲んでいた猪熊課長が猫背気味の上半身に載っかった、年の割に、まだ40歳前だというのにしわの多い顔を前にせりだした。
いつものように眉間にしわを寄せて、いささかどもり気味にしゃべり始めた。
しかし、この人のしゃべりは簡潔でざっくばらん、しかもセンスある言い方なのでみんな耳をそば立てる。
「バレンタインのとき、オレにチョコくれたんだよね・・・」
バレンタインに女性から男性にチョコを贈るというのは最近始まったばかりだが、森永などの菓子メーカーが新聞に大きなキャンペーン広告を出してこのところ急速に会社の中でも流行りだしていた。
「義理チョコね」川田が茶々を入れる。
「あの日、朝早く営業部へ来て川田と司に『これ作ったんですけど、うまくいかなくて・・・』とか言いながらチョコを渡してるんだ・・・」
課長は川田を無視してしゃべりだした。
「川田が『オッ! やったね。お前はエライ』とか言ってね」
川田の方を非難する目でちらっと見た。
「いやあ、若いやつはいいなあと横目で見ていたら『課長さんもどぞ』ってオレにもくれたんだ」
「課長! それはついで、さっちゃんが作り過ぎて・・・」
横からしつこく口を出す川田をなぎはらうように手をふって遮ると続けた。
「なにはともあれうれしかったね。川田のやつが『エッ! お父さんにもあげるの?』なんてほざきやがったけどね」
猪熊課長のいつも笑わない目が細くなった。
「いやあ、あの子は若いけど礼儀正しいし、仕事には真剣に取り組むし、親御さんの教育がよかったのだろうね・・・」
市岡専務がそう言ったとき、上から階段を下りてくる靴音がコツコツを聞こえた。
うわさの主、桜田幸子だ。
─続く─