マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

ジョイフルトレイン:485系 きらきらうえつ

2019-12-16 00:33:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
ジョイフルトレイン:485系 きらきらうえつ


ジョイフルトレイン「きらきらうえつ」は、平成13年、485系の改造により誕生したJR東日本所有の電車。
種車は、485系や489系に由来し、後期の改造であるため、登場時からグリーン車扱いとなったことはなく、クハ+モハとなっていました。
485系改造のジョイフルトレインとしては最後発となった車両ですが、令和元年12月15日の営業運転をもって引退となりました。
きらきらうえつ 営業運転終了



平成27年11月14日 尾久車両センターにて

きらきらうえつは、JR東日本新潟支社の車両で、休日は多数の臨時快速運用に充てられていたこともあり、関東に姿を見せることは殆どありません。登場時は何度か臨時快速運用で上京したこともあったようですが、地元での撮影再開前だったようで、まったく記憶にもありませんでした。

唯一、この写真を撮った年の公開で初めてその姿を見ることが出来たわけですが、展示位置が悪く、記録としても最低線の写真しか撮れなかったことが非常に悔やまれます。

今年は115系と絡めて新潟に行く計画を立ててもいたのですが、長梅雨と仕事の忙しさ、体調不良などもあって頓挫してしまい、最後の活躍を見ることもなくお別れとなってしまいました。

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JR東日本 253系:特急「成田エクスプレス」(Yōkoso JAPAN編)

2019-12-14 23:51:00 | 国鉄・JR特急列車
JR東日本 253系:特急「成田エクスプレス」(YōkosoJAPAN編)



間が開いてしまいましたが、253系特急「成田エクスプレス」の最終編として、Yōkoso JAPANのステッカーを取り付けた編成の写真をまとめてみました。

253系のうち6両編成に取り付けられていたYōkoso JAPANのステッカーですが、何編成に取り付けられていたのか、今もって情報として殆ど出てきません。



平成21年7月26日 蕨~南浦和間にて 「成田エクスプレス15号」

本来なら撮影する立ち位置ではないのですが、初めてステッカー取付車だったために慌てて撮影していたようです。この時点では、まだ何が貼ってあるかも分かっていませんでした。



平成21年8月9日 蕨~西川口間にて Ne-101編成 「成田エクスプレス15号」



平成21年8月9日 蕨~南浦和間にて Ne-01編成 「成田エクスプレス15号」



平成22年3月13日 池袋駅にて Ne-03編成 「成田エクスプレス14号」

イベントを見に来た娘の付き添いで。ホームで貨物列車の待機中に偶然やって来たステッカー車。初めてじっくり撮影&見物が出来ました。



ステッカーのアップ。



ドア横やデッキ内にも貼ってあるのを初めて知りました。



平成22年5月18日 立川駅にて Ne-101編成

既に運用末期の頃。この時間帯には運用がありませんで、疎開回送に偶然出会ったのかもしれません。



平成22年7月17日 西船橋~船橋間にて Ne-01編成 「253系成田エクスプレス ラストラン」

253系「成田エクスプレス」がラストランとなった日、撮影に出掛けました。
安全な上からの構図に徹し、万端に整えてその時を待ちました。やってきた列車にヘッドマークのようなステッカーを発見、シャッターを切ると、なんとYōkoso JAPANのステッカーでした。これにはガッカリ、憤慨したものです。

こうして、253系「成田エクスプレス」は登場から20年の歴史に幕を下ろしたわけですが、最終増備の2編成のみ、東武乗り入れ特急として現在も元気に走っています。

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国鉄(JR東日本)直流型電気機関車:EF6019

2019-12-11 00:35:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄(JR東日本)直流型電気機関車:EF6019


国鉄時代末期に運用から撤退して以来、永きにわたって高崎で動態保存されてきたEF6019でしたが、令和元年7月3日付をもって除籍されてしまいました。

EF6019は、昭和37年東洋電機・汽車製造製で、同年8月3日付で新鶴見機関区に配置となり、主に東海道本線の貨物列車牽引に活躍しました。
後に浜松機関区に配置換えされ、国鉄末期の昭和56年7月に高崎第二機関区に転属、首都圏の貨物列車牽引に当たっていました。



昭和57年5月頃 蕨~西川口間にて 上り貨物列車

高崎にやってきて間もない頃のEF6019。原形で手付かずのオリジナルな姿。
川口←→田端間の貨物列車は、蕨駅にてカマを入れ換えます。”テール消し忘れてますぜ!”と言いたくなってしまうシーン。



昭和60年11月4日 岡部~深谷間にて 上り貨物列車

国鉄末期、高崎線を行く上り貨物列車を牽引するEF6019。
わずかな期間に前照灯がシールドビーム2灯に改造されてしまいました。



平成6年5月31日 上牧~水上間にて EF6019牽引 「くつろぎ

車籍を失わないままJR東日本に継承され、主に高崎線~上越線などの臨時列車を中心に牽引に当たるようになりました。
昭和61年に改造により誕生したお座敷客車「やすらぎ」の指定機となり、大胆にも「やすらぎ」色となったEF6019。ここで写欲を削がれたと言っても過言ではありませんでした。



平成14年8月17日 EF6019牽引 快速「EL&SL奥利根」

平成13年に本家お座敷列車「やすらぎ」が廃車になった後も、しばらくの間は「やすらぎ」塗装が維持されていました。



平成19年10月7日 EF6019牽引 快速「EL&SL奥利根」

この写真を撮影した平成19年、間を挟んで約20年続いた「やすらぎ」色から原色の国鉄貨物色に復元され、また地味に活躍を続けることになります。



平成23年9月11日 EF6019牽引 快速「EL&SLみなかみ」

永らくシールドビーム2灯となっていたヘッドライトは、平成22年1月から翌年に掛け、片エンドずつ原形1灯に戻され、外観上は黒Hゴム以外、オリジナルに近い姿となりました。
快速「EL&SL奥利根」時代はヘッドマークが取り付けられることもなく地味でしたが、快速「EL&SLみなかみ」になってからはヘッドマークが付くようになり、少し格好がつくようになりました。


何故このような地味な貨物機が動態保存され続けてきたのか、疑問に思わざる得ないところです。
しかし、昭和37年の誕生から50年以上という期間は、かつての戦前型電気機関車を「スゴイ!」と思っていた期間をさらに超えるものであり、当該車両を支えてきた現場の方の想いと努力以外には考えられません。

秋田車両センターに送られてからの状況は分かりませんが、解体にしても静態保存にしても、これまでの活躍を労いたいと思います。


国鉄 直流型電気機関車:EF60 0番代
EF60 500番代 直流型電気機関車
国鉄型直流電機:EF61200番代

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名古屋鉄道:2200系(登場当初)

2019-12-09 01:20:00 | 私鉄(大手)
名古屋鉄道:2200系(登場当初)


前記事に続き、名古屋鉄道の特急型車両である2200系電車です。

2000系「ミュースカイ」をベースとして、一般車を混結する編成とするためにやはり平成17年から運用を開始しました。
「ミュースカイ」はホワイトを基調としてブルーのラインを配したデザインに対し、2200系はホワイトを基調に名古屋鉄道のカラーである名鉄スカーレットを配したデザインとしました。



平成17年7月23日 木曽川堤~黒田間にて 2200系2203F

これも登場間もない頃に撮影したもの。
一般車を混結した編成なので、国鉄時代からの特急列車を知る身としては、サイドから見るに違和感を禁じえません。しかし、セントレア開業関連のダイヤ改正からは「ミュースカイ」を除く特急列車をすべて指定席車と混結する方式に転換してしまったため、在来の1000系「パノラマデラックス」も含めこのような編成となってしまいました。

写真の2203Fは1次車で、この頃はまだ4編成しか存在しなかったためか、数時間粘ってもこれ1枚しか撮影できなかったように記憶しています。
現在は塗装デザインが変更されてしまい、このデザインは消滅しています。

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名古屋鉄道 2000系:「ミュースカイ」(登場当初)

2019-12-08 00:20:00 | 私鉄(大手)
名古屋鉄道 2000系「ミュースカイ」(登場当初)


「ミュースカイ」として現在も活躍している名古屋鉄道2000系電車。

中部国際空港(セントレア)へのアクセス用車両として、2004年(平成16年)1月29日に運行を開始しました。

現在は、4両編成12本が運用されているということですが、登場当初は3両編成となっていました。予想を上回る需要があったため、3連×2で対応していましたが、需要に追い付かなくなってしまったため、中間車を増備して現在のような4連×2の運用になったそうです。



平成17年7月23日 木曽川堤~黒田間にて 2000系 2006(二次車)

愛知万博を訪れた際、親戚の叔父がクルマで送ってくれたために名鉄の撮影が実現しました。
目的は7000系だったのですが、残念ながら1本も会うことが出来ませんでした。

登場したばかりの2000系には興味もありませんでしたが、3両編成時代というのは非常に短い期間でしたので、貴重な時代の記録の1コマとなりました。

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