島原鉄道:キハ5503サボ(諫早-加津佐)
長崎県の諫早と島原外港を結ぶ島原鉄道。
かつては島原半島を半周以上するほどの距離で営業してしており、その長さは78.5キロにも及びました。
普賢岳の噴火による火砕流や土石流による被害を乗り越えて営業を続けていましたが、平成20年3月31日をもって島原外港~加津佐間が廃止されてしまいました。
長崎方面へは未だに1度しか訪問したことが無く、しかも鉄分がやや薄い旅行であったため、余り写真を撮ってはいませんでした。
その際、島原鉄道も諫早~島原外港間に乗車、天草方面へと渡っており、諫早駅で撮影した『島原鉄道:D3702&キハ5503』でご紹介済みですが、このうちキハ5503に掲示されていたサボを撮影した写真がアーカイブ漏れしていましたので、今回ご紹介したいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/96/81305b7eaccc7f52e0656a8f221bda01.jpg)
昭和57年11月26日 諫早駅にて キハ5503 諫早~加津佐 サボ
このサボを掲出したサボは前面に「急」のサボが取り付けられています。
ちょっと古い時刻表になりますが、下り列車で全区間を急行運転するのは1本しかないようで、佐世保10:20発の大村線経由の普通列車で、諫早で切り離された1両が11:55に発車する急行列車として運転されていたと推測されます。
沿線基地にはほかの気動車も多数停まっていたのですが、既に激しい広告をラッピングした車両が多く、これが気に入らずに1枚もシャッターを切っていませんでした。
大切な昭和の時代の記録を撮り逃してしまった路線の一つでした。
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長崎県の諫早と島原外港を結ぶ島原鉄道。
かつては島原半島を半周以上するほどの距離で営業してしており、その長さは78.5キロにも及びました。
普賢岳の噴火による火砕流や土石流による被害を乗り越えて営業を続けていましたが、平成20年3月31日をもって島原外港~加津佐間が廃止されてしまいました。
長崎方面へは未だに1度しか訪問したことが無く、しかも鉄分がやや薄い旅行であったため、余り写真を撮ってはいませんでした。
その際、島原鉄道も諫早~島原外港間に乗車、天草方面へと渡っており、諫早駅で撮影した『島原鉄道:D3702&キハ5503』でご紹介済みですが、このうちキハ5503に掲示されていたサボを撮影した写真がアーカイブ漏れしていましたので、今回ご紹介したいと思います。
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昭和57年11月26日 諫早駅にて キハ5503 諫早~加津佐 サボ
このサボを掲出したサボは前面に「急」のサボが取り付けられています。
ちょっと古い時刻表になりますが、下り列車で全区間を急行運転するのは1本しかないようで、佐世保10:20発の大村線経由の普通列車で、諫早で切り離された1両が11:55に発車する急行列車として運転されていたと推測されます。
沿線基地にはほかの気動車も多数停まっていたのですが、既に激しい広告をラッピングした車両が多く、これが気に入らずに1枚もシャッターを切っていませんでした。
大切な昭和の時代の記録を撮り逃してしまった路線の一つでした。
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島鉄のキハ26などは昭和47年に冷房改造されて、急行「いなさ」その後の「出島」に連結されて、博多まで行っていたようです。
しかも、クロスシートに白カバー付きだったようです。
キハ55やキハ20は、普通列車で長崎本線に乗り入れていたそうです。
国鉄の55・26系と比べると、赤の色調が違うようです。
今思えば一度訪問したかったですね。
私は一部廃止になってからもっと経っていたと思ってました。普賢岳の噴火がショックで、そのあと復旧したんだっけ?と。
昔は地方私鉄の乗り入れって結構あったのですが、今は信号装置などが各社多様に進化してしまったおかげで、返って乗り入れが難しくなってしまいましたね。
この時代、デジカメとかだったらもっと記録を残せたと思うのですが、こんな鉄分の薄い旅行でよくもM645なんか持って行ったものです。