マル鉄・鉄道写真館

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ED75牽引 50系客車:普通列車(奥羽本線)

2019-07-10 06:07:00 | 国鉄・JR電気機関車(交流・交直流)
ED75牽引 50系客車:普通列車(奥羽本線)


奥羽本線及び羽越本線では、全線電化を前後としてED75700番代による電機牽引の運用が始まっています。秋田地区を中心とする普通列車は、旧型客車や一部気動車による運用でしたが、50系客車の登場後、民営化後も同様のスタイルが続いていました。

私自身、秋田地区の撮影というのは殆どなかったのですが、民営化の直前と民営化間もない頃にそれぞれ1度ずつ撮影に行ったことがあります。メインはあくまでも上野口では撮りづらい寝台特急及び日本海縦貫線を走破する特急列車でしたが、合間に走っていた普通列車を数枚撮影していました。
今までスキャニングすらしていなかったので、今回はプリントからスキャンしたものをご紹介したいと思います。



昭和61年9月9日 撮影地不詳 ED75700番代牽引 普通列車

クルマの免許を取得した翌年、東北をぐるっと回ってきました。まだ国鉄時代です。
50系化された普通列車などまるで興味はなく、当時の愛車を入れた記念写真のつもりで撮影しています。
写真をアップにしてみると、50系客車が4両は繋がっているようですが、最後部がオハっぽく見えますので、5両程度が連結されていたかもしれません。荷物扱いは廃止となり、マニ50は連結されていなかったと記憶しています。







平成4年8月18日 八郎潟~鯉川間(又はその前後)にて

民営化後に訪問した際に撮影した写真をまとめて。
1枚目は遠過ぎて番号は不明。2枚目はED75723、3枚目はED75752と読み取れます。
編成全体が写っていませんが、殆どの列車が2~3両程度だったように記憶しています。これならば気動車でも十分ですが、本線運用は時間が掛かりますので、全てを気動車するにはタマ数が足りなかったのではないでしょうか?もちろん、運転士(機関士)の運用の問題もあったと思います。
こちらもまともに撮ろうという気が無いのが構図から見ても判ります。

秋田地区の客車列車消滅について、詳細な情報は手に入らなかったようですが、電車化のために製造された701系基本番代の誕生が平成5年となっていますので、この平成4年に撮影した客車列車は最晩年の活躍だったと推測します。

旧型客車世代の私にとっては、50系客車の存在は邪道にしか思えませんでしたが、ED75700番代という当時の最新鋭の機関車が牽く真新しくも短命に終わってしまった50系客車との組み合わせは、ここにまとめた写真以外には残っていませんので、貴重な記録であることには間違いないようです。

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