マル鉄・鉄道写真館

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20系寝台客車:寝台特急「北星」

2012-03-21 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
20系寝台客車:寝台特急「北星」


昭和38年10月ダイヤ改正で誕生した夜行急行列車「北星」ですが、その列車スタイルが幸いし、昭和50年3月改正から、20系寝台客車の使用により特急列車化されることになります。
急行列車の特急化というのは、白紙ダイヤ改正の都度に行われてきたものですが、山陽新幹線博多開業による山陽・九州特急の動きが非常に大きかったため、特にこのダイヤ改正では顕著に特急化が実施されたように思います。同時に、金沢行きの急行「北陸2号」も同様に20系化のうえ特急列車に格上げされています。
なお、20系客車は「はやぶさ」「富士」「出雲」「日本海」の24系24型化により余剰となった車両を活用しています。



昭和50年夏頃 EF58牽引「ワサフ8800」を連結した「北星」
※画像が大きくなります。

写真は、ポケットカメラ、列車の引き足らず、絹目写真と悪条件の揃った画像で、大変見づらく、公開するような写真ではないのですが、これだけしかないため敢えて投稿させていただきました。小学6年生のときだと思いますので、腕前はご勘弁ください。これくらいが精一杯です。
急行「北星」時代から続く新聞輸送の関係があり、P型引き通し管を設備したワサフ8800が運転開始から約1年間連結されていました。当形式は言わば「北星」専用車両とも言えるものでしたが、その活躍は僅かであり、その後は一般の荷物列車に転用されています。



昭和52年 上野駅にて

早朝の「北星」は、高感度の無い時代、撮影するのも結構大変なものでした。



昭和52年頃 大宮駅にて EF5884の牽引する20系「北星」

かなり薄暗い時期の撮影ですので、おそらく冬休みに撮ったものではないかと思われます。ヘッドマークが付いていないことから、後に20系化された急行「天の川」や「新星」と区別が付かないところが悲しいです。



昭和52年 蕨駅にて

これから写真を撮りに行こうというとき、目の前を通過した「北星」。時間的には午前10時を回っていると思いますが、おそらく途中で運転が打ち切りとなり回送されて来たものでしょう。
なんといっても驚いたのは、EF58の次位にカニ22が連結されていたことでした。



昭和52年 尾久客車区にて カニ22を使用した「北星」 ※画像が大きくなります。

上の写真を撮った後、撮影の予定は急遽変更され、尾久客車区まで出向くことになりました。カニ22の「北星」を撮らせてもらおうと頼み込んだのですが、頑なに断られてしまいました。

これはふて腐れて帰る途中、建物の陰から撮影したものです。
当時、一眼レフではありましたが、レンズは広角しか持っておりませんでしたので、かなり小さく写っています。もちろん、「北星」であることが判らないくらいに。

しかし、現代になってデジタル処理が出来るようになり、解像度を上げてスキャニングしたところ、なんとか「北星」であることが判る写真になりました。

20系客車が特急車両としての活躍も晩年となった頃、進んだ廃車よる影響でしょうか、客車区間での車両のやり取りが行われたようです。そしてイレギュラー的な動きも見られるようになり、ナハネフ23「北陸」や、さらにはカニ22が「北星」「北陸」に使用されるようになったようです。



昭和53年3月20日 上野駅にて ※画像が大きくなります。

こちらは下り最後尾となるカニ21。
上野駅では到着後推進回送となるので、このカニ21は夜の下りを撮るしかありませんでした。
もっとも、昭和50年3月の特急「北星」運転開始から1年間、最後尾にはワサフ8800が連結されていましたので、このカニ21の姿を撮ることはできませんでした。





昭和53年9月頃

満を持して誕生した軽量客車でしたが、それが仇となって老朽化が顕著であり、誕生からそれほど経っていないにもかかわらず、早くも淘汰が始まってしまうことになります。
「北星」も昭和53年10月改正からは14系化されることになってしまいました。

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