マル鉄・鉄道写真館

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キハ58系:急行「奥久慈」「ときわ」

2012-03-26 00:30:00 | 国鉄・JR急行列車
キハ58系:急行「奥久慈」「ときわ」


「奥久慈」は、上野駅から常磐線・水郡線を経由して常陸大子・郡山方面へ直通した急行列車です。
常磐線内は急行「ときわ」と併結になっていたため、急行「ときわ」としても「奥久慈」と手を組むために気動車急行としてながらく存置されました。

「奥久慈」は上野に乗り入れる水郡線からの唯一の列車であり、通年2往復体制をとっていましたが、多客期には臨時列車も増発されています。水郡線内では何れも途中駅まで急行運転であり、その先は普通列車となっていました。

急行「奥久慈」の運転関係については、マル鉄コレクション館『時刻表ネタ 昭和55年 水郡線を走った急行「ときわ7号」』でご紹介しておりますので、ご参考を。



昭和55年頃 上野駅にて 常磐線快速ホーム11番線に停車中のDC急行「ときわ」「奥久慈」

時代によって変遷があるようですが、上野駅の11・12番線は京浜・山手ホーム同様に嵩がありますので、ステップ付きの車両は入口の1歩目が落ち込むため危険なんですよね。私がバイト時代に臨時の「ときわ」「奥久慈」が11番線発だったので、この写真も臨時かもしれません。旅客誘導中に何人かステップに足を引っ掛けて転びそうになった人がいたのを今でも覚えています。



昭和55年頃 上野駅にて 上野駅を発車したDC急行「ときわ」「奥久慈」

上の写真の列車が発車したシーンと思われます。この時代でも上野発のDC急行は非冷房車が多かったのですが、関東のみを運用する水戸区には冷房車が中心に配置されていたようですね。同じ時代の「おが」や「いいで」「ざおう」と随分格差のある編成です。



昭和56年5月頃 新松戸駅にて 快速線を疾走する「ときわ」「奥久慈」

常磐快速線はこの区間でも95~100km/h運転していましたので、DC急行も結構カッ飛んでいました。スピードを確保するため、加速に有利なキハ58の編成率が高かったのも常磐線の特徴です。



昭和56年8月30日 常磐線 新松戸~北小金間にて 下り「ときわ」「奥久慈」

これは新松戸駅近くの築堤をよじ登って撮影したものです。未だ循環タンクの付いていないトイレの列車が走っていたので、実はこのアングル、ある意味命がけです。
今ではこんなところをよじ登ることすら出来ないんでしょうね。



昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて

この区間は交流区間ですが、DCには関係ありません。

この翌年の昭和58年には、急行「奥久慈」は常磐線内のみとなり、水戸からは普通列車という直通しているだけの役割となり、年を追うごとに衰退し、昭和60年3月改正でとうとう廃止となっています。

私は個人的に常磐線には縁がなかったので、当急行列車には乗ったことはありませんが、その昔は編成中にキハ55も組み込まれており、注目していた列車でした。
しかし、現実にはバイト中に臨時の「奥久慈」にキハ55が3両連結されているのを見たことがあるだけで、晩年の定期急行はキハ58系に統一されていたようでした。
結果的に混成列車を撮ることができなかったのが非常に残念でした。

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