で、って何の続きなんだ?
前回の記事で、私の発表が、ほとんど注目されなかったって言った。その続きだ。
で、おそらく、あの分科会で私のレポートをすべて読んだ人は、ほとんどいなかったと思う。演劇に興味なきゃ、仕方ない話しだ。でもね、あんだけ一所懸命書いたんだもの、もう少し読んでもらいたいじゃないか。このまま、私のパソコンのハードディスクにお蔵入りってのはいかにも寂しい。で、よおーし!このブログに載せちゃおじゃないか。ってことで、今回は、
レポート『地域に飛び出せ演劇部』の第一部大公開と行こう
地域に飛び出せ演劇部
演劇の教育的価値について
Ⅰはじめに
山形県立置賜農業高等学校(以下置農)の演劇部の指導に携わって8年。部員たちとの無我夢中の取り組みは、思いがけず大きな成果を産み落とした。それは、多彩な表現活動と協同作業の積み上げによる、自己実現の達成であった。低学力に気後れを感じている多くの生徒たち、中学校で極度の不登校傾向にあった子供、対人恐怖で失語傾向にある者、およそ演劇世界とは縁遠いと思われる生徒たちが、自己変革の可能性に賭ける思いで演劇部に飛び込み、演劇部の活動を通して大きく変わり、逞しく成長していった。
この目を見張る成果を導き出した演劇というものの可能性について、置農演劇部の実践に沿いながら考察し、さらには部活動を超えて教科としての大きな可能性についても言及したい。
Ⅱ置農演劇部の活動
♪現在部員は、一年生6名、二年生10名、三年生5名の計21名(女子17名、男子4名)で活動している。この部員数は全校生徒330名の約7%に当たる。
♪年間の活動は主として4つの公演である。
①定期公演(6月)。日ごろ高校生には馴染みの薄い名作・大作を中心に上演している。昨年はシェークスピア『夏の夜の夢』、今年は井上ひさし作のミュージカル『十一匹のネコ』に挑戦した。
②高校演劇発表大会。9月地区大会、11月の県大会、12月の東北大会を目指し全力を傾ける。これは顧問(河原)が脚本を書いたオリジナルの舞台である。ここ4年間はミュージカルで挑んでいる。作曲は本校音楽担当の土井広一、振り付けはダンスユニットLAFの鈴木涼子が担当している。
?置農子供ミュージカル。子供向けのミュージカル作品を2月~3月にかけて制作し、公民館や小学校、学童保育などに出張して上演している。すでに4作目となる今年は、『お化け屋商会』という作品を、4月<msnctyst w:st="on" addresslist="06:川西町;" address="川西町"> 川西町 高畠町 米沢市 米沢市
④校内公演。部員たちの完全な自主公演として、1月に実施している。部員たちの互選で選ばれた演出のもとで、作品の選定から舞台の設営、公演の実施まで、すべて部員だけの力で公演を行っている。主に高校生向けの既成作品だが、一昨年は演出の生徒が書いたオリジナル作品も上演し大好評を博した。会場は、視聴覚室に機材を持ち込み小劇場風の会場を設営している。
⑤その他。学園祭や地域のイベント、学校行事等では、積極的にダンスの披露を行っている。
♪年間切れ目なく公演が組まれているので、部員たちはかなり忙しい。
公演の1ヶ月半前からは、平日 16:00~19:00
土日祝日 13:00~18:00
と、野球部や全国レベルの運動部並みの活動時間だが、休む生徒はほとんどいない。 毎日の基礎トレーニングで体力・精神力ともに充実し、昨年は15名の一二年生のうち、12名が学校皆勤賞または精勤賞を得た。また、学習についても、多くの部員が成績を上昇させている。
Ⅲ置農演劇部の成果
①自分に自信を持つ。
1)昨年は学校農業クラブ意見発表大会で学校代表三人がすべて演劇部部員となり、うち一人は県大会を勝ちあがり東北大会に進んだ。また、別の部員が、プロジェクト発表大会の発表者として東北大会に出場し、第2位となり、東京の全国産業教育フェアで発表を行った。数年前には意見発表で全国大会に出場した者もあった。
2)就職、進学など進路の実現にあたっては、堂々とした態度で面接に臨み、それぞれ念願の進路を実現している。
②不登校や対人恐怖の克服。
1)Aの場合:中学時その特異な個性が学校で理解されず、登校拒否状態で過ごした。置農に入学後ただに演劇部に入部し、熱心に活動を続けた。他の部員との関係もぎこちなく、精神のこわばりが身体にも影響して、ダンスや演技では大いに苦労した。生真面目で小回りの利かない性格のため、スタッフでは力が出せず、仕方なく役者に回ったが、持ち前の熱心さとミュージカル好き、歌のうまさで準主役の座をつかんだ。一回一回の公演で役が中心的なものになるに従い自信も生まれ、成績は上位を保ち、プロジェクトでも発表者を務めるなど、学業面での活躍も目覚しいものとなった。農業高校の教員になることを目指して、農業大学に進学。
2)Bの場合:中学時首都圏より移住。新しい学校でいじめにあい、不登校状態となる。置農入学後演劇部に入部。一年次は精神的不調がすぐに身体に現れ、稽古中や公演直前に倒れることもしばしばだった。運動神経も鈍く、声も小さくおどおどして、スタッフとしても安心して任せられる状態ではなかった。学校も時折欠席した。一年次冬の校内公演で初の舞台を踏み、風邪に悩まされながらも仲間に支えられて準主役を演じきった。この頃から小道具担当スタッフとしても力を発揮し始めた。しかし、舞台に立つことへの意欲は高く、三年次定期公演では、強く望んでシェークスピア劇に端役ながらも出演した。このときは声も大きくなり、自信にあふれた態度で舞台を務めた。三年生になってからは欠席もほとんどなくなり、下級生にも叱咤激励するなどしっかりとリードする最上級生となった。進路は県外就職を希望し、首都圏でサービス業に職を得てがんばっている。
つづく