仕事辞めて、さすがに使える時間はふんだんになった。以前なら山形まで映画見に行くったら、相当の覚悟必要だった。行くなら2本はしごとか、とことん有効利用って気持ちが強かった。時間だってぎりぎりに行って追われるように帰ってくる。だから、1本だけ見に行くなんて、とてもとても。で、晴れて老後身分!老後三昧!!時間はあるわぁぁぁ!
『愛・アムール』今年のアカデミー外国映画賞を取った作品だ。ずっと気になっていた。年寄り2人、妻の介護、孤立する2人、・・・・うーん、我が家の何年か先のこともあるしなぁ、シニア演劇の題材としても勉強になるだろうし、ここはやっぱり見ておかないと。
まず、カメラが動かないってことに意表を突かれた。最初のシーン(実は2番目)劇場の観客席を舞台上からじっと撮すのみ。劇場名がシャンゼリゼ劇場だとわかるまで数分?さらに舞台で演じられるのがピアノコンサートとわかるまでにさらに数十秒。そのコンサートから帰った老夫婦の居宅。ここもカメラは動かない。老夫婦のゆったりとした暮らしのリズム、緩やかな感情の起伏に合わせたカメラワークなのだろう。もっといろいろ工夫のある作品が好きな僕としては、ちょっとあくび!ちょっぴり居眠り!
ストーリーは、かつて美しいピアノ教師だった夫人が脳溢血だかで半身不随になり、夫は、2度と病院にやらないでとの妻の願いを聞いて、1人在宅での看護を始める。病状の悪化とともに、心も頑なになっていく夫人。看護師からも見放され、娘とも介護の仕方を巡っての争いなどあって、ついに妻の顔を枕で覆ってしまう夫。妻の死体を飾った後、はっきりし描かれはしないが、夫は自らの命を絶つために部屋を出て行く。
はっとさせられるシーンは二つ。頑として水を飲もうとしない妻を思わず平手打ちしてしまう夫。そして、痛い痛いとうめき続ける妻を、必死に昔話を語ってなだめつつ、ついには衝動的に枕を押しつけてしまう夫。実際に手を下すかどうか別として、介護を担っている人には誰しも心当たりのある思いに違いない。老々介護の悲惨さ、って言ってしまうと身もふたもないが、今の、あるいはこれからの大きな課題に正面からぶつかった作品ってことにはなる。
でも、見終わっての感想は、たしかに重くはあったのだが、これきれい事過ぎないか?って疑問だった。例えば介護にしてもこの夫婦は比較的経済的なゆとりがあるようで、買い物や部屋の掃除などは隣人の夫婦にまかせ、通いの看護師も雇っている。いろいろ話しを聞いたり、介護疲れによる心中なんて記事を読んだりすると、老々介護の実態ってこんなもんじゃないよなって、まあ、僕は想像するたけなんだけど。
だから、枕を押しつけるシーンにしても、なんか必然性っていうか、あっ、そんじゃ仕方ないよなぁ、苦しんだだよね、みたいな共感が湧かない。えっ、やっちゃうの?っていうのが流れから伝わる率直な感じなんだなぁ。拒絶にあってひっぱたく時でも、たった一回の平手打ちに凄いショックを受けてる。でも、介護の現場のどろどろした噂聞くと、暴力が日常的だったり、仮に手は出さなくても、愛なんかぶっんでしまうような怒りや苛立ちの日々なんじゃないだろうか。死んで欲しい、殺したい、時には思う。それでもふっと元気だった過去の姿なんか思い浮かんで抱きしめたり、諦めたり、もっともっともっと、複雑でしどろもどろの世界なんじゃないだろうか、老々介護ってのは。
そう思うだけで心がすくんでしまう僕なんか、とてもとても介護なんてできないだろうって思いつつ、この映画みたいにきれいに描かれたら、今その現実を引き受けている人たちはどうなんだろう、って思いの方が強く迫ってきた観賞後の車の中だった。
『愛・アムール』今年のアカデミー外国映画賞を取った作品だ。ずっと気になっていた。年寄り2人、妻の介護、孤立する2人、・・・・うーん、我が家の何年か先のこともあるしなぁ、シニア演劇の題材としても勉強になるだろうし、ここはやっぱり見ておかないと。
まず、カメラが動かないってことに意表を突かれた。最初のシーン(実は2番目)劇場の観客席を舞台上からじっと撮すのみ。劇場名がシャンゼリゼ劇場だとわかるまで数分?さらに舞台で演じられるのがピアノコンサートとわかるまでにさらに数十秒。そのコンサートから帰った老夫婦の居宅。ここもカメラは動かない。老夫婦のゆったりとした暮らしのリズム、緩やかな感情の起伏に合わせたカメラワークなのだろう。もっといろいろ工夫のある作品が好きな僕としては、ちょっとあくび!ちょっぴり居眠り!
ストーリーは、かつて美しいピアノ教師だった夫人が脳溢血だかで半身不随になり、夫は、2度と病院にやらないでとの妻の願いを聞いて、1人在宅での看護を始める。病状の悪化とともに、心も頑なになっていく夫人。看護師からも見放され、娘とも介護の仕方を巡っての争いなどあって、ついに妻の顔を枕で覆ってしまう夫。妻の死体を飾った後、はっきりし描かれはしないが、夫は自らの命を絶つために部屋を出て行く。
はっとさせられるシーンは二つ。頑として水を飲もうとしない妻を思わず平手打ちしてしまう夫。そして、痛い痛いとうめき続ける妻を、必死に昔話を語ってなだめつつ、ついには衝動的に枕を押しつけてしまう夫。実際に手を下すかどうか別として、介護を担っている人には誰しも心当たりのある思いに違いない。老々介護の悲惨さ、って言ってしまうと身もふたもないが、今の、あるいはこれからの大きな課題に正面からぶつかった作品ってことにはなる。
でも、見終わっての感想は、たしかに重くはあったのだが、これきれい事過ぎないか?って疑問だった。例えば介護にしてもこの夫婦は比較的経済的なゆとりがあるようで、買い物や部屋の掃除などは隣人の夫婦にまかせ、通いの看護師も雇っている。いろいろ話しを聞いたり、介護疲れによる心中なんて記事を読んだりすると、老々介護の実態ってこんなもんじゃないよなって、まあ、僕は想像するたけなんだけど。
だから、枕を押しつけるシーンにしても、なんか必然性っていうか、あっ、そんじゃ仕方ないよなぁ、苦しんだだよね、みたいな共感が湧かない。えっ、やっちゃうの?っていうのが流れから伝わる率直な感じなんだなぁ。拒絶にあってひっぱたく時でも、たった一回の平手打ちに凄いショックを受けてる。でも、介護の現場のどろどろした噂聞くと、暴力が日常的だったり、仮に手は出さなくても、愛なんかぶっんでしまうような怒りや苛立ちの日々なんじゃないだろうか。死んで欲しい、殺したい、時には思う。それでもふっと元気だった過去の姿なんか思い浮かんで抱きしめたり、諦めたり、もっともっともっと、複雑でしどろもどろの世界なんじゃないだろうか、老々介護ってのは。
そう思うだけで心がすくんでしまう僕なんか、とてもとても介護なんてできないだろうって思いつつ、この映画みたいにきれいに描かれたら、今その現実を引き受けている人たちはどうなんだろう、って思いの方が強く迫ってきた観賞後の車の中だった。
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