ステージおきたま

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史実の罠?韓ドラ『緑豆の花』

2023-01-28 10:55:44 | 映画
どうしたって比較しちまうよな、『緑豆の花』(hulu)と『ミスターサンシャイン』(Netflix)。どちらも19世紀末の朝鮮、侵略国日本に対する抵抗運動を舞台に描いたものだものな。
韓国内で放映されたのは、『ミスターサンシャイン』が1年前の2018年。そうかぁ、『緑豆の花』は後追いなのかぁ。
だとすると、何学んでんだよ!先輩越えなくってどうすんだよ!っていちゃもんつけたくなるぜ。
勝負は歴然だな。ウィキペディアの記載内容の多少を見たらはっきりしてる。先行作品は大評判、主役の二人もその年のベスト役者に選ばれてる。
東学党の農民蜂起のこと知りたくて見始めた『緑豆の花』だけど、前半20回で早くも食傷気味だぜ。
ヒロイン二人とも好みじゃないとか、主人公の一人、弟の方の役者が下手だとか、こっちの身勝手な理由もあるが、一番は、格好良くない!これに尽きるな。あっ、こっちの方がもっと我がままか。
どっちの作品も狙撃手が重要な役どころ占めてるんだが、方や黒尽くめのギャングスタイルと魅力的な猟師姿でこれが女。夜の街を疾駆するする姿が、うーん、たまらねぇ!ほんと、惚れ惚れする。

『緑豆の花』の方は、下っ端役人が真っ白なガウンみたいな民族衣服まとって森の中を走り回る。おいおい、そんな白い服着たスナイパーってないだろ、暗闇でも目立つじゃないか。

動きも颯爽としてないし。史実としてはこの恰好で出さざるを得ないんだろうが、どうもねぇ。
ヒロインの民族衣装も、地味で代り映えしない『緑豆の花』、華やかで多彩な『ミスターサンシャイン』。


おっと、女性の衣装じゃ忘れちゃいけない、ホテル・グローリーの社長工藤陽花の日替わりファッションショーもめっちゃ楽しめた。

他にも、両作品の差は歴然なんだけど、それ言いつのっちゃ、可哀そうだ。金の掛け方も格段に違うみたいだからな。
一生懸命作った『緑豆の花』を庇うとすれば、史実に絡めとられた失敗ってことなんじゃないか。
どっぷり東学農民一揆そのものに入り込んじまってるからな。どうしたって、勝手気ままにゃ雨後推せないんだぜ。何年、何月、どこでどんな事件が起こったか、これは動かしようないもの。大枠で過去の現実に型にはめられちまってる窮屈さだよな。この作りだとどうしたって時代考証ってやつからはみ出せない。
だから、狙撃手も下級役人の姿で村田銃肩に担いでなきゃいけないし、女たちも昔の衣装で出ています、になっちまたんだと思うんだ。
史実にそって作品仕上げるてのは、時代そのもの、事実そのものの重みを味方に付けることはできるけど、やりたい放題勝手に遊ぶわけにはいなくなるんだよ。
その点、『ミスターサンシャイン』は義民による独立闘争とは言っても、お手本は漠然としたものだから、自由がきく。登場人物の多彩さ、一筋縄で行かない人間的な深さ、互いが行き交う物語の奔放さ見れば納得のはずだ。

ま、『緑豆の花』は史実にどっぷり漬かって物語るって方法を選んでしまったことが、落とし穴だったんだ。罠に雁字搦めにされっちまったってことなんだろう。
と、弁護はしてみたものの、史実と並走しながら、もっと自由に描くことできたかも知れんぜ。やっぱり想像力の差ってこなのかな。
と書いて来て、後編を見始めているんだが、『緑豆の花』の良さを発見した。
それは市井の女たち3人がそれぞれに自分を変革し成長して行ってことだ。これについては、最後まで見終わったらも一度振り返ろうか。


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