goo blog サービス終了のお知らせ 

ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

日本語は「半端ない」?が半端ない!

2018-08-29 09:06:55 | アート・文化

 朝日新聞オピニオン&フォーラム、いいねぇ、今朝もいい記事載せてくれたぜ。『日本語は「半端ない」?』、国語辞典編纂者・日本語学者飯間浩明さんのインタビュー記事だ。

 三浦しおんの『舟を編む』で一気に脚光を浴びた辞書編纂者、時代と過度に密着しつつ、大きく時代離れした日々の暮らしの一端を紹介してくれている。街を歩けば上を向いて看板を漁り、電車に乗ったら吊るしをカメラでパチリ、隣りの席の若者会話を盗み聞き。日々新しい言葉、新規の使用法に目を光らせている。世の中、こんな人がいるんだぁと心暖かくなり、こんな言葉オタクがいるから、耳新しい言葉も辞書でチェックができる、うん、感謝、感謝と思いつつ読み進めた。

 後半は言葉の正しさについて。今の時代、稀に見る新造語洪水の時代だ。技術の進歩や社会の複雑化、世界のグローバル化、世代の断絶などあって、新しい言葉は日々集中豪雨時の排水溝のように噴出している。とてもじゃないがオジサンたちは付いていけない。わけわからん!省略するな!カタカナ使うな!正しい日本語使え!上から目線の文句たらたら。

 だがね、飯間さんによると、言葉の正しさが叫ばれ出したのは、なんと、戦後からなんだってさ。危機に瀕しつつあった日本のアイデンティティを守らにゃってことで、日本語ブームが起き、『あなたの日本語間違っている』的な本が乱発されて、新聞、雑誌、テレビでの言葉狩りが進んだことが発端だってんだ。テレビで今も大流行りのクイズ番組もこの流行に拍車を掛けてるってことなんだなぁ。

 昔の日本人は漢字の正誤にはうるさかったが、俗語の話し言葉にゃ大らかだったって。好き嫌いはあっても、それはあくまで個人の好み、大上段から切って捨てるなんてことはなかったってことなんだ。

 いやぁ、これ読んで安心したなぁ。僕の文の言葉使いはかなり、はしたなかった?から。恥ずかしげもなく若者言葉は使う、カタカナ語も遠慮なし、助詞はすっ飛ばすし、時には自分流の言葉を作ったりして、やりたい放題、勝手放題だもの。言葉に厳しかった井上ひさしさんだったら、話しにならん悪文書き、言葉の乱れに手を貸す者、時代へのお追従者、って、相手にしてもらえないだろうな、きっと。お許しくだされ、井上さん、って、どこかに井上さんの眼差しを感じて後ろめたさを抱えていたんだ。

 とは言っても、書きたい言葉、しっくりくる文章は、こんなもの、仕方ねえよな、駄文だろうと悪文だろうと、と開き直って書いて来た。台本書くにゃ、今時の言葉やリズムも必要なことだし。高尚な言葉や格調高い文章は、他の人にお任せして、こっちはこれで行く、そんな引かれ者の小唄みたいに拗ねてる必要なんてない。言葉は世に連れ、世は言葉に連れ!だ。気に入った言葉ならどんどん使っていくぜ。いや、セリフだったら、嫌な言葉だって使わにゃならない。そう吹っ切らせてもらった、とてもお有難いインタビュー記事だったなぁ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲートボールからパークゴルフへ!ジジババからシニアへ!!

2018-04-15 10:04:33 | アート・文化

 通ってるジム、周囲にゃパークゴルフ場が広がってる。こっちはマシンでランニング、ガラス隔てた外じゃ、やってる、やってる何グループも、芝生のコースを回ってる。4月にコースが開放されてからは連日大盛況だ。

 ゴルファーはプレイに夢中、建物の中でしこしこぜぇぜぇ走ってるジイサンなんかにゃ見向きもしないんだが、こちらからは嫌でも彼らの様子が丸見えだ。見るともなしに眺めていて、気が付いた。

 そうだ、ゲートボールって、最近流行らねえよなぁ、って言うより、やってる人、いるのか?さっぱり見ないぜ。完全に廃れちまったんだろう、きっと。まぁ、以前から競技の加熱でメンバー同士がいがみ合うとか、問題指摘されてたから、きっと一時の熱も急速に冷えて行ったんだろう。

 その後を継いだのがパークゴルフなのか?一部年寄り連中にゃなかなかのブームになってるようだ。そうなぁ、たしかにゲートボールよりゃイメージいいよなぁ。プレーエリヤは広いし、芝生敷きだし。用具にしてもゲートボールはダルマ落としのハンマーだろ。パークゴルフは、ヘッドはでかいがクラブはドライバーだもの、カッコよさは歴然の差だ。

 各自が自分の力量に合わせて自由に楽しめる、ってとこも、競技ゲートボールの殺伐感とは反対の大らかさなんだろう。見てる限りだが、実力の差なんてあまりないんじゃないか?それとも、ハンデみたいなもんもできてるんだろうか?一応、パーのスコアとかは決まっているようだけど。広い空間を歩いて、思いっきりボールをかっ飛ばして、ホールを狙う緊張感もある。パークゴルフの方が、どうしたって勝ちよ。

 プレーするジジババ見ていて、気がついた。恰好がずいぶんお洒落なんだよ。特に女性は、パークゴルフウェアみたいなのがあって、スタイルもどうやら出来上がってるみたいなんだ。帽子もサンバイザーだったり、つば広ゴルフ帽子だったりするし、腰には必ず専用のウェストポーチ。クラブ持つ時だって、手づかみになんてしない。小脇に抱えて一流のゴルフプレーヤーみたいだ。ゲートボールは服装って言えば、普段着だったり、学校体育的なジャージだったりだったから、こりゃ大違いだ。交通手段だって自転車じゃなく自動車になった。

 そうか、そうか。年寄りも変わったんだ!われわれ団塊世代が高齢者の仲間入りして、ジジババの流儀も変化したんだ。ジジババからシニアへ、ってわけさ。よりお洒落に、より健康的に、地域一体型から仲間小グループ型へ。ゲートボールからパークゴルフへの移り変わりの中に、高齢者の意識や在り方の変化が見て取れるってことさ。 

 よしっ、そんじゃ今度クラブ握ってみっか?

 なんて気持ちには全然ならない。あれでスポーツって言えるのか?ただの散歩じゃねえの。運動てのはさ、ぎりぎり筋肉や心肺酷使して、びっしり汗かいて、自分の限界と向き合うものなんだぜ、なぁんて、悪たれ口叩きながらマシンの上、ハツカネズミになりながら喘ぐのさ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和の初め、女子専用マンションがあった!

2018-03-06 09:13:03 | アート・文化

 台本書きすると、いろんなこと知ることができて、とっても面白い。『女たちの満州』じゃ、開拓民のための花嫁学校の実態だったし、『にゃん婆と時之助』じゃ猫島の存在を知った。なるほど、なるほど!

 今書いている『予兆 女たちの昭和序奏』は、昭和5年前後数年の物語。中心と話しはすでに決まっていて、その主題をつなぐようにセリフを書き継いでいるんだが、舞台が生き生きと転回していくにゃ、些細な出来事がどうしたって欲しいんだよ。どんなもの食べてたとか、流行は何かとか、芸能の世界は何が人気だったか、とかね。本やらネットやらであちこち知らべ回っちゃ書き進めている。

 例えば、この頃のヒット料理はトンカツ定食!すでにトンカツもかつ丼もあったんだが、キャベツとともに皿に盛ったトンカツ定食は新しい試みで、かなりの評判となったようだ。なんせ、それを発明?した洋食屋の名前・ポンチ軒までしっかり伝わっているくらいだから。

 駄菓子の世界では、あんこ玉が1930年の発売。酢コンブの都コンブは、すでにその前から販売されていたが、この翌年に大々的ヒットとなったようだ。まっ、こんなたわいもない史実?をほじくり出して悦に入っているわけだが、これは、これは、と思うような新知識に出会うこともある。

 大塚女子アパート。昭和5年、震災後お茶の水から移転していた東京女子高等師範学校の近くに建てられた独身婦人専用のアパートだ。あの有名な同潤会(震災で寄せられた寄付を元に、復興を目標に各種集団住居、つまりアパート、今なら復興住宅かな、を建てて経営した組織、ほら、青山の同潤会アパート憧れの的だったろ)が建てた。

 5階建て158の個室を持つ大きなもの、今ならさしずめ女子専用マンションってところだ。1階に食料品店や雑貨店、フルーツパーラーが入っていているし、報告によっては理容室や娯楽室もあったそうだ。ます、日常の必要はすべて建物内で間に合ったわけだ。

 建物の中央は吹き抜けになっていて、1階部分は中庭でガーデンチェアやテーブルか置かれて、憩いの場として利用された。

 食堂や共同浴場もあり、個室内には電気、ガス、水道完備の他、ミシンやラジオも備えられ無料で利用できたと言う。至れり尽くせりってやつだ。

 当時広がりつつあった職業婦人の用に供する目的で作られたようで、独身女性を預かる責任感からか、管理規則は厳しく建物内への男性の入場は不可、入居者の父親と言えども、共同応接室より奥への入室は許されなかった。もちろん、と、言うか、えっ、そこまでと言うべきか、夜間の門限もあった。今で言うなら、厳格な女子大、今時そんなのあるか?の寮ってところかな。もう、女の園そのもの!

 ただし、入居資格は破格だ。収入は月収50円以上ってことは、今なら給料50万円以上で、家賃は9円50銭から16円!今の相場なら月額10数万円の賃貸マンションってことかな。しかも二人の身元確かな保証人が必要だった。当時、タイピストとか女教師とかジャーナリストとか仕事を持って自立する女性たちが多くなっていたから、きっとそういった先端的なエリート職業婦人たちが入居したのだろう。

 もっとも、物語の主人公の若い婦人雑誌記者たちの給料は30円前後なので、ただ単に稼ぎがあるってだけじゃなく、親の庇護を受けることのできた女性たちだったんじゃないだろうかね。

 登場する女性記者二人は、このアパートの取材に赴き、その施設の素晴らしさに驚嘆し、憧れつつも、縁遠いものと諦めてはいるが、女性、それも単身女性の生きるすべを世の中が準備しつつあるという点については大いに評価している。

 昭和の初めに、これほどまでに女性を大切にする住居が作られていたって事実は、もっともっと知っておいていいことだと思う。と、同時にこの先、どんどん戦争の泥沼へとのめり込んで行って、そんな女性たちへの配慮も大きく後退していくことになったってこともさらにしっかり心に留めておく必要があるだろうね。

 画像については、http://www.citta-materia.org/2005/02/08/%E5%90%8C%E6%BD%A4%E4%BC%9A%E3%80%80%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88/

からお借りしました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノーベル賞の実力!カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』

2018-01-15 09:21:05 | アート・文化

 ノーベル賞取ったからって読んでみっか、なんて素直な感覚、無縁だぜ。どっちかっ言やぁ、受賞者?ふん、知るかい、ってひねくれ者だ。それに、カズオ・イシグロにゃぁちっとばっかし因縁あるしな。ってたってこっちの勝手な言いかがりなんだが。

 『わたしを離さないで』、彼の代表作の一つだ。臓器移植用に育てられている人間を描いたものだが、このテーマ、彼より早く僕も舞台に仕上げていたんだ、『マザレスチャイルド』高校演劇だけど。富裕な階層が子供生まれると同時に我が子のクローンを作り、それを移植用人間・動物として飼育するって社会を書いた。

 いや、何も先陣争いをする気は無くて、問題は、イシグロの描き方なんだ。こんな特殊な人間が隔離されることなく同じような文化・教養を与えられて育てられてる、って設定、ナンセンスだろ。必要最小限、健康な肉体であればいいわけだから、知性なんて論外、なまじもの考えられたら、移植の際に困るじゃないか、ってことは動物のように隔離して育てるはずだ、ってこと。それと、どうでもいいこと、やたらだらだら書いて、いい加減本題をはっきりさせろよって苛立ちもあった。だから、こいつぁ駄作だ!と今でも思っている。

 へぇ~、ノーベル文学賞もらったんだ、って冷ややかに見ていたんだが、何気なく彼の著作一覧見てたら、『忘れられた巨人』があって、ファンタジーだって紹介してあんじゃないか。おっ、それならちょっと興味あり、授賞式で長崎や平和のこと語ってもいたし、読んでみてもいいか。

 前半は、案の定、良く言やぁ丁寧な、言っちまえばまどろっこしい展開。飽きそうになった、が、この程度読み通せなくちゃ老化も極まれりだ、って分けのわからん叱咤激励して読み進んだ。後半になり、主な登場人物がすべて姿を現し、その関係が徐々に明らかになるとともに、ぐんぐん引き付けられて行った。

 舞台はアングロサクソンが覇を確立する前のイギリス。ケルト系の先住民ブリトン人の英雄アーサー王が、それまで破竹の勢いだった後発移住民・侵略者サクソン人を武力と殺戮で押し返して、ブリトン優位の和平が成立している時代の話し。世の中には記憶が薄れるという奇病が発生している。その原因となるのが、荒涼たる山の巣穴に住まう雌竜の吐き出す息にあるらしい。生き別れた息子を探す旅に出たブリトン人の老夫婦。記憶は曖昧で二人の過去にあったどうやら重要な出来事もかすかな破片となって残るだけ。サクソン人の戦士と彼が救った少年、そのサクソン人に敵愾心を燃やすブリトン人の老騎士・アーサーの甥、が離れては絡まりつつ、雌竜探しの道をたどる。

 幾多の苦難を乗り越えってやつだ。この描写がスリリングでサスペンス感満載、ファンタジー冒険譚の王道だな。手に汗握り、我を忘れる。

 しかし、物語の面白さは、そのクライマックスに至り、一気に深く深刻なテーマへと流れ込む。雌竜を前にして奇しくも集まった3組の思いが交錯するシーンだ。じっくりじわじわとした独白にそれぞれの思いを受け止める。老騎士は実は雌竜を守るという密命を帯びていた。記憶を失わせる霧をいつまでも吐き出させ続けたいとの王の意思を受けてのことだ。ブリトン人の暴虐によって辛うじて成し遂げたサクソン平定を安泰に保つには、サクソン人から虐待の記憶を薄れさせ、憎しみや怒りの感情を忘れさせる必要があるからだ。一方、サクソンの戦士の目的は、雌竜を倒し、サクソンの民に虐殺の記憶を呼び戻し、憎悪と憤怒を湧き立てて、ブリトンへの反乱を企てることにある。老夫婦は、夫婦間のわだかまりを、過去を取り戻すことで解き放ちたい、三者三様の強い思いの中で、二人の戦士は戦う。

 どうだ、この仕掛けは!まさに今の時代が突き当り苦闘している課題そのものじゃないか。憎しみの連鎖が引き出す暴力の応酬!戦争とテロ!移民と排外勢力!部族間対立!民族浄化!コソボ!ソマリア!ルワンダ!パレスチナ!・・・・それら憎しみの連鎖を断ち切るには、記憶を失わせる雌竜の毒息が必要なのかもしれない。これはどうにもやりれない結論だ。人間は理性によって、この難問を乗り越えられないって認めることだ。そんな薬物依存みたいなことに人類の未来を託せと言うのか。

 カズオ・イシグロはもちろん、違う結末を提出する。サクソンの騎士は雌竜を射止める。社会は記憶を取り戻し、憎悪の交換と報復の日々の始まりが暗示される。暗い結末!だが、微かに託すのは、騎士の中に保たれているブリトン人への淡い共感だ。反発しあう人々、お互いの間にも心安らぐ記憶が残っていれば、それを頼りに復讐の応酬を超えられるのではないか。だめかもしれない。でも、それしか道はない、それが作者のたどり着いた終末のような気がする。

 プロローグ、海辺にたどり着いた老夫婦は対岸の島に渡ろうとする。しかし、その島は愛する者同士でないと、一緒には暮らせぬとの言い伝えがある。お互いの思いを掻き立てるようにして、愛を確認し、島へ渡ることを決意する。が、舟を出す船頭は、一人ずつしか乗せられぬと言う。船頭の強硬な言い分に折れて、まずは老妻が舟に乗り込み、夫は取り残されるのだが、・・・そこで物語は終わる。

 そうだ、思い出した!この本を読もうと思った動機だ。架空の世界に舞台を借りて、社会の避けて通れぬ課題を書いてみようと思っているからなんだ。その課題とは、歴史の歪曲、フェイクニュース、ポストトゥルース。いろんなヒントをもらった。重すぎるけど、とっかかりも手に入れた。後は、・・・

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遅いぜ!今ごろ阿久悠だなんて!

2018-01-05 09:55:38 | アート・文化

 今更悔やんだって仕方ねえんだが、遅れてんだよなぁ、俺。ロカビリーにゃ間に合わなかったし、ビートルズにのめり込んだんだって、70年代に入ってからだ。その後、パン屋の職人止めて岩手の大学で再出発してからも、テレビの無い生活、映画を見ない日々を長く過ごした。教員になってバブルを迎えても、こんなもん真っ当な人間は関わっちゃなんねえって生徒には激しく伝え続けたし、派遣会社の求人にゃ絶対応じるなって、まっ、ここらは時代をかなり的確に掴んでた気がするが、人生通して見りゃ、その時々の風向きとか温度とかにゃとんと無頓着だった。

 このつけが、今、数十年越しのボディブローとして効いてるんだよなぁ。映画にしたって音楽にしたって、時々の名作、ヒット作は名前は知れども触れたことなし。ただ趣味のまにまに暮らすだけなら、これでなんも障りはないんだが、台本書いて、舞台作るとなると、こいつぁかなり痛い。最近はちょっと近過去ものを手掛けるようになってるんで、なおさらだ。

 菜の花シニア団に書いた、今時シニアの同級会もの『Goodnight Baby』なんて、山本リンダで始まり、ザ・キングトーンズで終わる。その合間を70年代のヒット曲と聞きなれたCMコピーで埋め尽くすなんて荒業を、ただただネットの情報を頼りに乗り切った。昨年の『にゃん婆と時之助』だって、ネットを渡り歩いて出会ったテゴマスの『ネコ中毒』が決め手になった。この先も昭和、平成には果敢にぶつかっていきたいって野心を持ってるんだが、世情に疎い文化空白期間の存在はこれからも大きな障害になんだろうぜ。

 で、何が書きたいか?ってぇと、阿久悠に出会っちまったんだよ、ようやくにして!って話しよ。去年の秋ごろかな、NHKBSの岡田准一が司会進行する「プロファイラー」って番組、歴史的人物をいくつかの視点から焦点を当てて浮き上がらせるって仕組みで、コメントするのが学者や評論家、も、居るが、主体じゃなく歌手や俳優だったり、要するに取り上げる人物の専門家、研究者でない素人ってところがミソなんだ。そのやり口は功罪相半ば、ってところで、素人の勝手な思い込みに、そりゃおまえの好みだろ!なんて突っ込み入れたりもするんだが、ベースとなる人物調査に関しては、多面的に掘り下げられていてなかなか見ごたえがある。これまでのものじゃアルゼンチンの大統領ペロンの妻「エビータ」の回とか、「モハメッド・アリ」なんか実に見ごたえがあった。

 おっと、今回は「阿久悠」だ。放映されてから数か月?年末になってようやくビデオ録画を見た。あんまり期待しちゃいなかったんだ、売れっ子の作詞家だろ、どうせ、上手に時代を泳いだ奴だろが、って。ところがだ、見て驚いた。たしかに時代の波には乗った、でも、その波乗りの覚悟たるや思想家とさえ呼べるほどのもんだったんだ。常に、時代を読み切って、その先を切り拓く。例えば、山本リンダの「狙い撃ち」、阿久悠は受け身の女、堪える女、忍ぶ女、歌謡曲の定番をひっくり返す女を書きたかったってことなんだ。2番、「女ひとりとるために いくさしてもいいじゃないの それで夢がかなうなら お安いものだとおもうでしょう・・・」挑発する女、自信に溢れる女、男を手玉にとる女!初期のヒット作森昌子の「先生」。これも当時広がってたデモしか先生ムードをひっくり返したくて、いつまでも心に残る先生を書きたかったんだってことなんだ。

 常に、鋭敏なアンテナを張り、時代の精神をキャッチし、関わり続けること、それを、世の大勢におもねることなく自分なりの視点で切り取ること、しかも、それをヒット曲という形で問い続けた、そんな男だったんだ。他にも、「また逢う日まで」「あの鐘を鳴らすのはあなた」「ジョニーへの伝言」「北の宿から」「ペッパー警部」「青春時代」「津軽海峡冬景色」「勝手にしやがれ」「UFO」「「舟歌」「もしもピアノが弾けたら」・・・きりないな。

 時代とともに心傾けた言葉への強い思い、それがサザンオールスターズの調子の良さで連ねられる「渚のシンドバット」に敗れた時、阿久悠の「時代おくれ」(河島英五)は明白となって失意のうちに小説家に転身していった。

 これ、学ばにゃならんだろう!時代を見据える視線、尖った言葉を書き続ける意思、メジャーでありきる力量、言葉へのこだわり。遅ればせながら、彼が突っ走った道を恥を忍んでたどってみようと思ったんだ。彼の曲にもこの先きっとお世話になることだろうし、ちょっとは彼の足跡を見知っておこう。

 さっそく買い込んだ阿久悠本、数冊。きっと得るものがぎっしり詰まってる気がしてるのさ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする