ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

ノーベル賞の実力!カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』

2018-01-15 09:21:05 | アート・文化

 ノーベル賞取ったからって読んでみっか、なんて素直な感覚、無縁だぜ。どっちかっ言やぁ、受賞者?ふん、知るかい、ってひねくれ者だ。それに、カズオ・イシグロにゃぁちっとばっかし因縁あるしな。ってたってこっちの勝手な言いかがりなんだが。

 『わたしを離さないで』、彼の代表作の一つだ。臓器移植用に育てられている人間を描いたものだが、このテーマ、彼より早く僕も舞台に仕上げていたんだ、『マザレスチャイルド』高校演劇だけど。富裕な階層が子供生まれると同時に我が子のクローンを作り、それを移植用人間・動物として飼育するって社会を書いた。

 いや、何も先陣争いをする気は無くて、問題は、イシグロの描き方なんだ。こんな特殊な人間が隔離されることなく同じような文化・教養を与えられて育てられてる、って設定、ナンセンスだろ。必要最小限、健康な肉体であればいいわけだから、知性なんて論外、なまじもの考えられたら、移植の際に困るじゃないか、ってことは動物のように隔離して育てるはずだ、ってこと。それと、どうでもいいこと、やたらだらだら書いて、いい加減本題をはっきりさせろよって苛立ちもあった。だから、こいつぁ駄作だ!と今でも思っている。

 へぇ~、ノーベル文学賞もらったんだ、って冷ややかに見ていたんだが、何気なく彼の著作一覧見てたら、『忘れられた巨人』があって、ファンタジーだって紹介してあんじゃないか。おっ、それならちょっと興味あり、授賞式で長崎や平和のこと語ってもいたし、読んでみてもいいか。

 前半は、案の定、良く言やぁ丁寧な、言っちまえばまどろっこしい展開。飽きそうになった、が、この程度読み通せなくちゃ老化も極まれりだ、って分けのわからん叱咤激励して読み進んだ。後半になり、主な登場人物がすべて姿を現し、その関係が徐々に明らかになるとともに、ぐんぐん引き付けられて行った。

 舞台はアングロサクソンが覇を確立する前のイギリス。ケルト系の先住民ブリトン人の英雄アーサー王が、それまで破竹の勢いだった後発移住民・侵略者サクソン人を武力と殺戮で押し返して、ブリトン優位の和平が成立している時代の話し。世の中には記憶が薄れるという奇病が発生している。その原因となるのが、荒涼たる山の巣穴に住まう雌竜の吐き出す息にあるらしい。生き別れた息子を探す旅に出たブリトン人の老夫婦。記憶は曖昧で二人の過去にあったどうやら重要な出来事もかすかな破片となって残るだけ。サクソン人の戦士と彼が救った少年、そのサクソン人に敵愾心を燃やすブリトン人の老騎士・アーサーの甥、が離れては絡まりつつ、雌竜探しの道をたどる。

 幾多の苦難を乗り越えってやつだ。この描写がスリリングでサスペンス感満載、ファンタジー冒険譚の王道だな。手に汗握り、我を忘れる。

 しかし、物語の面白さは、そのクライマックスに至り、一気に深く深刻なテーマへと流れ込む。雌竜を前にして奇しくも集まった3組の思いが交錯するシーンだ。じっくりじわじわとした独白にそれぞれの思いを受け止める。老騎士は実は雌竜を守るという密命を帯びていた。記憶を失わせる霧をいつまでも吐き出させ続けたいとの王の意思を受けてのことだ。ブリトン人の暴虐によって辛うじて成し遂げたサクソン平定を安泰に保つには、サクソン人から虐待の記憶を薄れさせ、憎しみや怒りの感情を忘れさせる必要があるからだ。一方、サクソンの戦士の目的は、雌竜を倒し、サクソンの民に虐殺の記憶を呼び戻し、憎悪と憤怒を湧き立てて、ブリトンへの反乱を企てることにある。老夫婦は、夫婦間のわだかまりを、過去を取り戻すことで解き放ちたい、三者三様の強い思いの中で、二人の戦士は戦う。

 どうだ、この仕掛けは!まさに今の時代が突き当り苦闘している課題そのものじゃないか。憎しみの連鎖が引き出す暴力の応酬!戦争とテロ!移民と排外勢力!部族間対立!民族浄化!コソボ!ソマリア!ルワンダ!パレスチナ!・・・・それら憎しみの連鎖を断ち切るには、記憶を失わせる雌竜の毒息が必要なのかもしれない。これはどうにもやりれない結論だ。人間は理性によって、この難問を乗り越えられないって認めることだ。そんな薬物依存みたいなことに人類の未来を託せと言うのか。

 カズオ・イシグロはもちろん、違う結末を提出する。サクソンの騎士は雌竜を射止める。社会は記憶を取り戻し、憎悪の交換と報復の日々の始まりが暗示される。暗い結末!だが、微かに託すのは、騎士の中に保たれているブリトン人への淡い共感だ。反発しあう人々、お互いの間にも心安らぐ記憶が残っていれば、それを頼りに復讐の応酬を超えられるのではないか。だめかもしれない。でも、それしか道はない、それが作者のたどり着いた終末のような気がする。

 プロローグ、海辺にたどり着いた老夫婦は対岸の島に渡ろうとする。しかし、その島は愛する者同士でないと、一緒には暮らせぬとの言い伝えがある。お互いの思いを掻き立てるようにして、愛を確認し、島へ渡ることを決意する。が、舟を出す船頭は、一人ずつしか乗せられぬと言う。船頭の強硬な言い分に折れて、まずは老妻が舟に乗り込み、夫は取り残されるのだが、・・・そこで物語は終わる。

 そうだ、思い出した!この本を読もうと思った動機だ。架空の世界に舞台を借りて、社会の避けて通れぬ課題を書いてみようと思っているからなんだ。その課題とは、歴史の歪曲、フェイクニュース、ポストトゥルース。いろんなヒントをもらった。重すぎるけど、とっかかりも手に入れた。後は、・・・

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 22時は映画タイム! | トップ | シニア演劇、いかが? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

アート・文化」カテゴリの最新記事