高校生の時、憧れの美少女の家を訪ねたことがあった。
家?いえいえ、ってダジャレで遊ぶな。
店だよ、喫茶店だ。
狭い小路をびくびくしながら探した、右も左も間口1間くらいのスナックや飲み屋、どう見たって、その先は妖しい世界につながってる。
新宿ゴールデン街!そのど真ん中にあったんだ、そりゃビビるだろ高校生なら。

すでに売春防止法施行の後とは言え、まだまだ、赤線、青線地帯との噂も流れるいかがわしい?地域、初心な高校生には近づき難いよなぁ。
そのときめきの時、どんなこと話したか、コーヒーは出たのか、どれほどの時間だったか、さっぱり記憶がない。息をひそめる飲み屋の連なりと、そこで暮らす同級生との世界の違いに圧倒されたことだけが、はっきりと脳内映像として残っている。
少女の家は、喫茶店だけで生計が立たなかったのか、神田に小さな寿司屋も出していて、学校の休みの時は彼女も店に出ていた。
ここも訪ねたことがある、卒業後のことだが。
落ち着いた身ごなし、てきぱきと注文を取る言葉使いの中に、あまりにかけ離れた大人を見て、憧れは畏怖に変った。崇拝し続けるにはあまりに遠く高みの女性だった。
片思い、あえなく終焉。
世間知らずの高校生を不様に跳ね飛ばした新宿ゴールデン街が今や人気スポットになってるんだって。
その後芝居を見に行ったおり、入り口から覗いただけだが、あのどこかかび臭いよな裏サビた感じはなくなっていたな。あるいは、生き生きと活気づく夜だったからかもしれないけど。
なんか、時代がさらに回って、こういう一筋縄でいかない世界、暮らしや生身の肉体やその体臭が人々の郷愁をそそるようになってきたんじゃないかな。
大久保のコリアンタウンに群がる若者たちを見ても、そう感じる。
都市開発とかでそそり立つ高層ビル、その中にちんまり居場所を与えられたこじゃれたカフェやレストランやブランド店、そんなところをそぞろ歩くことにむなしさを感じ始めたんじゃないか。使える金もないし!
所詮は大手ディベロッパーの手の内で転がされてるだけのことだ。なけなしの収入つぎ込んで、センス高い系に背伸びするのも飽きて来た。むしり取られるだけの存在だってことに気付いちまったから。
見掛けの瀟洒さより、街や商店の息遣いが直に感じられ、安い支出で大きな満足が得られるそんな街並みこそが魅力的だ、30年来の貧窮化とともに、人々はようやく気取った暮らしの底の浅さに気付きつつあるんだと思う。
それは、近代の繁栄に翻弄され続けて来たジジイにとっても、昭和のノスタルジーとして甦ってきたってことだ、ゴールデン街の美少女の残像とともに。