泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

「Stones」の稽古場から

2015-04-17 15:38:08 | 丹下一の泡盛日記

昨日、「Stones」の稽古場に佐藤圭一さんが参加。
シェイクスピア朗読会で10年以上ご一緒している。
そこではリュートを弾いているのだけど、実は中東音楽の専門家でもある。
西欧のリュートや東洋の琵琶のルーツでもあるウードを弾いていたバンド「おしゃれジプシー」の曲を「サロメ」を演出した時に使わせてもらったりしている。
この頃は「桜の森の満開の下」で、今回も使うラ(ル)バーブを弾いてもらっている。
一音が発せられた瞬間に世界が変わる、すごいよなあ。


稽古後、井村昂さんのお宅へ。
3月末の「葉衣」でご一緒した男子たちと鍋で宴会。
白菜とえのきに日本酒抱えて到着♪
彼らは映画学校の出身者たち。
学生時代の舞台のビデオも見せてもらう。

気がつくと結構な時間。
辞して終電に乗ったまではよかった。
ふと目が覚めると、「!!!」。
すぐに反対方向に戻る終電に乗り、地図で横浜に一番近い位置にある駅で降りた。
そして、もちろんそこから横浜に向かって歩き出すのである。
15キロくらい歩いたのだろうか。
途中で大事な小道具もしっかりゲットした。
始発で帰宅。爆睡したのはいうまでもない。。。
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「伝承」があっての「伝統」

2015-04-14 11:15:28 | 丹下一の泡盛日記
テレビで有名な骨董屋の主人が「伝統と伝承」ということばを使っていた。
「伝承」は長い間受け継がれて来た技術。
「伝統」はその技術を使って今の時代に何を打ち出していくのか、だと。
その通りだと思う。
シンガポールのディック・リーが「伝統はスピリット」だと言っていた事にも通じる。
能の観世寿夫さんも「古典も現代劇も今の時代に上演されているのなら全部”現代劇”」と書いている。
小さな「伝承」しか持ち合わせてないが「伝統」への思いは小さくはない、つもりだ。
昨日の横田ゆうわさんのインド舞踊は26年間に渡る修業の成果として大きな「伝承」を持ち、そして「伝統」を強く感じる舞台だった。
なにも外側でなにかを「新しく」しているわけではない。
そんな表層的なパフォーマンスはたくさん見てきた。
昨夜のように深いところと繋がっている素晴らしいものもたくさん見てきた。
23日のパフォーマンスへ向かってどんどんプレッシャーが(-_-;;;
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横田ゆうわさんのバラタナティヤム、素晴らしかった!

2015-04-14 02:04:17 | 丹下一の泡盛日記
週末は劇場でお仕事。
豪華なお弁当に舌鼓。


月曜日の今日、4月23日のキッド・アイラック・アートホールの稽古。
タイトルは「Stones」とした。
なんでそんなタイトルなのか、現場で確認して下さいませ♪
別に大好きなローリングストーンズとは関係ない。
なんだ、そのものじゃん! って言われる事だろう。


稽古が終わると南青山へ。
1989年の早稲田銅鑼魔館のインドツアーに参加した横田ゆうわちゃん、女優からインド舞踊家に転身。
長野県で暮らしているが舞踊家が集まってのフェスに参加。
旅をご一緒した野田貴子さんも。
パフォーマンスを見るのも、お会いするのも26年ぶりか。

素晴らしいパフォーマンスだった。
フォルムの正確さも素晴らしいのだけど、その繰り返しの中で「法悦」を感じられる世界に入って行く。
3本踊った最後のダンスでは隣で見ていた観客が「あ、シバ(神)!」と小声で叫んだ。
ゆうわちゃん、凄いなあ!
冷たい雨の中、出かけて行って本当によかった♪
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稽古スタート

2015-04-10 14:13:43 | 丹下一の泡盛日記

明らかに塩分多すぎのお昼ご飯♪

昨日、4月23日のヒグマさんの映像インスタレーションでのパフォーマンスの稽古初日。
ばくちゃん(上田貘)と久しぶりのセッションは、橋本識帆ちゃんも加わってとても楽しかった。
もちろん布団の中で妄想したような場面は、実際にやってみるとうまくいかなかったりする。
そして、初発に湧いたイメージはやはり「正解」だ。
タイトルも「Stones」と浮かんだ。
そして久しぶりにがっちり身体を動かして汗もかいた後のビールは美味しすぎてききすぎた(-_-;;;

それにしてもこの頃の株価の「バブル」な上昇が恐ろしい。
アメリカに追随して世界から取り残されそうな日本でバブルがはじけたらどうなるんだろう。。。
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アーカイブス

2015-04-09 00:55:48 | 丹下一の泡盛日記
このところ、ずいぶんと前の舞台の事をたくさん思い出している。
以前は劇団のために記録を取っていたが自分のこととなるとさっぱりで。
20年以上も前の公演になると、大事に思っている舞台でも上演された年まで不明になってしまうのだから困ったもんだ。
長い間1987年だと思っていた公演が1988年のものだと判明した(-_-;;;

2000年~09年は演劇公演は少なくなっているのだけど、プレイバッカーズのパフォーマンスの回数が半端じゃない。
「いつどこで」は手帳に書いてあるのだけど、アクターだったかミュージシャンだったか。テーマは何だったのかなんて全く不明。
それとシェイクスピア朗読会もたくさん。1月に3回、3週連続で、なんてのもある。

そして、2010年の舞台でご一緒した若い役者の名前がすでにわからなくなったりしている。
ホームページ作ってアーカイブス部屋を作らないといけないのかなあ。。。

2009年以降にがらりと様子が変わるのは、その夏に台湾でアジアのアーティストたちと一緒にイスラエルの演出家のワークショップを受け、交流した事が大きい。
その年の12月には香港に飛び、香港で初めてワークショップをさせてもらった。
一念発起して、でぶでぶになった身体をがっちり絞ったのも懐かしい。
プレイバッカーズでもミュージックトレーニングやっていたもんな。
明日から4月23日の稽古に入る。
一度、頭の中で最後まで出来上がったのだけど、ある一つのタームを除いてはほとんど「却下」。
さて、明日からどうなるかな♪
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またワルシャワでビール飲みたいな

2015-04-07 20:12:13 | 丹下一の泡盛日記
この2日間「だらだら」と過ごしている。
いや、もちろん頼まれた資料は2日前に作成終了。
稽古場を押さえ支払いに出たり、家事もそれなりに。
なのにだらだらした気持ちになるのは、録画した映像を見続けているせいだろうか。
珍しく映画を2本みた。
日本のものは20分で止めて削除してしまった。
英語のものは、途中で飽きてしまったが英語の勉強のために、日本語なのを何度も止めては英語にして繰り返しみた。
多分、美しい女優さんがたくさん出ていたからだろう。
英語の勉強以外に見続けた理由が見当たらない。
台湾のドキュメンタリーは保存版だと思ったし他にも色々。
芝居の映像も見た。
なんせ日曜日と火曜日はとても遅く、というか夜明けまでかかって何本も録画した映像を見ていたのだ。
なのになんだか「だらだら」していた気持ちになるのは、それらの「映像」がまったくもって右脳に訴えてこなかったからかもしれない。

国際演劇年鑑が届く。
それで、ヴォイチェク・クルコフスキさんが昨年亡くなった事を知った。
1995年~99年と毎年ポーランドをツアーしたが、ワルシャワの現代アートセンターの館長だった彼には大変にお世話になった。
その辺の劇場の舞台寸法がそのまま取れるくらい広いセンターのパフォーマンス・スペースでツアー前のリハーサルを何度もやらせてもらった。
ルブリンの演劇祭で彼が主宰するアカデミア・ルフ(光)のパフォーマンスを見た。
舞台を斜めに横切るように設置された巨大な赤い壁の前を横切って行く様々なパフォーマンスは、今も記憶に刻み付けられている。
温厚で信念を感じさせる人だった。
70歳で、とは本当に残念だ。

合掌。

そういえばこのアートセンターのカフェはお気に入りの空間のひとつ。
10年以上前になるが、一番下の弟を連れて行った事があった。
二人で夕方のワルシャワの空を見ながらビールを飲んだ。
またあそこでEB=ポーランドのビールを飲むべし。
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あーでんの森散歩道 観劇日記

2015-04-06 15:13:20 | 丹下一の泡盛日記
昨夜、江戸馨さん宅での花見の会の宴席で、増留俊樹さんが「Hamlets/ハムレッツ」の事が書かれていますよ、とコピーを渡して下さった。

高木登 観劇日記
http://members2.jcom.home.ne.jp/0132012801/2015/2015_13.html

高木登さんは、シェイクスピア朗読会にも通い続けて下さったシェイクスピア大好きな方。
ご自身たちでも勉強会をされていて、そこに出かけて行って朗読会をさせていただいた事もある。
原文も勉強されている会なので、江戸さんが原文(16世紀の英語)でティターニア、自分が江戸さん訳のオーベロン、なんて場面もやらせていただき、実に楽しい体験になった。
この文章にも励まされる。
ありがとうございました。


お昼ご飯はトマトラーメン。
トマトをミキサーにかけるのが手間だが、美味しくて我が家の定番になりつつある。
今日は隠し味に人参とショウガをすりおろして加え、椎茸を入れた。
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井上さんの「変身」ーー「舞台人」の神髄にふれた

2015-04-06 14:53:32 | 丹下一の泡盛日記
昨日、井上弘久さんの朗読演劇と名づけられた独り舞台、カフカの「変身」を観た。
正確に言うとウッドベースといくつかの音具を使うミュージシャンの吉田水子さんとのデュエットのような。
素晴らしかった。
休憩を挟んで2時間半と長いパフォーマンス。
「朗読」というが原作のことばを(若干のテキストレジはあるものの)すべて覚えて演じた。
「変身」を読んだのは高校生の頃だったが、井上さんの身体を通して紡ぎだされる「ことばたち」を聴きながらどんどん場面を思い出している。
本を読むよりも鮮明に「変身」のことばと世界が身体に迫ってくる。
さすが井上さんだ。

この頃「俳優」に二通りあるような気がしている。
世間で「俳優です」と言うと「いつテレビに出るんですか?」と問われたりするように、カメラの前で演技する「俳優」がいる。
周りを様々な機械に囲まれている。
アップになったり引きになったり、機械に「助けられて」場面を創る仕事。
もちろん技術も含めて大変な仕事だと思う。
そして、舞台俳優/役者という、人前に身体だけで立って時間を紡ぎだす「俳優」。
この両者は全く別の作業に思えるようになってきた。
ただ、最近の若い「舞台俳優」たちはなんだか専門職のようになっていて、照明や音響、大道具の体験がなかったりして驚く。
井上さんのように様々な事を体験、経験して来た人と区別したいとも思うくらいだ。
総合的に、そして全身で「演劇」と向かい合っている井上さんのような人は、舞台人とか演劇人、と呼べばいいのだろうか。
そういえば芥正彦さんは「演劇家」と自称していたっけ。
たんに「俳優」と言いたくない。
そんな舞台人の神髄を見せていただいた公演だった。



その後、江戸馨さんのお宅へ。
恒例の花見の会。
着いたのがだいぶ夜遅くだったので一人で公園で夜桜見物。
「江戸組」の役者たちに夫の作家・奥泉光さんも加わりわいわいと楽しい時間だった。
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沖縄県民を「国民」だと思っているのだろうか?

2015-04-05 12:45:46 | 丹下一の泡盛日記
沖縄県知事と官房長官の辺野古の基地建設問題についての会談の様子をテレビのニュースで見た。
辺野古への「移転」が宣言されたときから、政府からの一方的な「暴力」が、吹き荒れている。
成田空港が建設されたときの事を思い出す。
一方的な通知と実力行使。
それがあれほどの抵抗にあるとは国側は事前に考えていなかったのではないか。
それと同じ事が繰り返されている。
成田空港では土地を取り上げられる事になった農民が抵抗したが、今回は沖縄県知事を筆頭に県をあげて抗議・抵抗している。
ようやく国側が「話し合い」に応じたのだけど、平行線というよりも「通告」のように見える。
官房長官の発言によると政府は米国と「議論を重ねて来た」そうだが、ようするに米国側から「通告」と「指示」を何度も受けてきたのだろう。
それを「県」に「通告」している。
この官房長官には中間管理職の苦悩が見えない。
宗主国の意向に逆らえないが、どうしたら「落とし処」を見つけられるのか、という自分の国、国民に対する思考回路が見えない。
米国の側に立っている虎の威を借りる狐。
それだけではない。
そもそも沖縄県民を日本国民だと思っているのだろうか?
「国」と「県」の関係ではなく、「植民地」から県に「昇格」させ(てあげ)た旧琉球王国=属国との認識なのではないか。
在韓米軍を縮小する事に成功した韓国がうらやましい。
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なつかしいチラシたちと再会

2015-04-03 14:30:09 | 丹下一の泡盛日記
昨日、萬劇場で橋和久くんが演じる坂本龍馬をみた。
ほんと、かっこいい男はいいなあ。

そしてこの劇場は大学同期のOの家まであるいて1分の場所なのだった。
彼らは新宿時代はご近所で、よく行き来をしていた。
東京育ちの友人たちも自分を含めてみんな「県民」になった今も都内で暮らしている。
生まれたときから知っている娘のCちゃんも成人して美大に入学。
ビール飲みつつ楽しい時間は、気がつけば終電をとうにすぎている。


Oがファイルを出して来てみせてくれた。
見た芝居のチラシやチケットを全て保存してある。
1979年の自分の舞台のものも。

タイニイアリスでの前回は2000年の10月だと判明。
彼は自分が出したDMや手紙も保存していた。
周囲には伝えていない時期に「劇団を離れる」と伝えている。
たくさんの懐かしいチラシやチケットと再会。


帰宅してトマトラーメン。
初めてつくった。
これは美味い!
我が家の定番になりそうだ。
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