泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

窪島誠一郎さんと早川誠司さんの「対談」

2024-08-23 22:40:49 | 丹下一の泡盛日記
夕方、連れ合いの車でアトリエ第Q藝術へ。
今はなきキッド・アイラック・アートホールのオーナーで現在は信州上田市で無言館や残照館を運営している窪島誠一郎さんと、キッドからスタートして第Qを立ち上げた早川誠司さんの対談。
小劇場は今、どう時代と向き合うべきか、を問いかけ続ける窪島さんと言葉少なに自分の「気持ち」を誠実に伝えようとする早川さんの噛み合っていないようで、実は何かが明確に受け継がれている「会話」が嬉しかった。
自分も早稲田小劇場が利賀村に移転した後の土地に1978年に建てられた早稲田銅鑼魔館を企画運営する劇集団流星舎に参加したことが、この世界に足を踏み入れた最初で。
その後、幾つもの小劇場、小空間の変遷を、時には立ち会いながら見つめてきた。
その仕事で食べている「職人」が好まれる日本で、アングラや小劇場の舞台に衝撃を受けてきた自分には、経済的に恵まれた専門従事者だけが「プロ」と呼ばれることが残念だ。
その価値観で言うならば、ゴッホはアマチュアでプロの画家ではない、と。極貧の中、酒場のピアノ弾きで作曲を続けたエリック・サティもピアノ弾きだけど作曲家ではない、と。
宮沢賢治もサンテグジュ・ペリも、そして築地の市場でアルバイトをしながら世界中で素晴らしい舞台作品を上演し続けた天井桟敷や転形劇場のあのすごい役者たちも、み〜んなただのアマチュア俳優たちである、と。
今日の対談では、もう資本主義的な商品説明としての「雄弁」はいらないという発言(個人的解釈です)も。強く同感。
だって作品が全てなのであって、商品説明がなぜ必要なのかは、本当に再考が必要だ。
自分は職人の技が生かされた「工芸品」を卑下しているわけでは決してない。ああ、美しい、と思う工芸品は国内のみならず世界中でたくさん出会ってきた(美術館の中も含めて)。
その上で「アート」とは何か。「アート」と出会うことの素晴らしさ、を再考すべし、と考えさせられた素晴らしい対談だった。
コメント
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