昨日、久しぶりに霞ヶ関ビルを見た。僕が小学生の頃完成し、当時日本一の高層ビルとして誇らしげに建っていた。杉並区の小学5年生だった僕もあこがれのまなざしで見ていた。
その年の秋、父の仕事で突然長崎に。東京で育ったので、初めての地方都市、初めての人たちにどきどき。
図工の時間で、みんなが絵を描いていた。色あざやかな龍の横に黄金の玉。よくわからない物体たち。どれこもこれも極彩色で、色が踊りだしているようだった。
絵のテーマは「長崎のお祭り」。長崎には、日本3大祭りの一つ「おくんち」があった。(ちょうどお祭りが終わった頃に転校してきたのだ)
自分は、もちろん「おくんち」と聞いてもちんぷんかんぷん。先生は「じゃあ東京の絵を描いてごらん」と。その時、僕には東京を代表する風景が全然浮かばなかった。そして、霞ヶ関ビルと首都高速を描いた(きっと何かの写真を持ってきて模写したんだと思う)。それが長崎にはないものだったからだと思う。
僕の絵は、全部が灰色でところどころが黒。空まで曇り空だった。まわりの子たちが描くいのちがあふれるエネルギッシュな絵とは正反対。絵の中の霞ヶ関ビルは、ただの灰色の固まりでまるで墓石だった。
それから1年、「おくんち」ということばが頭から離れなかった。翌年の秋、父は僕たち兄弟を学校を休ませて、連れて行ってくれた。お旅所の最前列の特等席で見たそれは、次から次へと様々な出し物が繰り出され、あっという間に僕を興奮の渦の中に引きずり込んだ。
全国的に有名な中華街の蛇踊り。「傘ぼこ」「こっこでしょ」などなど。いつの間にか、「もってこ~い!」(アンコールの掛け声)を叫び続けている自分がいた。
昨日、曇り空の下から見上げた霞ヶ関ビルは、たくさんの高層ビルに囲まれてひっそりと、そして誇りを持って建っていた。ここに建ち続けることが自分の仕事と言っているようで、ちょっと好きになった。
その年の秋、父の仕事で突然長崎に。東京で育ったので、初めての地方都市、初めての人たちにどきどき。
図工の時間で、みんなが絵を描いていた。色あざやかな龍の横に黄金の玉。よくわからない物体たち。どれこもこれも極彩色で、色が踊りだしているようだった。
絵のテーマは「長崎のお祭り」。長崎には、日本3大祭りの一つ「おくんち」があった。(ちょうどお祭りが終わった頃に転校してきたのだ)
自分は、もちろん「おくんち」と聞いてもちんぷんかんぷん。先生は「じゃあ東京の絵を描いてごらん」と。その時、僕には東京を代表する風景が全然浮かばなかった。そして、霞ヶ関ビルと首都高速を描いた(きっと何かの写真を持ってきて模写したんだと思う)。それが長崎にはないものだったからだと思う。
僕の絵は、全部が灰色でところどころが黒。空まで曇り空だった。まわりの子たちが描くいのちがあふれるエネルギッシュな絵とは正反対。絵の中の霞ヶ関ビルは、ただの灰色の固まりでまるで墓石だった。
それから1年、「おくんち」ということばが頭から離れなかった。翌年の秋、父は僕たち兄弟を学校を休ませて、連れて行ってくれた。お旅所の最前列の特等席で見たそれは、次から次へと様々な出し物が繰り出され、あっという間に僕を興奮の渦の中に引きずり込んだ。
全国的に有名な中華街の蛇踊り。「傘ぼこ」「こっこでしょ」などなど。いつの間にか、「もってこ~い!」(アンコールの掛け声)を叫び続けている自分がいた。
昨日、曇り空の下から見上げた霞ヶ関ビルは、たくさんの高層ビルに囲まれてひっそりと、そして誇りを持って建っていた。ここに建ち続けることが自分の仕事と言っているようで、ちょっと好きになった。