和銅元年戊申
天皇御製謌
標訓 和銅元年(七〇八)戊申(ぼしん)に、天皇の御(かた)りて製(つく)らせし謌
集歌七六
原文 大夫之 鞆乃音為奈利 物部乃 大臣 楯立良思母
訓読 大夫(ますらを)し鞆(とも)の音(おと)すなり物部の大臣(おほまえつきみ)盾立つらしも
私訳 立派な武人の引く、弓の鞆を弦がはじく音がする。きっと、物部の大臣が日嗣の大盾を立てているでしょう。
御名部皇女奉和御謌
標訓 御名部(みなべの)皇女(ひめみこ)の和(こた)へ奉(たてまつ)れし御りし謌
集歌七七
原文 吾大王 物莫御念 須賣神乃 嗣而賜流 吾莫勿久尓
訓読 吾(わ)ご大王(おほきみ)物(もの)な念(おも)ほし皇神(すめかみ)の嗣ぎに賜へる吾れ無けなくに
私訳 吾らの大王よ。御心配なされるな。貴女は皇祖から日嗣としての立場を賜られたのです。それに、貴女をお助けする吾らがいないわけではありませんから。
注意 この歌が詠われた段階では、元明天皇は即位していないために阿閇皇女と御名部皇女とは実の仲の良い姉妹関係として二人は了解していると解釈しています。
和銅三年庚戌春二月、従藤原宮遷于寧樂宮時、御輿停長屋原遥望古郷御作謌
一書云 太上天皇御製
標訓 和銅三年(七一〇)庚戌の春二月、藤原宮より寧楽宮に遷(うつ)りましし時に、御輿(みこし)を長屋の原に停めて遥かに古き郷(さと)を望みて御(かた)りて作らせる歌
ある書に云はく、太上天皇の御りて製らししといへり
注意 「長屋原」を標準解釈は奈良県天理市西井戸堂付近の山辺道を想定しますが、この時代、大和川の水運を使いますから、本書は平城京の船着場となる奈良市二条大路南の佐保川の長屋原を想定します。
集歌七八
原文 飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武
訓読 飛ぶ鳥し明日香の里を置きに去(い)なば君しあたりは見ずそかもあらむ
私訳 あの倭猛命の故事ではないが、御霊の印である白千鳥が飛ぶ、その明日香の里を後にしてしまって、奈良の京へと去って行ったなら、貴方の新益京の辺りはもう見えなくなってしまうのでしょうか。
或本、従藤原宮亰遷于寧樂宮時謌
標訓 或る本の、藤原宮(ふぢはらのみや)の亰(みやこ)より奈良宮(ならのみや)に遷(うつ)りし時の歌
集歌七九
原文 天皇乃 御命畏美 柔備尓之 家乎擇 隠國乃 泊瀬乃川尓 船浮而 吾行河乃 川隈之 八十阿不落 万段 顧為乍 玉桙乃 道行晩 青吉 楢乃京師乃 佐保川尓 伊去至而 我宿有 衣乃上従 朝月夜 清尓見者 栲乃穂尓 夜之霜落 磐床等 川之氷凝 冷夜乎 息言無久 通乍 作家尓 千代二手来座 多公与 吾毛通武
私訓 天皇(すめろぎ)の 御命(みこと)畏(かしこ)み 柔(にき)びにし 家を置き 隠國(こもくり)の 泊瀬の川に 船浮けに 吾が行く河の 川隈(かわくま)し 八十隈(やそくま)おちず 万度(よろづたび) 顧(かへ)り見しつつ 玉桙の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い去(い)き至りに 我が宿(や)なる 衣(ころも)の上ゆ 朝(あさ)月夜(つくよ) 清(さや)かに見れば 栲(たへ)の穂に 夜し霜降り 磐床(いはとこ)と 川し氷(ひ)凝(ごほ)り 冷(さむ)き夜を 息(やす)むことなく 通ひつつ 作れる家(いへ)に 千代(ちよ)にて来ませ 多(おほ)つ公(きみ)よ 吾も通はむ
私訳 天皇のご命令を畏みて慣れ親しんだ家を藤原京に置き、亡き人が籠るという泊瀬の川に船を浮かべて、私が奈良の京へ行く河の、その川の曲がり角の、その沢山の曲がり角で、すべて残らず、何度も何度も振り返り見ながら、御門の御幸を示す玉鉾の行程を行き、その日一日を暮らし、青葉の美しい奈良の都の佐保川に辿り着いて、私の屋敷にある夜具の上で、早朝の夜明け前の月を清らかに見ると、新築の屋敷を祝う栲の穂に夜の霜が降りて、佐保川の磐床に残る川の水も凍るような寒い夜を休むことなく藤原京から通って作ったこの家に、いつまでも来てください。多くの大宮人よ。同じように私も貴方の新築の家に通いましょう。
注意 原文の「千代二手来座 多公与」は、標準解釈では「二手」を両手の戯訓と解釈する関係から「千代二手尓 座多公与」と「来」を「尓」と変え、また句切れの位置を変更します。そして「千代までに、いませおほきみよ」と訓じます。
反謌
集歌八〇
原文 青丹吉 寧樂乃家尓者 万代尓 吾母将通 忘跡念勿
訓読 あをによし奈良の家には万代(よろづよ)に吾も通はむ忘ると念(おも)ふな
私訳 青葉も美しい奈良の新築の貴方の家には、いつまでも私も通いましょう。新都となった奈良の京の貴方の新築の家を忘れると思わないで下さい。
左注 右謌主未詳
注訓 右の歌の主(あるじ)、未だ詳(つばひ)らならず。
天皇御製謌
標訓 和銅元年(七〇八)戊申(ぼしん)に、天皇の御(かた)りて製(つく)らせし謌
集歌七六
原文 大夫之 鞆乃音為奈利 物部乃 大臣 楯立良思母
訓読 大夫(ますらを)し鞆(とも)の音(おと)すなり物部の大臣(おほまえつきみ)盾立つらしも
私訳 立派な武人の引く、弓の鞆を弦がはじく音がする。きっと、物部の大臣が日嗣の大盾を立てているでしょう。
御名部皇女奉和御謌
標訓 御名部(みなべの)皇女(ひめみこ)の和(こた)へ奉(たてまつ)れし御りし謌
集歌七七
原文 吾大王 物莫御念 須賣神乃 嗣而賜流 吾莫勿久尓
訓読 吾(わ)ご大王(おほきみ)物(もの)な念(おも)ほし皇神(すめかみ)の嗣ぎに賜へる吾れ無けなくに
私訳 吾らの大王よ。御心配なされるな。貴女は皇祖から日嗣としての立場を賜られたのです。それに、貴女をお助けする吾らがいないわけではありませんから。
注意 この歌が詠われた段階では、元明天皇は即位していないために阿閇皇女と御名部皇女とは実の仲の良い姉妹関係として二人は了解していると解釈しています。
和銅三年庚戌春二月、従藤原宮遷于寧樂宮時、御輿停長屋原遥望古郷御作謌
一書云 太上天皇御製
標訓 和銅三年(七一〇)庚戌の春二月、藤原宮より寧楽宮に遷(うつ)りましし時に、御輿(みこし)を長屋の原に停めて遥かに古き郷(さと)を望みて御(かた)りて作らせる歌
ある書に云はく、太上天皇の御りて製らししといへり
注意 「長屋原」を標準解釈は奈良県天理市西井戸堂付近の山辺道を想定しますが、この時代、大和川の水運を使いますから、本書は平城京の船着場となる奈良市二条大路南の佐保川の長屋原を想定します。
集歌七八
原文 飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武
訓読 飛ぶ鳥し明日香の里を置きに去(い)なば君しあたりは見ずそかもあらむ
私訳 あの倭猛命の故事ではないが、御霊の印である白千鳥が飛ぶ、その明日香の里を後にしてしまって、奈良の京へと去って行ったなら、貴方の新益京の辺りはもう見えなくなってしまうのでしょうか。
或本、従藤原宮亰遷于寧樂宮時謌
標訓 或る本の、藤原宮(ふぢはらのみや)の亰(みやこ)より奈良宮(ならのみや)に遷(うつ)りし時の歌
集歌七九
原文 天皇乃 御命畏美 柔備尓之 家乎擇 隠國乃 泊瀬乃川尓 船浮而 吾行河乃 川隈之 八十阿不落 万段 顧為乍 玉桙乃 道行晩 青吉 楢乃京師乃 佐保川尓 伊去至而 我宿有 衣乃上従 朝月夜 清尓見者 栲乃穂尓 夜之霜落 磐床等 川之氷凝 冷夜乎 息言無久 通乍 作家尓 千代二手来座 多公与 吾毛通武
私訓 天皇(すめろぎ)の 御命(みこと)畏(かしこ)み 柔(にき)びにし 家を置き 隠國(こもくり)の 泊瀬の川に 船浮けに 吾が行く河の 川隈(かわくま)し 八十隈(やそくま)おちず 万度(よろづたび) 顧(かへ)り見しつつ 玉桙の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い去(い)き至りに 我が宿(や)なる 衣(ころも)の上ゆ 朝(あさ)月夜(つくよ) 清(さや)かに見れば 栲(たへ)の穂に 夜し霜降り 磐床(いはとこ)と 川し氷(ひ)凝(ごほ)り 冷(さむ)き夜を 息(やす)むことなく 通ひつつ 作れる家(いへ)に 千代(ちよ)にて来ませ 多(おほ)つ公(きみ)よ 吾も通はむ
私訳 天皇のご命令を畏みて慣れ親しんだ家を藤原京に置き、亡き人が籠るという泊瀬の川に船を浮かべて、私が奈良の京へ行く河の、その川の曲がり角の、その沢山の曲がり角で、すべて残らず、何度も何度も振り返り見ながら、御門の御幸を示す玉鉾の行程を行き、その日一日を暮らし、青葉の美しい奈良の都の佐保川に辿り着いて、私の屋敷にある夜具の上で、早朝の夜明け前の月を清らかに見ると、新築の屋敷を祝う栲の穂に夜の霜が降りて、佐保川の磐床に残る川の水も凍るような寒い夜を休むことなく藤原京から通って作ったこの家に、いつまでも来てください。多くの大宮人よ。同じように私も貴方の新築の家に通いましょう。
注意 原文の「千代二手来座 多公与」は、標準解釈では「二手」を両手の戯訓と解釈する関係から「千代二手尓 座多公与」と「来」を「尓」と変え、また句切れの位置を変更します。そして「千代までに、いませおほきみよ」と訓じます。
反謌
集歌八〇
原文 青丹吉 寧樂乃家尓者 万代尓 吾母将通 忘跡念勿
訓読 あをによし奈良の家には万代(よろづよ)に吾も通はむ忘ると念(おも)ふな
私訳 青葉も美しい奈良の新築の貴方の家には、いつまでも私も通いましょう。新都となった奈良の京の貴方の新築の家を忘れると思わないで下さい。
左注 右謌主未詳
注訓 右の歌の主(あるじ)、未だ詳(つばひ)らならず。