竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集 集歌85から集歌90

2020年01月21日 | 新訓 万葉集
万葉集巻二

相聞
標訓 相聞

難波高津宮御宇天皇代 大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇
標訓 難波高津宮に御宇天皇の代(みよ)
大鷦鷯(おほさざきの)天皇(すめらみこと) 謚(おくりな)して曰はく仁徳天皇

磐姫皇后思天皇御作謌四首
標訓 磐姫(いはひめの)皇后(おほきさき)の天皇(すめらみこと)を思(しの)ひて御(かた)りて作(つく)らしし謌四首
集歌八五 
原文 君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行尓 待可将待
訓読 君し行き日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かに待ちか待たらむ
私訳 貴方が帰って往かれてからずいぶん日が経ちました。山路を越えて訪ねて迎えにいきましょうか、それともここでずっと待っていましょうか。
注意 原文の「迎加将行尓 待可将待」は、標準解釈では「迎加将行 待尓可将待」と校訂し、句切れの位置を変えて「迎へか行かむ待ちにか待たむ」と訓じます。
左注 右一首謌、山上憶良臣類聚歌林載焉。
注訓 右の一首の謌は、山上憶良臣の類聚歌林に載す。

集歌八六 
原文 如此許 戀乍不有者 高山之 磐根四巻手 死奈麻死物乎
訓読 かくばかり恋ひつつあらずは高山(かくやま)し磐(いは)根(ね)し枕(ま)きて死なましものを
私訳 このように貴方の訪れを恋焦がれているよりは、故郷の傍の香具山の麓で死んでしまいたい。

集歌八七 
原文 在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日
訓読 ありつつも君をば待たむ打ち靡く吾が黒髪に霜の置くまでに
私訳 このまま貴方の訪れを待っていましょう。豊かに流れる私の黒髪が霜を置いたように白髪になるまで。

集歌八八 
原文 秋田之 穂上尓霧相 朝霞 何時邊乃方二 我戀将息
訓読 秋し田し穂し上(へ)に霧(き)らふ朝霞(あさかすみ)何処(いつ)辺(へ)の方(かた)に我が恋やまむ
私訳 秋の田の稲穂の上に霧が流れ、朝霞が立つ。その朝霞がどこへ流れて行くのか、おぼつかない。そのようなおぼつかない私の恋。いついつも私の貴方を慕う気持ちには休まる場所もありません。

或本謌曰
標訓 或る本の謌に曰はく
集歌八九 
原文 居明而 君乎者将待 奴婆珠乃 吾黒髪尓 霜者零騰文
訓読 居(い)明(あか)しに君をば待たむぬばたまの吾(あ)が黒髪に霜は降るとも
私訳 貴方がいらっしゃるというので、貴方がいらっしゃるまで夜を明かして、いつまでも貴方を待ちましょう。その貴方を待ち続けた私の黒髪が霜を置いたように白髪になったとしても。
左注 右一首古謌集中出。
注訓 右の一首は、古き謌の集(しふ)の中(うち)に出(い)づ

古事記曰、軽太子、奸軽太郎女。故其太子流於伊豫湯也。此時衣通王、不堪戀暮而追徃時謌曰
標訓 古事記に曰はく「軽(かるの)太子(ひつぎのみこ)、軽(かるの)太郎女(おほいらつめ)に奸(たは)く。故(かれ)、その太子を伊豫の湯に流す」といへり。此の時に衣通(そとほしの)王(おほきみ)、戀ひ暮らすことに堪(あ)えずして追ひ徃く時の謌に曰はく、
集歌九〇 
原文 君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待
訓読 君し行き日(け)長くなりぬ山たづの迎へを往(ゆ)かむ待つには待たじ
私訳 貴方の旅を行く日々は久しく長くなりました。山たづの枝葉が向い会うように、貴方を迎えに行きましょう。いつまでもここで待つことは、もう待ちません。
左注 此云山多豆者、是今造木者也
注訓 ここに、やまたづと云ふは、今の造木(みやつこぎ)なり
左注 右一首謌、古事記与類聚歌所説不同。謌主亦異焉。因檢日本紀曰、難波高津宮御宇大鷦鷯天皇廿二年春正月、天皇、語皇后、納八田皇女将為妃。時皇后不聴。爰天皇謌以乞於皇后云々。卅年秋九月乙卯朔乙丑、皇后遊行紀伊國到熊野岬取其處之御綱葉而還。於是天皇、伺皇后不在而娶八田皇女納於宮中。時皇后、到難波濟、聞天皇合八田皇女、大恨之云々。亦曰、遠飛鳥宮御宇雄朝嬬稚子宿祢天皇廿三年春正月甲午朔庚子、木梨軽皇子為太子。容姿佳麗、見者自感。同母妹軽太娘皇女亦艶妙也。云々。遂竊通、乃悒懐少息。廿四年夏六月、御羮汁凝以作氷。天皇異之、卜其所由、卜者曰、有内乱。盖親々相奸乎云々。仍移太娘皇女於伊与者。今案二代二時不見此謌也。
注訓 右の一首の謌は、古事記と類聚歌と説く所同じからず。謌の主もまた異なれり。因りて日本紀を檢(かむが)みて曰はく「難波高津宮に御宇大鷦鷯天皇の廿二年春正月、天皇、皇后に語りて『八田皇女を納(めしい)れて将に妃と為(な)さむ』といへり。時に皇后、聴(ゆる)さず。ここに天皇、謌を以つて皇后に乞ひたまひしく。云々。卅年秋九月乙卯の朔の乙丑、皇后の紀伊國に遊行(いで)まして熊野の岬に到りて、その處の御綱葉(みつなかしは)を取りて還りたまひき。ここに天皇、皇后の在(おは)しまさざるを伺ひて八田皇女を娶(まき)きて宮の中(うち)に納(い)れたまひき。時に皇后、難波の濟(ほとり)に到りて、天皇の八田皇女を合(ま)きしつと聞かして、大(いた)くこれを恨みたまひ。云々」といへり。また曰はく「遠飛鳥宮に御宇雄朝嬬稚子宿祢天皇の廿三年春正月甲午の朔の庚子、木梨軽皇子を太子(ひつぎのみこ)と為したまひき。容姿(かほ)佳麗(きらきら)しく、見る者自ら感(め)でき。同母妹(いろも)軽太娘皇女もまた艶妙(いみじ)。云々。遂に竊かに通(たは)け、すなはち悒(おほ)しき懐(こころ)少しく息(や)みぬ。廿四年夏六月、御羮(みあつもの)の汁凝(こ)りて以ちて氷と作(な)す。天皇の之を異(あや)しびて、その所由(ゆゑ)を卜(うらな)へしむるに、卜者(うらへ)の曰(もう)さく『内に乱れ有り。盖し親々(しんしん)相(あひ)奸(たは)けたるか。云々』といへり。よりて太娘(おほいらつめ)皇女(ひめみこ)を伊与(いよ)に移す」といへる。今案(かむが)ふるに二代二時(ふたとき)にこの謌を見ず。
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