竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 番外編 和歌表記の変遷

2020年01月04日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 番外編 和歌表記の変遷

 ご存知のように万葉集、古今和歌集、後撰和歌集などの古典作品の原典は伝わっていません。そのため、原典の歌の姿は伝本から過去に遡り推定するしかありません。その伝本を遡る時、おおむね、漢字交じり平仮名に翻訳されたものから、そこで表記された歌詞の相違などを調べ、その相違を体系化することで伝本をグループ化し、そのグループの中での歴史順序から過去へ遡り、原典の歌の姿に迫るようです。
 弊ブログは富山大学の教授が定義・指弾する正統な教育を受けたものではない建設作業員がトンデモ話を世に垂れ流すものです。それを前提に、現代のAI技術の進歩を使うと古典文章を字母に直すことが容易になったようで、書写された和歌集の歌を印字体の字母に直し、その字母の中で日本語の発音を表す真仮名文字となる字母の特徴から書写した人の発音を文字化するときの癖やテキストにした伝本の字母特徴を見出すことが可能です。この手法では歌詞の言葉の差から伝本をグループ分けするよりも、さらに厳格にグループ分け出来る可能性があります。古今和歌集の約1100首、後撰和歌集の約1400首の中の歌詞での30~50言葉の差から伝本グループ分けを行うよりも、それぞれの歌の表記で使う字母の方が圧倒的に情報量は多いのです。
 単なる建設作業員ではネット上の情報を掻き集めて、紹介した字母からのものを遊びで扱い可能性を示すのが精一杯ですが、大学で正統の教育を受けている過程の学部生や院生ですと、大学図書館の蔵書から陰影版の書写本を扱えるでしょうからAI技術からそれぞれの字母を引き出し、そこで使われる日本語の発音を表す真仮名文字を点検することは可能でしょう。その結果から西下経一氏の『古今和歌集の伝本の研究』、岸上慎二氏の『後撰和歌集の研究と資料』などの古典的研究で示すものとを比較し、AI技術で考察したものと昭和時代での伝統的な研究との相違を見比べることが出来るのではないでしょうか。
 さらに、その考察の延長では、どの段階から原典を書写の過程で漢字交じり平仮名文げ変換した状況や、書写した人の発音や文字選択の癖が考察出来るのではないかと考えます。

 さて、そのAI技術から字母が復元されたものから、例題ととして日本語の発音「す」を表記した真仮名文字を紹介します。

例1:二十巻本和名類聚抄の「す」の表記は「須」の文字を使う。
霞 和名加須美
相撲 和名須末比
大納言 於保伊毛乃万宇須豆加佐
大外記 於保伊之流須豆加佐

例2:藤原定家伊達本 古今和歌集では「す」の表記は「寸」が優勢で「須」の文字も使う。
原文 曽天比知天武寸比之美川乃己保礼留遠者留多知計不乃可世也止久良武
定家 袖ひちてむすひし水のこほれるを春立けふの風やとく良武

原文 与美比止之良須
定家 よみ人しらす

例3:藤原定家天福本 後撰和歌集では「す」の表記は「寸」と「春」の文字が優勢で「須」の文字も使う。
定家 松毛比幾和可奈毛川万寸成奴留遠以徒之可桜者也毛佐可奈武
解釈 松も引き若菜も摘まずなりぬるをいつしか桜はやも咲かなむ

定家 加春可野尓於不留和可奈遠見天之与利心遠川祢尓思也留哉
解釈 春日野に生ふる若菜を見てしより心をつねに思ひやるかな

定家 多満久之計安个川留保止乃本止々幾須多々布多己恵毛奈幾天己之可奈
解釈 玉匣明けつるほどの郭公ただ二声も鳴きて来しかな


 源順の和名類聚抄は承平年間(九三一~九三八年)に編まれたと考えられています。他方、筑波大学の古今和歌集の高野切の復元作業のなかの研究によると古今和歌集の和歌に漢字を持たないと報告します。また、少し古い本ですが岸上慎二氏はその著書『後撰和歌集の研究と資料』で、二荒山神社本後撰和歌集の解説で「歌詞は殆ど平仮名で書かれてをり」と紹介します。およそ、古今和歌集も後撰和歌集も原典は平仮名で書かれていたと思われます。
 最初に日本語の発音「す」に対応する平仮名を紹介しましたが、言葉を解説する和名類聚抄では、その字典という書籍の性格上、解説で使う文字の選択には揺れはありません。つまり、十世紀中期の時点で日本語の「す」は「須」で表記するのが平安貴族の中では標準と考えられます。ところが、藤原定家伊達本 古今和歌集や藤原定家天福本 後撰和歌集では歌詞に漢字が使われており、同時に日本語の「す」に限ってもそれを表記する真仮文字に揺れがあります。
 この日本語を表記する真仮文字に揺れについて、藤原定家伊達本 古今和歌集と藤原定家天福本 後撰和歌集との表記を比較すると、藤原定家伊達本 古今和歌集では「す」に「春」の文字を使いませんから揺れの由来は藤原定家の個人ではなく、書写した元となる伝本にあると考えられます。
 すると、面白いことが推定できます。万葉集の書写で自分専用の研究書で人に見せない・伝えないような場合以外では、基本的に伝本を写すときに一字不違の原則で行うのが作法とされています。少なくとも平安時代後期までは原典を変えないのが作法です。ところが古今和歌集や後撰和歌集では、早い段階から和歌集を手にした人が読み解き、その読み解いたものを書き残したと思われます。書写ですが模写ではありません。万葉集は一字不違の原則で原典を模写することが求められていますが、どうも古今和歌集以降の和歌集では模写を行わなければいけないという意識はなかったと思われます。
 一方、読み易さを考えて見ます。和歌は五七五七七音の定型であり、長歌は五七音の繰り返しの定型が基本としますと、次の歌ではどれが読み易いでしょうか。

万葉集 歌番号四(最初の短歌)
原文 玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野
解釈 霊きはる宇智の大野に馬並めに朝踏ますらむその草深野

古今和歌集 歌番号一
原文 止之乃宇知尓者留者幾尓个利比止々世遠己曽止也以者武己止之止也以者武
解釈 年の内に春は来にけり一年を去年とや言はむ今年とや言はむ

後撰和歌集 歌番号一
原文 布累由幾乃美能之呂己呂毛宇知幾川々者留幾尓个利止於止呂可礼奴留
解釈 降る雪の蓑代衣うち着つつ春来にけりとおどろかれぬる

 平安時代の人たちが読み易さを考えたのか、それを踏まえて藤原定家は次のように歌を表記します。書記では漢字と仮名とでは明確に見分けが付きますから読み易さは確保されます。

古今和歌集 歌番号一
原文 止之乃宇知尓者留者幾尓个利比止々世遠己曽止也以者武己止之止也以者武
定家 としのうちに春はきにけりひとゝせをこそとやいはむことしとやいはむ

後撰和歌集 歌番号一
原文 布累由幾乃美能之呂己呂毛宇知幾川々者留幾尓个利止於止呂可礼奴留
定家 ふる雪のみのしろ衣うちきつつ春きにけりとおどろかれぬる

 古今和歌以降では掛詞や縁語などの言葉遊びが高度になりますから、書写で読み易さのために漢字を折り込む場合、どの言葉を漢字に置き換えるかが書写を行う人の歌の解釈の感性になります。失敗してどれでもこれでも漢字に置き換えますと、感性の程度が見えてしまいます。
 古今和歌集の歌番号二では素人でも次のような解釈が推定できますから、読み易さを考慮したものにするために言葉を漢字で表すには注意が必要です。ただ、「春立けふの風」と表記しますと、書記で漢字と仮名では明確な書き分けがありますから書の美からすると野暮です。すると、歌番号二では袖と春以外では漢字を見せるのは野暮となるでしょうか。

古今和歌集 歌番号二
原文 曽天比知天武寸比之美川乃己保礼留遠者留多知計不乃可世也止久良武
解釈 袖ひちて掬びし水の凍れるを春立つ今日の風や解くらむ
解釈 袖ひちて結びし御簾の毀れるを春立けふの風や疾くらむ

 古今和歌集以降は、和歌に歌の秀歌・凡歌の問題だけでなく、書にしたときの美しさも重要になるようです。その世界は判りませんので、皆様にお任せします。
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