竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集 集歌31から集歌35

2020年01月03日 | 新訓 万葉集
集歌三一 
原文 左散難弥乃 志我能(一云比良乃) 大和太 興杼六友 昔人尓 亦母相目八毛(一云将會跡母戸八)
訓読 ささなみの志賀の(一に云く、ひらの)大わだ淀(よど)むとも昔の人にまた逢はめやも(一に云く、逢はむともとや)
私訳 楽波の志賀の大和田の水が淀むように、淀む思い出に立ち返って、昔の大津宮の大宮人に再び会うことが出来るでしょうか。

高市古人感傷近江舊堵作謌 或書云、高市連黒人
標訓 高市古人の近江の旧堵(きゅうと)を感傷(いたみ)て作れる謌 或る書(ふみ)に云はく「高市連黒人」といへり
集歌三二 
原文 古 人尓和礼有哉 樂浪乃 故京乎 見者悲寸
訓読 古(いにしへ)し人に吾(わ)れあれや楽浪(ささなみ)の故(ふるき)京(みやこ)を見れば悲しき
私訳 もう、古い時代の人間に私はなったのだろうか。この楽浪の故き都の様子を見ると悲しくなる。

集歌三三 
原文 樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛
訓読 楽浪(ささなみ)の国つ御神(みかみ)の心(うら)さびに荒れたる京(みやこ)見れば悲しも
私訳 楽浪の国を守る国つ御神の神威も衰えてしまったので、この荒廃した都を見ると悲しくなる。

幸于紀伊國時川嶋皇子御作謌 或云、山上臣憶良作
標訓 紀伊國に幸(いでま)しし時に、川嶋皇子の御(かた)りて作らせし謌 或は云はく「山上臣憶良の作」といへり。
集歌三四 
原文 白浪乃 濱松之枝乃 手向草 幾代左右二賀 年乃經去良武
訓読 白波の浜松し枝(え)の手向(たむ)け草幾代さへにか年の経(へ)ぬらむ
私訳 白浪のうち寄せる浜辺にある松の枝に懸かる手向の幣(ぬさ)よ。あれからどれほどの年月が経ったのでしょう。
左注 一云 年者經尓計武
注訓 一(ある)は云はく、年は経にけむ
左注 日本紀曰、朱鳥四年庚寅秋九月、天皇幸紀伊國也
注訓 日本紀に曰はく「朱鳥四年庚寅の秋九月、天皇紀伊國に幸(いでま)す」といへり。

越勢能山時、阿閇皇女御作謌
標訓 勢能山を越へし時に、阿閇(あへの)皇女(ひめみこ)の御(かた)りて作らしし謌
集歌三五 
原文 此也是能 倭尓四手者 我戀流 木路尓有云 名二負勢能山
訓読 これやこの大和にしては我が恋ふる紀路(きぢ)にありいふ名に負ふ背の山
私訳 これがその大和の都にあって私が眺めることを焦がれていた、紀道にあると云われていた有名な背の山なのですね。
注意 「勢能山」は現在の和歌山県伊都郡かつらぎ町の紀伊川に面する山です。
コメント
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