竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集 集歌41から集歌45

2020年01月07日 | 新訓 万葉集
集歌四一 
原文 釵著 手節乃埼二 今今毛可母 大宮人之 玉藻苅良哉
訓読 くしろ著(つ)く手節(たふせ)の崎に今今(いま)もかも大宮人し玉藻刈るらや
私訳 美しいくしろを手首に着ける、その言葉のひびきのような手節の岬で、ただ今も、あの大宮人の麻續王が足を滑らせて玉藻を刈ったように、慣れない磯の岩に足を滑らせて玉藻を刈っているのでしょうか。
注意 「手節乃埼」は三重県鳥羽市の答志島です。

集歌四二 
原文 潮左為二 五十等兒乃嶋邊 榜船荷 妹乗良六鹿 荒嶋廻乎
訓読 潮騒(しほさゐ)に伊良虞(いらご)の島辺(しまへ)漕ぐ船に妹乗るらむか荒き島廻(しまみ)を
私訳 潮騒の中で伊良湖水道の島の海岸を漕ぐ船に私の恋人は乗っているのでしょうか。あの波の荒い島のまわりを。
注意 「伊良虞」は伊良湖水道です。

當麻真人麻呂妻作謌
標訓 當麻真人麻呂の妻の作れる謌
集歌四三 
原文 吾勢枯波 何所行良武 己津物 隠乃山乎 今日香越等六
訓読 吾(あ)が背子は何(いづ)そ行くらむ奥(おき)つもの名張(なはり)の山を今日か越ゆらむ
私訳 私の愛しい貴方は、今はどこを旅しているのでしょうか。沖の藻が隠れる、その言葉のひびきではないが、隠(名張)の山を今日は越えるのでしょうか。

石上大臣従駕作謌
標訓 石上大臣の駕(いでまし)に従ひ作れる謌
集歌四四 
原文 吾妹子乎 去来見乃山乎 高三香裳 日本能不所見 國遠見可聞
訓読 吾妹子(わぎもこ)を去来(いざ)見(み)の山を高みかも大和の見ずそ国遠みかも
私訳 私の恋人をいざ(=さあ)、見ようとするが、イザミの山は高くて大和の国は見えない。国を遠く来たからか。
左注 右、日本紀曰、朱鳥六年壬辰春三月丙寅朔戊辰、浄肆廣瀬王等為留守官。於是中納言三輪朝臣高市麻呂脱其冠位撃上於朝、重諌曰、農作之前車駕未可以動。辛未天皇不従諌、遂幸伊勢。五月乙丑朔庚午、御阿胡行宮。
注訓 右は、日本紀に曰はく「朱鳥六年壬辰の春三月丙寅の朔の戊辰、浄肆廣瀬王等を以ちて留守の官となす。ここに中納言三輪朝臣高市麻呂その冠位を脱ぎて朝(みかど)に撃上(ささ)げ、重ねて諌めて曰はく『農作(なりはひ)の前に車駕(みかど)いまだ以ちて動くべからず』といふ。辛未、天皇諌(いさめ)に従はず、遂に伊勢に幸(いでま)す。五月乙丑の朔の庚午、阿胡の行宮(かりみや)に御(おは)す」といへり。

軽皇子宿干安騎野時、柿本朝臣人麿作歌
標訓 軽皇子の安騎の野に宿(やど)りせし時に、柿本朝臣人麿の作れる歌
注意 「安騎野」は現在の奈良県大宇陀郡大宇陀町付近の原野
集歌四五 
原文 八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐備世須登 太敷為 京乎置而 隠口乃 泊瀬山者 真木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡 坂鳥乃 朝越座而 玉限 夕去来者 三雪落 安騎乃大野尓 旗須為寸 四能乎押靡 草枕 多日夜取世須 古昔念而
私訓 やすみしし わご大王(おほきみ) 高照らす 日し皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 京(みやこ)を置きに 隠口の 泊瀬し山は 真木立つ 荒山道を 石が根 禁樹(さへき)おしなべ 坂鳥の 朝越えましに 玉かぎる 夕さりくれば み雪降る 安騎の大野に 旗(はた)薄(すすき) 小竹(しの)をおしなべ 草枕 旅宿りせす 古(いにしへ)思ふに
私訳 天下をあまねく承知される我が大王の君の天上までも照らし上げる日の御子が神でありながら神らしく統治なされている京を後方に置いて、山に籠る入り口の泊瀬の山には立派な木が立っている険しい山道を行く手をさえぎる大岩や木々を押し倒して坂を鳥が朝に越えるようにして来て、蜻蛉玉のように夕日の光が移り変わる夕刻も過ぎると、雪が降る阿騎の大野に薄や篠笹を押し倒して草を枕にするような旅の宿りをする。昔の出来事を思い出して。

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