竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集 集歌21から集歌25

2020年01月01日 | 新訓 万葉集
皇太子答御謌 明日香宮御宇天皇、謚曰天武天皇
標訓 皇太子の答へ御(かた)りしし謌
明日香宮の御宇天皇、謚(おくりな)して曰はく天武天皇
集歌二一 
原文 紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方
訓読 紫草(むらさき)の色付(にほへ)る妹を憎くあらば人嬬(ひとつま)故に吾(あ)が恋ひめやも
私訳 紫の衣を着る高貴な貴女を帝と同じように慕わない人はいません。貴女は帝の皇后ですから私を始め皆がその慕う気持ちを表さないのです。
左注 紀曰、天皇七年丁卯夏五月五日、縦狩於蒲生野。于時天皇弟諸王内臣及群臣、皆悉従焉。
注訓 紀に曰はく「天皇、七年丁卯の夏五月五日に、蒲生野に縦狩(みかり)したまふ。時に大皇弟・諸王・内臣と群臣、悉皆(ことごと)に従ふ」といへり。
注意 歌の解釈の前提として、集歌二〇の歌と集歌二一の歌は「相聞」ではなく、蒲生野の狩りの宴で披露された余興の歌としての「雑歌」の分類で解釈します。この前提では集歌二〇の歌の「君」は蒲生野での狩りの宴に参加する王族や高官に対する男性に対しての標準名称と解釈するのが穏当です。一方、集歌二一の歌の「妹」は「紫草能尓保敝類」と公式の宴会で着用している衣の色を指定していますから、深紫の御衣を纏う倭皇后一人を示すことになります。つまり、額田王が宴会で標準名称の「君」の名称で列席する男性陣に対して詠った歌を、皇太子がその歌を引き取って倭皇后を宴に参加する女性の代表として返歌を女性陣に返したと理解するのが相当です。つまり、これら二首は、集歌二一の歌の左注にあるように、律令体制での官位と公式着衣色の理解の下に解釈する必要があります。また、「蒲生野」は滋賀県蒲生郡竜王町一帯の原野、「武良前野」は延喜式の長寸(なむら)神社(現在の苗村神社)で滋賀県蒲生郡竜王町綾戸付近の原野を示します。鎌倉時代、この地を治めた佐々木定綱が壱岐に「武良」の祭りを伝え、それが現在の隠岐の島町の「武良祭風流」です。

明日香清御原宮天皇代 天渟中原瀛真人天皇 謚曰天武天皇
標訓 明日香清御原宮の天皇の代(みよ)
天渟中原(あめのぬなはら)瀛真人(おきのまひとの)天皇(すめらみこと) 謚(おくりな)して曰はく天武天皇

十市皇女、参赴於伊勢神宮時、見波多横山巌吹黄刀自作謌
標訓 十市皇女の、伊勢の神の宮に参(まゐ)赴(おもむ)きし時に、波多の横山の巌を見て吹黄(ふきの)刀自(とじ)の作れる謌
集歌二二 
原文 河上乃 湯津盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手
訓読 河し上(へ)のゆつ磐(いは)群(むら)に草生(む)さず常にもがもな常(とこ)処女(をとめ)にて
私訳 流れる川の磐に草が生えないのと同じで、これからも雑念が生じないようにずっと一生懸命にお側でお仕えしたいので私の十市皇女であってほしい。
左注 吹黄刀自未詳也。但、紀曰、天皇四年乙亥春二月乙亥朔丁亥、十市皇女、阿閇皇女、参赴於伊勢神宮。
注訓 吹黄刀自は未だ詳(つばび)かならず。但し、紀に曰はく「天皇の四年乙亥の春二月乙亥の朔の丁亥、十市皇女、阿閇皇女、伊勢の神の宮に参(まゐ)赴(おもむ)く」といへり。

麻續王流於伊勢國伊良虞嶋之時、人哀傷作謌
標訓 麻續王(をみのおほきみ)の伊勢国の伊良虞(いらご)の嶋に流さえし時に、人の哀(かなし)み傷(いた)みて作れる歌
集歌二三 
原文 打麻乎 麻續王 白水郎有哉 射等籠荷四間乃 珠藻苅麻須
訓読 打麻(うつそ)を麻續王(をみのおほきみ)白水郎(あま)なれや伊良虞(いらこ)に島の玉藻刈ります
私訳 麻を打ち、神御衣を織る麻續王は、なぜ、海人なのだろうか、伊良湖で島に生える玉藻を刈っていらっしゃる。
<標題漢文を別解釈した時の解釈>
標題 麻續王流於伊勢國伊良虞嶋之時、人哀傷作謌
標訓 麻續王の伊勢国の伊良虞の嶋で(足を滑らして潮に)流さえし時に、人の(麻續王の)傷を哀みて歌を作れる
集歌二三 打麻乎 麻續王 白水郎有哉 射等籠荷四間乃 珠藻苅麻須
訓読 打麻(うつそ)を麻續王(をみのおほきみ)白水郎(あま)なれや伊良虞(いらこ)に島の玉藻刈ります
私訳 麻を打ち神御衣を織る麻續王は海人なのだろうか、伊良湖の島の玉藻を刈っていらっしゃる

麻續王聞之感傷和謌
標訓 麻續王のこれを聞きて感じ傷みて和(こた)へたる歌
集歌二四 
原文 空蝉之 命乎惜美 浪尓所濕 伊良虞能嶋之 玉藻苅食
訓読 現世(うつせみ)し御言(みこと)を惜しみ浪にそ濡れ伊良虞(いらご)の島し玉藻刈り食(は)む
私訳 今の世での神の御言を大切にして、私は浪にも濡れ、神嘗祭の神餞に供える伊良湖の神島でその玉藻を刈って奉じるのだ。
左注 右、案日本紀曰、天皇四年乙亥夏四月戊戌朔乙卯、三位麻續王有罪、流于因幡。一子流伊豆嶋、一子流血鹿嶋也。是云配于伊勢國伊良虞嶋者、若疑後人縁歌辞而誤記乎。
注訓 右は、日本紀を案(かんが)ふるに曰はく「天皇四年乙亥の夏四月戊戌の朔の乙卯、三位麻續王罪有り、因幡に流す。一子を伊豆の嶋に流し、一子を血鹿(ちしか)の嶋に流す」といへり。ここに伊勢國の伊良虞の嶋に配すといふは、若(けだ)し疑(うたが)ふらくは後の人の歌の辞(ことば)に縁(より)りて誤り記せるか。
注意 漢文は中国語の特性により一つの解釈に収束しません。そのため、同じ漢文ですが複数の意味に解釈できる可能性があります。ここではその複数に解釈できる遊びでの歌です。

天皇御製謌
標訓 天皇(すめらみこと)の御(かた)りて製(つく)らせし謌
集歌二五 
原文 三吉野之 耳我嶺尓 時無曽 雪者落家留 間無曽 雨者零計類 其雪乃 時無如 其雨乃 間無如 隈毛不落 思乍叙来 其山道乎
訓読 み吉野し 耳我(みみが)し嶺(みね)に 時なくぞ 雪は降りける 間(ま)無くぞ 雨は振りける その雪の 時なきが如(ごと) その雨の 間(ま)なきが如 隈(くま)もおちず 念(おも)ひつつぞ来(こ)し その山道(やまぢ)を
私訳 この美しい吉野にある耳我の嶺に、季節外れの雪が降っている。絶え間なく雨が降っている。その雪が降る時を択ばないように、その雨が絶え間がないように、片時も忘れずに想い焦がれてやって来ました。その吉野への山道を。
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